我が家の直系は蟒蛇 (うわばみ) の系譜なのに、私は一滴も飲まない (飲めない)。昔から少しの甘酒で頭痛に悩まされ、洋酒入りチョコ半個で目が回った。酒食の席でカクテルを注文しても、飲むふりをするだけ。私は酒の効用を知らない。父の酒は「からみ酒」。同じ話を聞かされたあげく、意見を返すと怒鳴られるので始末が悪い。母はまともに相手にせず、父のネチネチとした小言 (こごと) や愚痴に「ウンウン」と頷 (うなず) きながら寝ている!!というスゴ技 (ワザ) を持っていた。「もっと酒くれ!」と叫ぶ父を制止することもなく、深酔いさせれば眠ってしまうだろうと、どんどん飲ませる。一番怖いのは母だ。弟は酔いが回ると、差し歯を外して、幸せそうにヘラヘラと他愛もない話を始める。歯が無いだけに、その表情は「レレレのおじさん」に似ている。上戸 (じょうご) へのツッコミもここまで。下戸は肩身が狭いけど、上戸/下戸の差が生まれるのは、二日酔いの原因物質「アセトアルデヒド」を分解する酵素力の違いだけ。「酒に耐性のない奴の人生は暗い」とアルハラを受ける謂 (いわ) れはない。下戸の有名人も多い。トランプ前大統領はアルコールとは無縁。「飲酒してたら、世界最悪の人間になっていた」 と自ら語る (笑)。参考になるかはともかく、全世界の下戸諸君、刮目 (かつもく) せよ!! (SS)

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▽「コルクを抜かずにワインを注げるのよ」と、上戸の友人が教えてくれたのが「CORAVIN コラヴァン」($150。amzn.to/3kqilqq) という魔法のようなアイテム。細い針をコルクに差し込み、ワインを注ぎ、針を抜いても自然に穴がふさがるので、酸化せずに数か月〜数年たっても美味しいワインを堪能できるとのこと。もう少し手頃な「AntiOx アンチオックス」($23。amzn.to/3Au8Lby) は、コルク代わりに使うストッパーで、1週間ほど美味しく飲めるそうだ。▽「今日のお酒が飲めるのは、XXさんのお陰です〜♪ イッキ、イッキ〜」。学生時代に入っていたワンゲルの飲み会は、先輩が酒代を払い、酔っても後輩の面倒を見るという鉄則があった。体育会系のノリで相当飲んでアルコールに強くなった。今、思い返すと「一気コール」は完全にセク&パワハラなのだが、 酒を片手に肩を組み、仲間と一緒に騒いで楽しんだあの時間は掛けがえのない思い出となっている。▽「今より減らす、できるなら飲まないほうがいい」。適量の飲酒であれば健康に良いと言われてきたが、それを覆す研究結果が次々と発表されている。普段は適量 (20g) を心がけ、休肝日をきちんと取り、短時間での大量飲酒は避ける。ごく当たり前のことだが、長く酒を楽しむには、これを地道に守るのが得策のようだ。(NS)
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私にとって、お酒はぜんぜん飲まなくても大丈夫な存在。勧めてもらうと頂くし、友人と一緒に飲むのは楽しいが、アルコールには弱い。一口目、二口目は美味しいと感じるが、すぐに全身真っ赤になり、ドキドキと動悸がしだす。そのうちに頭痛も始まる。今はそこでスッパリと飲むのを止めるが、ハタチそこそこの若い頃は飲み過ぎてしまい (私にしては)、帰りのJRの駅で吐いてしまったり、翌日も一日中具合が悪くて寝込んだりしていた。せっかくワイナリーの試飲に行っても、1グラス目のワインで “もう無理!” になってしまうので、味の違いが楽しめない。お酒を美味しく飲める人が羨ましい。そういえば、父も飲むとすぐに顔が真っ赤になっていた。父もアルコールに弱いのかもしれない。父方の祖父は奈良漬けも食べられないほどの下戸だったそうだ。一方、母方の祖父は毎晩晩酌して、ご機嫌になって食卓でニコニコしていた。母は普段飲まないが、飲んでも全く顔に出ないタイプ。妹もまったく素のままでどんどん飲める。彼女は 「なかなか酔えないの〜」 と言っていた。姉妹なのに違うもんだなー。 (YA)
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私はお酒のつまみになるようなものが好きな子供だった。ワカメときゅうりの酢の物、瓶詰めのウニ、蟹味噌など。将来酒呑 (の) みになるぞ、とよく言われていた。大人になってからそれなりに飲んではいたけれど、楽しみはもっぱら食べ物の方だった。大人になっても、つまみ好きは変わらなかった。さらに年を重ねた今、外で飲むことはほぼなくなり、家でワインや梅酒を時々楽しんでいる。体がポカポカして、ゆったりした気持ちになれるのはお酒の良いところ。数年前に、私はある薬を摂 (と) ることになったのだが、その薬が肝臓に良くないとのことで、半年間ほどアルコールを一切とらなかった時期があった。定期的に肝臓の働きをチェックをする血液検査を受けていたのだが、何回めかの検査後に、数値を見たドクターが、薬を摂り始める前よりも結果が良くなっていると驚いていた。普通、その薬を飲み始めると、肝臓の働きが悪くなり、悪い数値に傾く人が多いとのこと。どうしてだろうと考えたら、お酒だ!と思い当たった。1週間に2回くらい、それもグラスに1杯ほどしか飲んでいなかったと思うのだが、それでも肝臓に与える影響は、副作用の強い薬よりも大きかったのだろう。お酒、飲みすぎないように気をつけようと思った。 (RN)
