September 15, 2025

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探す/探し物

 

30年ほど昔、初めて国境を越えて、ティフアナの中心街を目指していた私は、田舎道に迷い込んでしまった。戻るべき道を探しても、見当がつかない。地面から針金が突き出ている未舗装の悪路を行く私の車は、二度のパンクに見舞われる。修理工場を探すにも周囲には古い民家が数軒あるだけ。ロードサイドサービスを要請するにも現在位置が分からない。途方に暮れていたら遠方からタクシーが近づいてきた。“地獄に仏” とばかりに乗車したが、これがメキシコ名物「相乗りTAXI」初体験の巻! 最初に母娘2人が後部座席の私の横に座る。次に、ソンブレロとチャロの衣装に身を包んだマリアッチ楽団の男たち3人が乗り込む。運転手を含めて総勢7人が1台の小型車に!! トランクに収まらないギターに挟まれて身動きが取れない。やがて、男たちが大ゲンカを始めたからたまらない。1人が何かを探し始める。ギターケースにマシンガンが隠されていたメキシコ映画を思い出して、不安になる。今度は、子連れのオバさんが私にスペイン語でまくし立てる。「あんた! $1だけ払いなよ。ボラれるんじゃないよ!」と言っている様子。ギターの間から必死にうなずく私が滑稽 (こっけい) なのか、女の子が大笑いしている。中心街へ戻り、乗り捨てた車の所在地も探り当て、ようやく “魔界” から解放された。 (SS)
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▽「人生をかけて愛する人を探しているなら、それもやめなさい。 その人は、あなたが好きなことを始めたときに、あらわれます」。Holstee社のマニフェスト「THIS IS YOUR LIFE」に掲載されている一節。なんでも、それを作成した本人たちも驚くほど、世界中でシェアされまくった社訓とのこと。確かに、性別や年齢に関係なく、何かに打ち込み、頑張っているヒトの姿を見ると、胸がキュンとときめくものだ。▽「民は由 (よ) らしむべし,知らしむべからず」。民は政治に従うもの、何も知らなくてよい、という封建時代の政治原理。このネット社会は便利で、探せば見つかるものが多い。とはいえ、忙しい現代、民は自分のことで精いっぱい。じっくりと政治を考える時間がない。▽「やりたい仕事を探そうとすると、かえって見つからなくなるんだって」。友人がLINEで教えてくれた。モノの本によると、天職に就くことができた人の大半は、その過程を、たまたま偶然だと答えた。最初はなんとなく始めたのに、だんだん天職に変わった人がほとんどだったそうだ。天職とは、どこか別のところにあるものではなく、自分のなかで養っていくものらしい。リスクや不安や失敗さえも楽しんで、仕事を手づくりする力があれば、どのような仕事だろうが、自分にとっての天職になり得るかもしれない。(NS)
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yoko
普段から物の保管場所を決めて、使用後はそこへ戻すようにしているので、探し物をすることは余りない。。。はずなのだが、数年間、とても困った経験をしている。ある日、家を出ようとしたら、車の鍵が見つからない! 通常、持ち歩いているバッグの中に入れているのに、ない! ひっくり返して中身を全部出してみても、ない! もしやと思い、車の中を見に行ったのだが、なさそう。落としたのかな?と、コンドの駐車場から私の部屋までの道筋を念入りに探したが、やはりない! 結局、Locksmith を呼び、新しい鍵を作ってもらった。約1か月後、外出の際にデニムのジャケットを羽織った。あれ? 左ポケットに....失くしたと思っていた車の鍵が!! そして右ポケットに....ガソリン用にしているクレジットカード!!.... (同じ時期に失くしたと思い、紛失届を提出済み)。鍵を左ポケットに入れた同じ日に、ガソリンを入れた後、財布に戻すのを忘れていたみたい。そのジャケットはあれから着ていなかった。。。探し物は見つかったけれど、新しいカードが発行されたので使えない。鍵も新しくプログラミングされたので、これでエンジンは掛けられない。ドアのみを開けられる緊急用の鍵になった。ポケット、便利でついつい物を入れてしまう。気をつけないと…。 (YA)
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suzuko-san
♪探し物は何ですかぁ~。見つけにくいものですかぁ~♪という井上陽水の「夢の中へ」。この歌詞がとてつもなくトンでいる。カバンの中も机の中も探したけれど、見つからない、と必死で訴えている人に「それより僕と踊りませんか」「そして夢の中へ」と、いうのだ。いいなぁ、こういうの。気分を変えれば、探し物も見つかるとでも言いたいのであろう。確かに。探し物といえば、私の趣味である旅行先で、探し物が見つからず、大パニックになったことがある。姉が住むスイスから飛んだバロセロナでの出来事。その晩、夕食にワインをガブガブ飲んだ。で、宿に帰ってバタンキュー。翌日、「ハンドバッグに入れていた大金がない!」・・・盗まれたのか? いや待てよ、と大慌てで、他のショルダーや部屋中を探すも、ない。しかし、ここまで来て、観光もしないのもいけないと発想を変え、わずかな手持ちでサグラダファミリアへ。で、その晩 「やはり、お金なしでは旅行は無理だ。スイスに帰ろう」とパッキングを始めたその時、あれ? あれ? チェックインした際に大金を小分けにして、スーツケースのあちこちに、ちょっと見では分かりにくい所に隠していたのを、お酒のせいですっかり忘れていたのだ。自分にガックリするやら、ホッとするやら。やはり、探し物は、必死で探している時は出てこない!  (Belle)
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jinnno-san
家から徒歩30秒のスーパーへは “冷蔵庫代わり” に毎日のように通っている。大体の探し物はそこにある。先日もフラッと野菜を探しにそのスーパーへ。野菜を持ってキャッシャーに並んだ。大きな声でレジのおばさんと話しているお客さんの話に (というか、おじさんに 笑) 興味があって、その人の後ろに並ぶ。レジの人もおしゃべりに夢中で、動きが遅いなー、と思いながらも、その人が支払う順番になったので、野菜をベルトコンベアーに置いた。おしゃべりはまだ盛り上がっていた。そしたら、おじさんが「ついでにそこのクッキーも」と言って、追加購入。そして「ついでに後ろの女の子のグロッサリーもね」。ん? レジのおばちゃんがわたしの野菜の集計を始めて、ボーッとしているわたしに「あなたの分は支払い終わってるから、行っていいわよ」。んん? つまり、前に並んでいた全く知らないおじさんが、わたしの買い物をしてくれた! 笑。バーカウンターで隣の見知らぬ人に、お酒の勢いで、おごってもらったり、おごったことはあるけど、、スーパーで? 笑! 酔っ払ってもいないのに?! 笑! さっすがアメリカ人! 明るすぎ、ごーかいすぎるでしょ? 笑! おじさん曰く、自分のくだらない話に付き合ってくれたから、、だって 笑。このスーパーは食べ物だけじゃなく、人情も探し求めることができるらしい 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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ほぼ毎日、何かを探している。我が家では、置いたはずの場所から物がなくなることが多い。爪切り、 ハサミなどは知らない間に移動されている率が高い。子供たちや旦那が使って、元の位置に戻さないのだ。そして自分も、よく携帯やメガネを探す。無意識にどこかに置いて、何か別のことをしてしまうことが多いからだ。探す作業は、本当にストレスフルで時間の無駄。できれば、この煩わしさとは無縁の生活をしたい。結局、普段から片付けができていないと、どこに何があるのか分からないので、あれやこれや探す羽目になるのは当たり前。分かっているのに、なぜか繰り返してしまい、そういう自分にイライラ。片付けは嫌いではないけれど、私は物をなかなか捨てられないタイプなので、「取りあえず」とばかりに、今、必要でないものもクローゼットなどに仕舞い込んでしまう悪い癖がある。その存在を忘れて、月日が経った後に「あ、こんな所に、こんな物が!」と驚くことがある。ということは、実は、自分は片づけが下手という結論になる。全ての物が家のどこに存在するのか、はっきりと記憶できるような “片付けの達人” になりたい。このままだと、物を移動したまま片さない家族に文句も言えない。まずは、物を仕舞い込む悪癖を直さないと・・。(SU)