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私のお酒好きは、何度も書いたからお存知の方も多いかも? しかし、飲み始めたのは意外に遅い。18歳で東京で暮らし始めた私は電車通学。終電手前あたりの電車に乗ると、酒臭い。どころか、駅で片足裸足でうなだれているサラリーマンの醜態を見るにつけ、純だった?私はお酒は飲まない、と心に決めた。だから、大学時代のサークルの集まりやコンパでも一切お酒は口にしなかった。学生時代に行ったイギリスやドイツでビールも飲まない。フランスやイタリアでもワインなし。そんな清らか?な生活だったのに、社会が悪い、男が悪い。勤めた出版社の同僚が呑兵衛 (のんべえ) 揃い。それに当時のボーイフレンドも大の酒好き。両者の影響をもろに受けまくった私の体は、あ〜あ、徐々に酒色に染まっていく・・・。飲まない時代に割り勘負けをした負債?を取り戻すかのように、以降は割り勘勝ちへの道をまっしぐら。綾小路きみまろではないが、あれから40年! 歳を取ったら飲めなくなってしまった、という人をよそに、この私は依然として飲む、飲んでいる。若い頃のようにバカ飲みこそしないが、ちゃんと毎日、アルコールで我が身を清めている。消毒後、そのアルコールは体内で燃焼し、翌日のエネルギーへと変わり、私を日々の健康へと導く。どうだ! これぞ酒飲みの自己弁護!(Belle)
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ずっと前に、お医者さんから、「身長/体重 (148cm /体重38Kg) の割合からすると、君の場合、一度に飲んでよいアルコール量はビール1本だね (小ビン 笑)」と言われたことがある。でも、お医者さんの教えには、まったく従ってこなかった。そして、なーんとなく最近、腰が痛いような気がして … これって肝臓? わたしのおじさんにそのことを話すと「バーカウンターに座るときは、右側に座るんだよ。左に男の人がいたら、腰を左向きにねじりながら座るから、肝臓が痛くないぜ」 … は? 笑? 一瞬、意味が分かんなかったけど、すぐ納得してしまった 笑。だいたい、そんなアドバイスをするようなおじさん、いる? 笑。でも、腰の痛みが気になって、お医者さんに聞いてみた。ウルトラサウンドでは原因が分からず、初めてのCTスキャンとなった。おそるおそる、結果を聞きに。。。そしたら、、、「あなた、なーんにも問題ないわよ」 … 「え? そんなハズないです。だって、背中いたいもん」 … すると先生が 「CTスキャンは、あなたのうXこだらけだったけど、ちゃんと毎日出してる?」 … えーーーっ?! 「うXこに圧迫されて、他の内臓もキツイのよ」 。こんなに心配して、CTスキャンの結果は、腰痛の原因が … うXこぉーーー ?? 笑。恥ずかしくて、誰にも言えない! (もう言ってる 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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▽ 私の家系は酒飲みだ。小学生のころ、母方の親戚一同が集まった際、白髪の祖母がビールをがぶがぶ飲み、白米に緑茶をぶっかけた本人曰く『お茶漬け』 をズルズル食べて、その後でタバコを吸っていた姿を目撃したとき、“このばぁちゃん、ただ者じゃねぇ”と衝撃が走ったのを覚えている。そして父親と母親は麦焼酎派、私は缶酎ハイ派、妹はビール派。今では妹だけが愛煙家だが、以前は酒を飲みながら、全員でタバコをパカパカ吸う、何とも不健康家族だった。▽ 酒は飲んでも、飲まれるな、と言われるが、若い頃はそれなりに失敗を繰り返した。最終電車で寝てしまい、終点駅まで乗り越す。帰りのタクシー代の請求金額で目が覚める。学生時代、飲み会帰りに酔いを醒まそうと、車の中で一寝して起きたら朝になっていて、大学のクラスに遅れる。二日酔いのまま通勤途中、吐きそうになって途中下車し、めちゃ汚い公衆トイレにダッシュ。酔っぱらって気が大きくなり、彼氏への不満をぶつけまくって喧嘩になり、「あー、もういいわ」って振られる。▽ 自分への格言:お酒とは上手に付き合いましょう。(IE) |