(2022年6月1日号に掲載)
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困る/困った

 

国境の街サンディエゴの土地柄なのか、私はよく中南米人に間違われる。社会保障局 (SSA) などの政府機関でもスペイン語の書式を渡されることがあり、英語版に替えてもらう。自分ではラテン系の顔つきとは思えないのに、メキシコ国境を越えてティフアナの街へ行こうものなら、同胞扱いされて「変なこと」に巻き込まれる。▽青年がヒスパニック系の名前を叫びながら、私に近づいてきた。人違いなのに、私の肩を抱えて上空を指差す。困惑しつつ、澄み切った青空に目を凝らすと、謎の飛行物体が! 子供の頃に写真で見た「アダムスキー型UFO」に似ている。複数の窓もある! 不思議な感動に包まれて、誰だか知らないけれど、互いに肩を組んで見上げていた。第三者が二人を見たら完全なアミーゴ状態。▽中心街のレボルシオン通りを歩いていると、どこかのお婆さんから「ティノ!」と呼び止められた。出稼ぎ帰りの息子と勘違いしているのか、いきなり私の手を握り、目に涙を浮かべて堰 (せき) を切ったようにスペイン語で延々と話し続ける。「お母さん、僕はティノじゃないんだ。ハポネス」と何度も繰り返したが、分かってもらえるまで想定外の時間を要し、本当に困った。  ▽アメリカへ戻るために税関へ。スペイン語の検問を遮 (さえぎ) って英語で答える。「ラティーノじゃないの?」 もういい。(SS)
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▽「ケミカルがイヤだったら、利尻昆布の白髪用ヘアカラートリートメントが良いかも」。加齢による白髪とはいえ、なんだか最近、急に白いものが増え出したのをグチったら、友人が良い製品を薦めてくれたので、早速購入。続けて使っていると、だんだん染まってくるらしい。髪の毛も元気になるとのことだ。そして、何気なく、いつもと違う角度で鏡を見たら、今度は、頭頂部やつむじあたりの毛髪が相当薄くなっているのに気がついた。自分には見えないところで薄毛が進行していて、ビックリ。「髪型を変えて、薄くなったところを隠してみれば」「ハゲ隠しのパウダーもあるよ」 と友人。若い頃の 「量が多くて」が懐かしい今日この頃だ。▽「どうせ、いずれは皆死ぬ」「それでも我々は天国に行ける」。ロシア国営テレビが、ウクライナ以外の国にも戦闘が拡大する可能性について言及。その番組で、ロシアの某ジャーナリストが、核戦争が起きてもあまり心配することはない、と語りかけたのが冒頭の言葉。プーチン大統領は核兵器を「必要なら使う」と言い始め「第三次世界大戦」に言及するなど西側を威嚇。冷戦期にもなかった本気レベルで、米ロの緊張が高まっている。まさか21世紀にこんなことが起こるとは。毎日報道されているウクライナの惨状に胸が痛む。一日も早い停戦と平和を願うばかりだ。(NS)
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私がラップトップで作業を始めると、いつの間にかやってきて、机の上にジャンプし、ラップトップと私の間の狭いスペースに、横になるのが好きな我が家の雄猫。キーボードを打つ私の両腕の上に8kgの巨体をデーンと横たえる姿は、とても幸せそう。可愛いし、私もしばらくは不自然な体勢で作業を続けているけれど、だんだん腕がしびれてくる。キーボードの一部も使いずらくて、仕事がはかどらない。仕方なく床に下ろしても、しつこく何度もジャンプしてくる。なんとか阻止すべく、足でブロックしたりするのだが、気を抜くと飛び乗ってしまう。ジャンプ、下ろす、ジャンプ、下ろすを何度も繰り返すうち、こちらが根負けして、また私の腕の上…。部屋のドアを閉めることも試したが、入れて〜とドアを引っ掻くわ、鳴くわで、うるさくて集中できない。困った〜と思っていたところ、最近、私の座る椅子の横にもう一つ椅子を置き、猫を乗せて上から毛布を覆いかぶせると、かなりの確率でその中で寝てくれることが分かった。ラッキー! 成功しない時もあるけれど、全く腕の上でくつろいでくれなくなったら私も寂しいので、今はこれで良しとしている。(RN)