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私はお酒に強いようだ。飲んでも顔に出ないし、酔いつぶれて記憶がないとか、千鳥足になったこともない。記憶を忘れるほど酔うというのはどんなものなのか、体験してみたいとは思うが、怖くてできない。元々、お酒の味が好きなわけでもないので大量に飲むこともないが、一体どれだけ飲めば自分が酔えるのかも正直分からない。ところで、酒好きという人々は本当に味が美味しくて飲んでいるのだろうか。それとも、程よく酔うことが気持ち良くて飲むのだろうか。なぜかというと、私の周りでは美味しいから飲むという人があまりいないからだ。私の父も生前、若い頃はほぼ毎晩ビールを飲んでいたが、好きで飲んでいるのではなく、寝るために飲んでるんだと言っていた。私の夫も毎晩晩酌しているが、味を楽しんで飲んでいるようには見えない。私も時々、晩酌に付き合ってワインを飲んだりすることもあるが、やっぱり美味しいとは思わない。高いワインと安いワインの違いも分からない。おそらく日本酒を飲んでも味の違いは分からないだろう。お酒ってやっぱり味を楽しむものではなく、「酔い」 を楽しむものなの?(SU) |
(2021年10月1日号に掲載)

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父はスポーツ音痴。私たち兄弟は親子でキャッチボールをしたり、スポーツ観戦に出かけた記憶がない。叔父たちは全員スポーツ好き。家業が化学肥料の問屋だったので、商品化された肥料を保管する縦長の倉庫があった。そこには卓球台やバスケットボールのフープが備えられていた。野球もできたが、縦長の倉庫では「三角ベース」は無理。一塁と三塁を直線の延長上に置いて「長四角ベース」を楽しんでいた (二塁なし)。昼休みや休日には、2人ずつチームを組んだ叔父たちと従業員さんがスポーツに興じていた。私と弟も子供ながら 「兄弟チーム」として参加。遊びとはいえ、大人たちは「勝ち」にこだわり、それこそ真剣勝負。ヒートアップしたのは3番目の叔父 (父の3番目の弟) 夫婦との「親戚友好卓球ダブルス定期戦」。開幕戦は14歳と11歳の我ら兄弟組がストレート勝ち。その後も連勝街道を突っ走る。叔父たちは試合中に夫婦ゲンカを始めるほど本気になっていた。相手がリベンジを狙って猛特訓を積んでいる情報を弟がつかみ、闘争心に火がついた。もはや “スポーツ親善試合” どころではない。白熱ぶりを聞きつけた母が観戦に来て、息子たちがポイントを稼ぐたびに小さくガッツポーズを取る姿は目障りだったが、必死に勝ち続けた。 (SS)
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▽ 運動やスポーツをすると頭が良くなるというメカニズムが、最近の脳科学の研究で証明されるようになった。ハーバード大学医学部のジョン・J・レイティ博士は著書『脳を鍛えるには運動しかない』 の中で、運動をするとBDNF (神経栄養因子) が分泌され、脳内ネットワークを進化させるという研究結果を発表している。BDNFの他にも、幸福ホルモンと呼ばれる物質がたくさん出て、心と身体を安定させてくれるとのことだ。▽ そもそも運動やスポーツはメリットというより、生きることそのもの、したほうがいいものではなく、当たり前のことだったようだ。太古の昔、狩猟生活をしていた原始人は、走ることによって脳を活性化させ、帰り道や危険な場所を覚えて、無事に家族のもとへ獲物を持ち帰ることができたとのこと。▽ しかし、私たちは、もはや狩猟も採集もしていない。何と、座りっぱなしの状態では1時間ごとに寿命が22分間短くなるらしい。さらに怖いのは、座り続けたことによるデメリットは、後から運動しても取り戻せないらしい。できることなら、30分ごとに立ち上がり、軽い運動をすることが薦められている。ここ数年、スタンディングテーブルとステッパーを仕入れて、立ったまま足踏みして仕事をしている友人が増えてきた。還暦を過ぎると、運動、スポーツ、生きることに必死なのだ。(NS)
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昔からずっとインドア派の私。子どもの頃、スポーツ全般が苦手だった。特に、グループでやる球技系がダメダメだった。なので、毎年春に開催される全員参加の球技大会がとても憂鬱だった。バスケットボール、バレーボールは全く戦力にならない。(体育の授業中も、なるべく邪魔にならないポジションにいた) テニス、バトミントンも私のところにボール (シャトル) が来たら、ゲームが終わってしまうので、話にならない。大体、無難なドッジボール参加になっていたのだが、そのドッジボールも本当に嫌いだった。どうしてボールをぶつけ、ぶつけられて楽しいのか、全く分からない。ボールをぶつけられたところは痛くてジンジンするし、狙われること自体が本当に恐怖だった。ドキドキしながらボールから逃げるのが恐くて恐くて、必死で動き回るのだが、逃げまくると少人数に残ってしまって、皆に狙われて、さらに恐い思いをする。さっさと当てられて、外野に移動できるとホッとしていた。ただ外野にいても、ボールを取るわけでも、誰かにぶつけるわけでもなく、ボーっと立っているだけの全く戦力外の人だったので、すぐに内野に戻された (・_・、) (YA)