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suzuko-san
山本リンダが超甘ったるい声で歌う 「♪困っちゃうなぁ、デートに誘われてぇ~♪」 という歌があったが、私はこの歌詞をもじって「♪困っちゃうなぁ、デートに誘われずぅ♪」と歌い、周囲の笑いを誘っていたことがあった。しかし、何故にデートに誘われて困るのか? 何か、断れない特別な事情でもあったのかと、作詞家の意向を勘ぐる。嫌なら断ればいいだけの話。誘われたから困るのではなく、その誘いを断れない時に困るのだ。そういえば、まだまだ若かりし頃、私もデートに誘われて困ったことを思い出した。叔母の紹介で断るに断れず、しぶしぶ出かけた。行先は東京の高尾山。事前にその人と話すこともなく、最寄りの駅で待ち合わせ。その時点で「違う!」と思ったが、その場で帰るわけにも行かず、とにかく目的地へ。お昼時になり、 自発的にお弁当を作って行った私に、その人は「まさか、サンドイッチじゃないでしょうね」。おにぎりだったのだが、まさかのサンドイッチだったら、一体、どうすると言うのよ! 私はその時もかなりムカついた! そんな気分のまま下山、居酒屋へ。そこでの会話が「共働きだが、相手には自分が戻る前に帰宅し、夕食を準備してほしい」と。ますますムカついた! 飲み代を置いてタクシーで逃げ帰った。断るに断れずに、まっこと困った1日であった。 (Belle)
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jinnno-san
先日、反応に困ってしまう状況になっちゃった。あるイベントで良い席を取ろうとして、入り口でH部長と2人で列に並んでいた。すると、係員からの「3列に並んで行ってください」という指示。わたしとH部長の2人に、後ろから1人、前に詰めてくれれば3列はできた。ところが、誰も詰めてこない、、前には3人並んでいて、編成はできている。我々が場所を取ってるから、後ろの人が入りづらいのか、とも思ったけど、わたしたち2人は右寄りに立っていて、明らかに左側を空けている。そしたら、、わたしたちのすぐ後ろ (5センチくらい? 鼻息を感じるほど 笑) に、人の気配が。何かボソボソ言ってる、、「ここに入っていいですか?」と。。振り返るとMr. Beanに似た (!) おじさんが、 ここ (空いている左側じゃなくて、わたしとH部長が会話している、あ・い・だ・ 笑!) に並んでもいいですか、と。えええっーー、なぜ?? と耳を疑ったけど、もう彼の前足 (四足歩行ではないので、片足ね 笑) は、わたしとH部長の間に前進している 笑。わたしが期待したのは、、左側に自然に行ってくれるでしょ、 だったけど、行かない! 笑! 困り果てて、指で左側を指したら、おじさんはシブシブと (なぜ? 笑) 左へ移動して、めでたく横にならんで3列になってくれた。このおじさんの心境、誰か分かる人、いる? 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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老眼がひどくなって困っている。というより、元々の近眼に老眼が加わり、目の劣化をすごく感じるようになった。それだけならまだ良いが (良くないけど)、パソコンを見る時は中距離 (?) になるので、メガネを掛けても外しても見えにくい時がある。しばらくすると慣れて、問題なく見えてくるといった感じだ。そこで、遠距離、中距離、近距離が一つのレンズで調節できるメガネを買って着用するようになったが、これも慣れないと使いにくい。結局、近くの文字はメガネを外さないと見えない。ただ、遠くを見る時と中間の距離には使えそうだ。しかし最近、そのメガネレンズの中央部に傷をつけてしまい、さらに見えにくくしてしまった。買い替えればよい話だけど、このところ、あまりにも自分の目にお金を使っているので、今のところ買う予定はない。今年いっぱいは傷のついたメガネで我慢しようと思う。目の劣化にメガネの傷・・。ああ、劇的に老眼と近眼が治る魔法の薬でも開発されないかなー。(SU)

(2022年5月16日号に掲載)
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変化

 

人生で意識の大変化が起きた瞬間が三度ある。20代前半は細かく日記を付けていた。日記とは第三者が読む可能性を想定した行為であることに気付いて、怖くなった。私は日記帳を買い替え、赤裸々な感情表現をすべて削除し、事実だけを書き残すという大作業に取りかかり、あまつさえ日記自体もやめてしまった。処世術としての欺瞞 (ぎまん) という悪知恵が生まれた瞬間だった。40歳を過ぎた頃、将来を見据えるパノラマビューのアングルが大きく変化した。譬えて言えば、野球場のバックネットから外野席を超えて大空を映し出す「無限大の画像」が、突然、バックスクリーンからホームプレートを包み込む 「凝縮されたフレーム」に切り替わった。“人生の砂時計” が反転し、寿命の折り返しを覚醒させられた瞬間だった?  還暦を迎えて、老化という現実を前に死生観が大逆転した。父方の先祖で80歳まで生きた男は1人だけ。長寿家系じゃない。自分もあと十数年なら、死を念頭に置き、ひたすらQOLを追求すべきじゃないのか? もし、不治の病が発覚しても、むしろQOLの意義と価値が高まり、充実した余生になる。死は恐るるに足らず。そこまで達観を表明していながら、あえなく周章狼狽 (しゅうしょうろうばい)、世を儚 (はかな) む姿を曝け出したらみっともない。晩年も意識の変化が続くのかな? (SS)
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▽「2030年の世界の主役は、インドとアフリカだね。すごい変化がやってくるよ」。先日、商社に勤めている知人が教えてくれた。何でも、世界の人口は2030年には81億人に膨張する見通しで、インド (19億人) は中国を抜いて世界第1位に浮上、アフリカ (17億人) ともども、大規模市場になるらしい。現在、ルワンダには「ドローン空港」と呼ばれる発射基地があって、人命救助のための物資を運んでいる。インフラが整備されていない国だからこそ、蛙 (かえる) 飛びのように、いきなり先端テクノロジーで、ダイナミックに発展するとのことだ。▽「ダイエットの停滞期に入ったら、少しだけ、摂取カロリーを多めにしたほうがいいよ」。LINEで友人からアドバイスが届いた。人間の体や脳は変化を嫌うという性質があるらしい。常に一定に保とうとする 「ホメオスタシス」 というメカニズムがあって、体重を減らさないようにする。この時期に「あぁ・・だめだ」とあきらめて、爆食いしてしまうと、恐怖のリバウンド状態になるらしい。身体に起こる変化を理解して、停滞期を乗り切ることがダイエット成功の秘策とのこと。「趣味がダイエット、特技はリバウンド」の自分に、目から鱗 (うろこ) の助言を授けてくれた友人に感謝している、今日この頃だ。(NS)
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yoko
これまでの人生で、目まぐるしく変化したのが音楽メディアだ。父親はレコードを沢山持っていて、よくレコードプレーヤーで聞いていた。私が小学生の頃はカセットテープがメジャーだった。初めて自分のお小遣いで買ったのも「南野陽子」のアルバムのカセットテープ。ウォークマンを買ってもらってからは、ブランクのカセットテープにレコーダーで好きな音楽を録音し、ミックステープを作って聞いていた。そのうちにCDが登場する。レンタルショップでCDのアルバムを借りるようになり、それをカセットテープに録音していた。高校生になる頃には、聞きたい音楽のアルバムをCDで購入するようになっていた。16歳の時、短期留学でアメリカに来てCDの安さに驚いた覚えがある。1990年代後半には日本でMDが普及していたようだが、アメリカに住んでいたので使うことはなかった。2000年代に入り、iPodなどのMP3プレーヤーが発売されて、ほとんど音楽はデジタルダウンロードするようになった。そして現在は、ストリーミングサービスで好きな音楽を簡単に楽しむことができる。家にいるときはAlexaに一声かけるだけで再生操作が可能。音楽メディアは、これからどう変化していくのだろうと思う。 (YA)
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suzuko-san