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△ 私の人生の中で一番スポーツに時間を費やしたのは、中学生の3年間だったと思う。どうひいき目に見ても、完全に運動音痴のグループに入る私だったが、何を血迷ったか、中学校に入学すると同時に、バレーボール部に入部してしまった。授業前に朝練、放課後に夕練、週末も練習、長期の休み中もほぼ毎日のように練習があった。ウサギ跳び、空中イス、足首に重しをつけてのジョギング、縄跳び、いろいろやったな〜。ボールのサーブ、トス、アタックで、突き指は日常茶飯事、両腕はアザだらけ。指導してくれる先生も先輩も厳しくて、何度やめようと思ったか。それでも仲良しの友達と支え合って、3年生で引退するまで続けた。万年補欠で、試合もたまにしか出させてもらえなかったけれど、それでも充実した部活生活だった。成長過程であれだけの運動をしたおかげで、体力も結構ついたと思う。△ 今、私がしているスポーツといえば、海でサーフスキー (カヤックに似ている) をパドルすることくらい。今はタンデムにサーフスキー歴数十年の夫と乗っているので、海が少々荒れていても、ひっくり返ることはまずない。いつか、一人用のサーフスキーを乗りこなして、ベイから海に出られるようになりたい。 (RN)
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私は家でじっとして手芸をやったり、楽器の練習に打ち込んだりするより、外で友達とワイワイガヤガヤやって、体を動かすことを遥かに好むアウトドア人間。中学2年生の時、学校にプールが新設された。海辺で生まれ、夏休みには海水浴に慣れ親しんで育った私としては、水泳部ができて、イの一番に入部を申し込んだ。まだ水の冷たい4月から10月までは、放課後毎日練習。秋冬は陸上トレーニングの練習。それだけでは飽き足らなかった私は、春夏は授業前にひと泳ぎ。秋冬は運動トラックを2キロ走る、という生活を毎日続けて、級友に呆れられた。やがて高校3年生に。担任から夏休みの部活は自粛して受験勉強に励むよう、お達しが出たが、無視。夏休み明けも真っ黒な顔で登校し、担任からお目玉をくらったこともあった。大学時代も水泳部 (ま、1年で辞めたが)。このように、私にとってスポーツとは自分がやるもので、観戦するものではない。しかしこの国に来て、フットボールやバスケ、野球などを観戦して、かなり盛り上がっているのに少し驚いた。それも良いだろうが、やはり自分で体を動かして、結果、健康な体作りへの道を進む方がスポーツの本意ではないかと思うのだが・・・。その証拠に、水泳人生を続けてきた私は、毎日を健康印で過ごせている。感謝。(Belle)
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友達のH部長が、自転車レース?を完走したらしく、ものスゴい運動量だったとえばっていた。運動方法を探していたわたしは、自転車がいいじゃん!っとなった。が、H部長は、石垣島でわたしが酔っ払って自転車ごと溝にぶち落ちたこと、流行のBirdに初めて乗って5秒でこけたことを非難する。わたしは自転車に乗れない、、と。わたしは自動車&自動二輪の免許も持っていて、運転に自信ありあり 笑。で、スポーツ用品店に子供用自転車 (笑) を見に行った。スポーツ店に入っただけで、スポーツした気分になるの清々 (すがすが) しい (図々しい) 笑。店員さんもアスリートみたいにカッコいい 笑。サッカー女子代表のような店員さんに声をかけたら、自転車部門の人を呼んでくれた。試乗させてくれるのねー!と心がピークに達していると、、やってきたオジサマが、ロックを外すのに携帯に書いてある暗証番号を見ているんだけど、その字が、読めず、、笑。眼鏡を探しに行ってしまい 笑、わたしは暫く棒立ち状態 笑。ロック外して出そうとしたら、隣の自転車が横倒しになりそうで、慌ててわたしが支えた 笑。さっきまでガンガン試乗するつもりだったけど、オジサマが気の毒になっちゃった 笑。別のスポーツ店でグイグイ試乗するぜっ!と決めたのだった。 (その場で運動?笑。つーか買わないつもり?笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の運動神経は中級レベルの「中」だ。私の母親は、私に小さい頃からいろいろスポーツを習わせた。最初はモダンバレエ。クラッシックバレエを習っていると思っていた私は、チュチュもトゥシューズも無縁だと知って、やる気をなくした。なので、母は私に器械体操を習わせた。子供なのにうさぎ跳びを強いられ、やれ側転しろ、やれ逆上がりしろだのコーチに言われ、嫌になった。なので、母は私に水泳を習わせた。悪くなかった。でも、プールサイドのガラス越しに母が練習をずーっと見ているのが、ものすごく嫌だった。そして中学に入り、体操部に所属した。毎日の朝練、放課後の練習、週末練習と、かなりキツかった。その反動なのか、高校入学後は “遊び” というスポーツに熱中した。一挙に百貫デブになった。その頃、知り合いにボディボードをしに海に連れていってもらった。衝撃的な出会いだった。車の免許を取得後、いつも週末は早朝波乗りに行っていた。現在は20年以上のジム通い、時々3〜5マイルラン。何だかんだ、私は体を動かすのが好きだと思う。家事で体を動かすのは、本当に嫌いだけど (笑)。(IE) |
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子供の頃からスポーツは比較的得意な方だった。小学校、中学校はバスケットボール、高校は少しだけ硬式テニス、大学でまたバスケットボールをしていた。バスケはチームプレーなので、個人で続けるには、どこか参加させてもらえるチームを探さないといけないので、大学卒業後は自然とやらなくなった。しかし、アメリカに来てから激太りした20代の頃、ダイエットのために始めたのが高校の頃に少しだけかじったテニス。時間がある時は公園にあるテニスコートの横で壁打ちをしていた。ある日、テニスをしていた人たちがダブルスに誘ってくれたのがきっかけで、壁打から人を相手にテニスをするようになった。テニス仲間は良い人ばかりで、週末にテニスに行くのが私の日課となった。おかげで、テニスは今でも私が楽しめる唯一のスポーツとなった。時間があれば週1〜2回はテニスをしに行くが、40代半ばにもなると、昔より確実に筋肉量が減り、頭でイメージする動きに足がついていかない。ついこの間も、無理な動きをして、足がつってしまったばかりだ。長くテニスを続けるためにも、ストレッチや筋トレをしなければと思っているけれど、どちらも嫌いなので、まだできないでいる。(SU) |
(2021年9月16日号に掲載)

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高校時代の夏休みに帰省した私を待ち受けていたのは、旅行中の叔父家族が飼っている犬を散歩させる役目だった。犬種はラフコリー。名前はラッシー。見た目はTVドラマの主役犬そのもの。散歩初日。ある家から小犬が唸り声を上げながら、歯をむき出しにしてラッシー目がけて突進してきた。大きな図体とは裏腹に、ビビッて逃げ惑うヘタレな “迷犬ラッシー”。パワーに引っ張られて転倒した私は右ヒザを擦りむいた。振り返ると、飼い主らしき夫婦 (?) が笑いながら謝っている (笑うか?)。難を逃れた私とラッシーは公園で休息を取っていた。道端に落ちていた古いテニスボール。私が何の気なしに蹴り飛ばしたら、それに反応して脱兎 (だっと) のごとく猛ダッシュ! 後を追いかけた私は、再び転んで左ヒザも擦りむく。翌日、同じ轍 (てつ) を踏むまいと散歩コースを変えたら、他犬とのトラブルもなく、愛犬を連れた若い女性と出会ってを挨拶を交わす。このルートは 「天国」 だった。母に聞いたら、彼女は近所に住む◆◆さんの娘で女子高生だという。「向こうはヨークシャーテリアを連れていた。名前は何?」「マリだよ」と母。翌朝、彼女の愛犬に向かって「マリ、マリ!」と手招きしたら、本人が驚いた顔で「私に、何かご用ですか?」 (母さん、私は犬の名前を聞いたんだ) (SS)
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▽SD動物愛護協会から手紙が届いた。「◯◯病院から、XX (ペット) の思い出のギフトを受け取りました。XXを偲んで贈られたこのギフトは、私たちが世話をしている動物が、新しい家族のもとで生き、愛を与えるチャンスになります。どうぞ、あなたの慰めになることを願っています」。▽昨年12月に天国へ旅立った我が家のネコが世話になった病院が、愛護協会に寄付金を送ったお礼の手紙だ。検査をたくさんして、治療が始まる前に容体が急変。私のベッドの上で逝ってしまった。▽XXは、もともと野良猫だった。情が移って家に入れたとたん、可愛いくてメロメロになった。あれから7年以上、当たり前のように毎日一緒に暮らした。冬の寒い日は布団に入ってきたり、時々、抱っこ散歩やかくれんぼをしたり、たくさんの癒しと笑いをもらった。▽天国のそばには、愛する人と別れた動物たちが集まっている「虹の橋」があるという。いつか時が来たとき、その「虹の橋」で動物と人間が再会して一緒に天国へ行けるとのこと。でも、残してきてしまった誰かさんが悲しんでばかりいると、動物たちは「虹の橋」の入口の「雨降り地区」で寒さに震えているそうだ。ここに降る雨は、特別な誰かさんの流す涙とのこと。まだ、別れの悲しみは癒えないけれど、XXが「虹の橋」で楽しく遊べるように、泣かないことに決めた。(NS)
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生まれて初めてのペットは、犬のコロ だったらしい。というのも、私が覚えている限りコロは、家から車で2時間ほどの祖父母宅の庭にいつもいたから。小・中学生の頃、夏休みや冬休みには祖父母の家に遊びに行っていた。祖母は「コロはもともとYちゃんのパパが拾ってきたんよ。Yちゃんの家にしばらくおったんやけど、パパが連れてきて、おばあちゃんのところで飼うことになったんや」 と言っていた。祖父母の家は農業をしていて、広い敷地に家屋と納屋と田畑、雑木林もあった。コロは茶色でブチ、大きめの中型犬、半垂れ耳に巻きしっぽの 『生粋 (きっすい) の雑種犬』 という風貌だった。裏庭につながれていて、犬小屋があり、ご飯は夕食の残り物の、お味噌汁かけご飯が定番。まさに “昭和の犬” のイメージ。祖父母、叔父叔母、いとこたちに可愛がられていた。祖父母の家に滞在中、コロと叔母といとこと散歩に行っていたのを覚えている。田んぼの畦道や土手で草花を摘んで、貯水池の蒲 (がま) の穂を眺めながら、祖父母の家の近所を探索した。コロは私が18歳になるまで生きた。祖母も3年前に亡くなり、今は叔母が家を管理していると思う。いつか訪ねてみたい。 (YA)