戦後77年。人々の生活環境は大きく変わった、変わりまくった。この変化を目の当たりに経験している60代半ばから70代半ばの人たちは、便利に、さらに便利に変化した世の中を肌で感じているに違いない。それまで連綿として釜戸 (かまど) で炊いてきたご飯が、スイッチ・ポンの炊飯器になり、洗濯板を使って洗っていた洗濯物が、洗剤を入れてスイッチを押せば洗濯ができ、すぐに乾燥機も登場。くるくる回る掃除機でお掃除もすいすい、やがて勝手に部屋中を動き回り掃除してくれる新兵器も。家電の進化もさることながら、通信機器の変化のスピードはまさに日進月歩だ。ワープロの登場でも画期的だと思っていたら、海外にでさえ番号を押すだけで文書が送れるファックスにぶっ飛んだ! 25年ほど前に一気に普及したコンピュータの便利さにも目を丸くしていたと思ったら、15年前には携帯電話とパソコンを合体させたiPhoneが登場して世の中をすっかり変えた。カメラ機能も備えたスマホを保持していれば、全員がカメラマン。しばらくすると、全てはバーコードやQRコードで処理・・。今どきスマホが使えないと、社会から放り出される時代にまでなってしまった。 もうこれで十分と思っているのに、まだまだ変化をしていくに違いない。一体どこへ進むのか、この世は?  (Belle)
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jinnno-san
友人のニッポン男児、H部長は、、英語がチョッピリ、いや、だいぶ、分からないみたい 笑。中学1年生の英語グラマー授業の、1学期の中間試験のずっとずーーっと前あたりから、時間が止まっているかのように、、笑。わたしだって、中学英語なんて覚えてないけどね。でも、格段に違うのよ、レベルが! 笑 (ゴメン!)。例えばbe動詞とか。I am doや、 I doesとは言わないし、、 笑。あのー、バカにしてるんじゃなくて、本当に、笑えるんだってば! 道にある看板を訳してみてと振ると、自信満々で、自己流の解釈を堂々と披露する 笑。思い込みが激しいので、読み違えも多い。お肉屋さんの値札を見て 「あ!黒豚を売っている!」 と言うので、えっ、どれどれ? と確かめると “Back Ribs” (彼にとってはBlack 笑)。ここ数年、機会があれば、教えてあげてきたわたし。先日、英語で開催のセミナーに一緒に行ったとき、意外にも内容を理解していたので、ビックリ。この変化、やっぱ、指導してきた甲斐があったわ、と思っていたら、、その後、レストランに入って、メニューを見て “Beer Large” と思ったらしく、疲れた体を癒すべく、自分では勢いよくビール大瓶を頼んだつもりのH部長。メニューに書いてあったのは “Beer Lager” (変化なし!! 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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「あー疲れた・・」。朝起きて一言目に、この言葉を発することがほぼ毎日になってきた。どうも、 体の疲れが取れない。そして午後3時頃になると、すごく眠くなるのだ。どうしたことだろう。30代前半くらいまでは、多少徹夜や睡眠不足の日々が続いても、なんとかやっていたけれど、40を超えた頃からだろうか、1日でも徹夜したり、2〜3時間しか眠れなかったりすると、1週間くらいパワーが回復しない感じがするのだ。そう、「体力の低下」を最近すごく感じてしまう。年齢のせいなのか、それとも体のどこかが悪いのだろうか? だんだん健康に自信がなくなってきたこともあり、あまり良いことが考えられなくなってしまった。体力の低下を実感するにつれ、趣味のテニスにも影響してきたようで、シングルスのゲームで1セットは勝っても2セット目を落としてしまい、3セット目にタイブレークで負ける、ということが3試合連続で起こっている。初めは、集中力が切れているせいなのかと思ったりもしたが、徐々に、これはスタミナ切れだということに気付いた。この状態をすぐに改善できるとは思えないが、もう少し、自分の体の変化に気をつけて、現実を直視しながら、体力作りを始めていきたい。(SU)

(2022年5月1日号に掲載)
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奇跡!?

 

▽一時帰国する時は、老齢の母を湯治に連れていく。10年ほど前、新潟県内の老舗温泉宿に投宿した。古代ヒノキの内風呂、茶室風味あふれる床の間など、随所に豊かな日本情緒が感じられ、迷うことなくネットで予約を入れた。母も私も初めて訪れた宿。旅館の歴史を紹介する展示場があり、 陳列品の一つ、麒麟 (キリン) を模した中国の純銀製香炉 (煙を焚く仏具) の説明を読んで腰を抜かすほど驚いた。寄贈者は私の祖父! 日付は昭和28年11月。まだ母は嫁いでいないし、私も生まれていない。祖父からは何も聞かされていない。盆栽と骨董品蒐集が趣味だった祖父。宿帳を調べてくれた3代目の若女将から手紙が届き、当時、祖父母は先々代の宿主とは昵懇 (じっこん) で、定宿にしていたようだ。▽18歳頃から3年間ほど、年に一度だけ、11月30日に激しい 「金縛り」 に悩まされた。谷底に突き落とされた衝撃で目が覚める。身動きが取れず、爪先から感覚がマヒして首の皮1枚だけ繋がっているような、今にも幽体離脱しそうな恐怖に襲われたばかりか、ぼんやりと赤味を帯びた人間の顔 (らしきもの) も見えた。なぜ11月30日なのか。過去帳を見て、11月30日と7月31日に一族の命日が集中している事実を知り、身震いした。墓参を心がけた翌年から金縛りは消えた。・・・奇跡か、偶然か、因縁か?(SS)
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▽「すごいね。ロバート・アイガー。雑用係からディズニーのCEOになったんだって」。先日、友人が奇跡の実話について教えてくれた。「受付嬢からHPのトップになった人もいるし、吉野家の社長さんは、アルバイトからの叩き上げよ」。周りが自分に何を求めているのかを理解し、自分に任されている以上の仕事をして、CEOにまで上り詰めた人々だ。▽「点と点が繋がる奇跡的瞬間がある」。スティーブ・ジョブズが残した伝説のスピーチ。大学を中退したジョブズは、忍び込んだカリグラフィーの講義で美しい書体に出会い、10年後、素晴らしいフォントを搭載した史上初のMACを誕生させた。ジョブズがその講義と出会わなかったら、パソコンには美しいフォント機能が無かったかもしれない。▽『ゆうゆう』 が誕生した1980年代はパソコンもファックスも無い時代。1台の薄型ワープロで開業した。真夜中、日本語の活字を求めて LAの写植業者へ車を飛ばしたこともあった。そして1991年、美しいフォントが搭載されたマックが届いた。創刊から36年。多くの人々に支えられて 『ゆうゆう』 をお届けできるのは、ミラクルの連続に違いない。将来どうなるかなんて誰にも分からない。過去と今が、どうにかこうにか未来に繋がると信じて、これからも、目の前のワクワクすることを精一杯やっていきたいと思う。(NS)
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今、ここにこうして暮らしていることは、奇跡の積み重ねだな、と思うことがある。この世に生まれ出てきたことが、まずは奇跡のはじまり。何億分の1の確率で受精し、胎児として母の体の中で成長した私が生まれてきた。致命的な怪我や病気をすることもなく、なんとか大きくなれたのも奇跡! 後悔する自分の取ったあの時の行動や選択の数々、できることならやり直したいと思うことも多々ある。切に願った奇跡が起こらなかったこともあった。でも、半世紀近く生きてきた私のここまでの人生を総じて振り返ると、大切な人や言葉、サポート、チャンスに要所要所で巡り合えたからこそ、今、こうして幸せに生きていると感じてしまう。これって、奇跡以外のなにものでもない! あのアインシュタインも言ったらしい。「人生には二通りの生き方しかない。ひとつは、奇跡など何も起こらないと思って生きること。もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること」。来し方行く末、すべての経験と出会いこそ奇跡!と、感謝して生きていく方が幸せそうだ。(RN)