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△私の記憶にある最初のペットはセキセイインコのオスとメス。仲の良いつがいだった。数年飼っていたある日、カゴの扉がなぜか開けっ放しになっていて、オスが逃げてしまった。一羽残されたメスは寂しそうだった。数週間後、出先の駐車場で車内に座っていた母。開けておいた窓からセキセイインコが飛んで入ってきて、座席にちょこんと座った。それも逃げたオスのインコにそっくり。興奮した母は、窓を閉め、そのまま家まで連れて帰ってきた。家族みんなでそのインコをじっくり見つめる。よく見ると逃げた子のようにも見えるし、そうじゃないようにも見える。残されていたメスのいるカゴに入れたところ、喧嘩 (けんか) もせず仲良くできそう。ということで、そのオスインコは我が家に迎え入れられた。△金魚、メダカ、十姉妹 (ジュウシマツ)、いろいろなペットを飼ってきた。鶏、うさぎ、羊、子豚がいた頃は、近所の子供たちが珍しがって、我が家の動物たちに会いに遊びに来ていたっけ。△私が熱望して犬を飼い始めたのが高校生の頃。ゴールデンレトリバーのバロン。陽気で優しい子だった。△数年前から猫を飼い始めた。私の人生で初めての猫と一緒の生活。最初の頃は互いに慣れないこともあったけれど、今は猫たちのいない生活が考えられないくらい。ペットは心のオアシスです。 (RN)
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この国に来て驚いたこと。一軒家だけでなく、アパート住まいの人でさえ、ペットを飼っている人の何と多いことよ。私自身、18歳で
東京での下宿生活、続いてアパート、そしてマンションと住み替えたが、もちろん、日本の狭い集合住宅でペットの飼育が許されている訳もなく、本人も忙しい編集記者生活をしていたので、仕事以外の時間は自分の面倒を見るので精一杯。ペットを飼う、ペットが欲しいなどという発想はどこにもなかった。故に、35lbまでは許されている現在の住まいでも、NOペット。欲しいと思ったことも一度もない。いればいたで、恐らく可愛い、癒されるという感情は生まれるだろうが、若くして兄、母と亡くした私は “死” に対する恐怖が人一倍強いのだろうと思う。死に接するのは、避けられない家族だけで十分だ。ペットは普通なら私より先に死ぬ。死への恐怖心が人一倍強い私が、その死体を自分で処理をするなんて考えられない。故に、ペットは持たないというのが信条。私の友人で「ペットに現 (うつつ) を抜かしている人が信じられない」と、常日頃言い放っていたのが、友達の猫を預かって以来、すっかり猫好きに。それが嵩 (こう) じて、最近2匹も飼い始めて、すっかり虜 (とりこ) になってしまっている。それほどペットの魅力とは大きいものなのね! (Belle) |
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愛知県春日井市の区画整理で、何と、今年3月に家が取り壊しになっちゃった。庭に建ってた1LDKほどの庭付き 笑。“ネコの家” も撤去。ネコ4匹の住み家がなくなったので、新しい家に同居となった。せっかく家を建てるのだから、部屋と部屋をつなぐネコ用ヒミツのトンネルを (床下に 笑) 作ろうだの、ネコ用の梁 (はり) をめぐらそうだの、楽しいだけで、お金のかかる&後のことを考えない 笑 アイディアをバンバン出したけど、総却下 笑。トンネルでおしっこ&ウXコしたら、床からモアっとくっさいし、誰がどうやってトンネルに入って掃除するのだとか 笑、鳥&小動物&トカゲやらをくわえて、頭上の梁を走りまくったら悲劇だとか —— 笑。あとはネコ用地下室。ヒミツ基地、的な? 笑。当然、却下 笑。ネコはご存知のように、やたらと引っかく。結局、4匹はお母ちゃんの部屋に住むことになり、そこには立派な障子があるのだけど、引っかきよけに、障子の上にベニヤ板を貼っちゃった 笑。障子からの木漏れ日もへったくれも、ない 笑。お父ちゃん&お母ちゃん念願の、老後に建てたドリームハウスの平屋なんだけど、相変わらずネコ中心の生活が続いているわー。ちなみにお父ちゃんはネコが苦手。家の中でネコに会って、キャット叫んでネコんだらしい 笑。お母ちゃんはネッコからネコ好きね! 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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今は亡き愛犬『もも』。小学生時代に、どうしても犬が欲しくて親にねだりまくり、家に迎えたミニチュア柴犬。パピーの時はもちろん、成犬になってもかなり童顔で、散歩をしていると、すれ違う人々に「あら~、かわいいね~」とよく言われたものだ。私のおねだり『もも』だったので、夕方の散歩は私の仕事。高校生になって、彼氏が家に来ているのに、私の母は徹底して私を散歩に行かせた。彼氏はその間、昼寝。しかし、そのおかげで『もも』は私にとても協力的♡。夜中に家を抜け出して遊びに行く時も、吠えずに「行ってらっしゃい!」、吠えずに「お帰りなさい!」と私を受け止めてくれた。そんな『もも』を置いて、私はサンディエゴに留学した。そして、そのまま結婚して永住。私の役目は父親が引き継いだ。『もも』の最晩年の頃、父親が毎日抱っこして散歩していたのが近所でも話題になったそうだ。実家に帰ると『もも』の写真が飾られていて、最後まで一緒にいてあげられなかったのを無念に思う。そして現在、パピーを迎えて3か月。まだ、生後5か月。『もも』にあげられなかった愛情まで、たっぷり注いであげたいと思う。(IE) |
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今、我が家で飼っているペットはパグとポメラニアンとシーズーのミックス犬 (雄)。とてもフレンドリーで人間が大好き。ドッグパークに行っても、他の犬たちと遊ぶよりも、彼らの飼い主に駆け寄って挨拶しまくる。また、寒いのも暑いのも苦手で、お散歩は15分ほどですぐに疲れる。私が犬を飼う前に心に描いていた理想の犬は、おすわり、お手、取ってこい、などが一通りできて、リードを外しても、ご主人様の側を離れない「賢い犬」だった。我が家の愛犬は、おすわり、お手だけを気分によってはしてくれる。でも、リードを外せばどこまでも走って行ってしまう。戻ってきたと思うと、手が届きそうなスレスレの距離を走り抜け、また遠くへ逃げる。しかし、他の人が近くにいると、すぐに走り寄ってくるので簡単に捕まってしまい、飼い主のもとへ連れ戻される。よくテレビなどで見かける「おやつの空中キャッチ」もやってみたいと思い、試しにおやつを投げてみた。予想通りに反応が鈍く、頭におやつが当たって床に落ち、落ちたおやつをクンクン探すという間抜けぶり。躾 (しつ) けをちゃんとしなかったので当然だけれど、まぁ、我が家の犬だから、ちょっと (かなり?) 間抜けがちょうどいいし、可愛いのだ。 (SU) |
(2021年9月1日号に掲載)

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▽コロナ禍中の東京五輪開催。恙 (つつが) なく成功裏に終わることを祈っていた。蘇るオリンピックの記憶。▽2000年シドニー大会。女子マラソンで日本人初の金メダルに輝いた高橋尚子選手こそ最大のハイライトだが、彼女の大ピンチを救った「奇跡のボトルリレー」を覚えている? TVカメラが一部始終を捉えていた。先頭集団を走る日本勢3人が給水ポイントに近づいた時、水を取り損ねた高橋選手。それを見た山口衛里選手が機転を利かせて彼女にボトルをパス (!)。水分補給できた高橋選手が次に市橋有里選手に手渡した (!)。その直後、高橋選手が猛スパートをかけ、一気にトップへ躍り出て栄冠を勝ち取る。スポーツマンシップと勝負師魂が瞬時に現れた、絵になるシーンだった。▽これもシドニー五輪。アフリカの (国名は覚えていない) 男子競泳選手が出場した予選組は3選手だけのレース。しかも、他の2人がフライングで失格し、あろうことか、1人だけでタイムを競う異常事態に。この選手は水泳歴が浅く、スタミナが切れてどんどんスピードが落ちていく。それでも会場は大歓声と嵐のような拍手に包まれ、アナウンサーも最後まで彼の泳ぎを情熱的に実況していた。五輪大会で必ず起こる感動的な珍事。それを期待して、今年もTVに釘付けになった。 (SS)
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▽オリンピック期間中、LINEがバンバン飛び交った。「開会式、始まった。この人たち、全員日本にいるんだ〜! なんか感動」「観客席、ほぼ埋まってませんか?」「無観客でも、そう見える設計らしいよ」「国歌斉唱で泣けてきた。夫がいびきかいててよかった」「観戦するはずだった種目 (ソフトボールが当たってた)」「やるはずだったボランティア (ポルトガル語を勉強した)」「無観客だと、練習なのか本番なのか分からない」「ここはひとつ、実況と解説の方に無駄にテンションを上げてほしい」「内村くん、まさかの落下! ウソでしょ!」 ▽オリンピックが東京で開催されると決まった時、「東京五輪、一緒に応援しようね」と父と約束した。でも父は5年前、突然、亡くなってしまった。人生2度目の東京オリンピックを観ることは、高齢者の旗印となっているように思う。1年延期になり、その間に夢破れた人もいたにちがいない。開会式でも、愛する人々を思い出す追悼の時間があった。きっと父は、母と一緒に天国から応援していると思う。▽今の話も大事だけど、未来の話をご紹介。2022冬季:北京、2024夏季:パリ、2026冬季:ミラノ、2028夏季:ロサンゼルス、2030冬季:未定、2032夏季:ブリスベン。開催地がアジアから欧米豪に移る感じだ。・・・自分は何歳になっているのやら。(NS)