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私は中学生の頃からアメリカ音楽に慣れ親しんでいた。英語が上手に、という欲望は常にあったが、全く憧れてもいなかったアメリカ住まいになろうとは! きっかけはこうだ。フリーランスとしてインテリア雑誌に関わっていた私は“世界のお家事情” というページを任されて、世界各地の家々を取材していた。その流れで、アメリカらしい家の取材ということになり、当時、NYC在住の写真家にその取材を締切り1年前に依頼。その後、締切り2か月前に仕事の確認をしてから、日本を2か月留守にした。帰国して聞いた留守電に「できん!」「ウソでしょ!」。仕方なく、私が急遽、米国在住の唯一の友人を頼って飛んできたのがサンディエゴだった。彼女は独身の私にある男性を紹介してくれて、以降1年に4回サンディエゴ詣で。彼の提案もあり、 サンディエゴ移住を決心したところで 「君、ビザはどうするの?」「ウソでしょ!」。が、一旦傾いた心は簡単に変えられず、私はビザなしで半分移住。さあ、ビザ解決に向けての作業が始まったのだ。そんな中で知り合ったのが元旦那。3回目のデートで彼は私にプロポーズをした。後にも先にも、3回目のデートでプロポーズをされたことなどない。ここぞ!という時に、その奇跡は起こった!という経緯で、私はSD住まいが可能になった。感謝! (Belle)
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jinnno-san
わたしは同じ近所に、ながーーーいこと住んでるけど、周りになぜか子供がいない。幼児から高校生まで見当たらない。ましてや、、コンボイ界隈のようにニッポン人と会うこともない 笑。近くのマーケットでも、珈琲店でも、レストランでも、まず見かけない。しかし! とうとう奇跡が起きた(しかも、さっき 笑)。ランダムな時間に気が向いたら行くマーケットがあるんだけど、最近はセルフキャッシャーができたので、お酒がない時はそちらに並ぶ、けど、なんとなく人間レジに並んだ。コロナの影響もあり、前の人がお金を払い終わるまで近づかないんだけど、今回はその人が支払いをするあたりから、品物をレジのベルトコンベアーに並べ始めた。ら、赤いパスポートらしきものを出してるのが見えた。もしや、我が国の旅券? 目が悪いので字までは見えない。思い切って「日本の方ですか?」 と話しかけてみた 笑。コンボイ界隈では、まずしないであろう 笑。そしたら「はい」だって! 渡米したばかりの頃、ニッポン人学生と出会った時の喜びと同じくらい、やったー!って感動! あの日、あの時、あの場所に行かなければ、1分の差でもあれば、同じレジに並ばなければ、この出会いは決してなかったと思うと、めちゃくちゃな運命じゃーん!と、一人で飛び跳ねたわたしであった(あちらは、そんなでもなかったけどね…笑)  (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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子供が大きなケガもせず、無事に大人に成長するのは奇跡だ、と思う瞬間が何度もある。生まれて間もない頃は、寝返りも打てずただ寝ているだけだが、歩き始めると、家の中にある物がすべて危険物に見えてくる。家具の角、ドア、ちょっとした段差が怖かった。それでも、小さな足でヨロヨロと一生懸命、絶妙なバランスを取りながら歩いていた。それが私には奇跡であり、面白くもあった。時が経ち、子供たちも大きくなってきた。新型コロナパンデミックが始まって間もない頃、次女が久しぶりに公園で遊んでいた時だった。私は子供たちを見ていたつもりだったが、電話に出て話をしていたら、突然、次女が大きな声で泣き出した。モンキーバーから落ちたのだ。急いで駆け寄り、落ちた様子や、背中や足などを強く打っていないか確認したところ、手首の辺りが少し変形しているのに気付いた。落下の瞬間に手をついたらしい。ヤバイ! 電話に気を取られたことをひどく後悔し、娘を抱えて家へ走った。救急外来を受ける医者に診せたところ、骨折していた。幸い、今はきれいに元通りになったが、 事故は突然に起こる。ちょっとした気のゆるみで大ごとになることも。子供がここまで無事に育ってくれたことは、本当に奇跡だと改めて感じている。(SU)

(2022年4月16日号に掲載)