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東京2020オリンピックが終了した。Covid-19の影響で1年延期になった五輪。オリンピックもフォローしない、スポーツ観戦もしない家族で育ったせいもあり、いつもは特に見ようとも思わないのだが、今回は東京で開催されていることもあって、興味が湧いた。開会式を観たかったのだが、見逃してしまった。子供たちとYouTubeで探してハイライトを見た。日本らしい演出で楽しめた。今、義母の家に滞在しているのだが、中継が録画されているそうなので、一緒に観たいと思っている。2020オリンピックが東京で開催されることが決まったのは2013年。上の息子はまだ1歳だった! 娘はまだ生まれてもいない。当時4歳の息子がいた友人と 「オリンピックが開催される時、うちの子はもう11歳! 信じられない〜」「うちも8歳になってるよ、想像できないね」なんて言っていたのに、オリンピックが1年延期になったので、彼女の息子くんは12歳、うちの子は息子9歳と娘7歳だ。月日が流れるのが、びっくりするほど早い。 (YA)
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△今回の東京オリンピックの新種目に選ばれた「スケートボード」。男女ともに日本が金メダル獲得で盛り上がった。解説のゆるさで、選手の活躍と同じくらい話題になった瀬尻稜さん。「鬼やべぇ〜」「ビッタビタっすね」「ゴン攻め」など、スケボーを全く知らない私も、瀬尻さんの解説を聞きたくて動画を何度も見てしまった (笑)。△この夏から娘が水泳を再開したので、あまりフォローしていない競技の中でも、競泳には目が行ってしまう。女子200m個人メドレーで金メダルを獲得した大橋悠依選手の泳ぎ、素晴らしかった。普段、スイムチームの子供たち (小学生から高校生の混合) の泳ぐ姿を見慣れているので、オリンピック選手たちの泳ぎに圧倒されっぱなし。そして、今まで気にも留めなかった選手のゴーグルとキャップの付け方が、今回は気になる。みなさん、ゴーグルを付けた上にキャップを装着。これなら、ゴーグルが外れることもないのだろう。ダイブを習得中の娘は、時々ゴーグルが外れてしまい、泳ぎながら付け直している。選手の真似してみたらと提案してみようか。△オリンピックマークの輪っかは、左から青、黄色、黒、緑、赤の順番。『アオキ組合』 と覚えると良いそうだ。知らなくても全然問題なしの、どうでもよい情報。 (RN)
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2016年リオでのオリンピック閉会式で、安倍前総理がマリオに扮して突如登場、会場を沸かせたシーンは、いまだに強烈に脳裏に焼き付いている。リオ閉会直後から、56年ぶりとなる東京での2度目の2020年開催に誰もが希望を抱いていた。それが、それが、突如のコロナ襲来で1年延期を余儀なくされ、なかなか収まらない感染の渦中、開催に関して賛否両論が飛び交うも、五輪委員会は開催をごり押し。今回の実施となったことは誰もが知るところである。そんな中、さあ、ふたが開いた。私の中では各競技もさることながら、オリンピックの一番の興味は開会式だ。200を超える国々から11,000人の選手が、民族衣装的なもの、国旗カラーと同色のもの・・・それぞれの国を象徴するユニフォームを身にまとっての入場行進は、若さに満ち溢れていて、見る者を実に楽しませてくれる。そして各国文化を満載したショーの数々・・・。かくして339種目の力の競演が始まった。日本人兄妹の同日金メダル獲得や、重力に逆らうかのように空を舞うシモーネ・バイルスの突然の棄権、まさかの大坂なおみの3回戦のストレート負け・・・。数々のドラマを生んだ悲喜こもごもの17日間を楽しんだ。やはり、オリンピックは見る者に夢と勇気を与えてくれる。 (Belle)
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無観客オリンピックが理由か、テクノロジーが発達したのかは分からないけど、五輪大会の “いいとこ取り” ダイジェスト (ニュースのように30秒など短すぎず、ライブのように正規の時間帯でもなく、でも、全試合を観た気分になれる、ちょーーど良い時間 笑)、または生 (ナマ) でオンライン観戦できちゃってる。前よりオリンピックに詳しくなった 笑。新種目に注目:3人バスケットってなーーに? 都会の路地のハーフコートから生まれた? みたいな? 笑。BMXバイク女子・・・ズッコケてるし、超あぶない! サーフィン&スケボー・・・サンディエゴで普段から見慣れているモノ?なんだけど、オリンピックで見ると、改めてカッコいいよね〜。地球がひっくり返っても、自分は五輪選手には絶対なれないし、自分の親兄弟、いとこ、姪っ子、甥っ子、遠い親戚、全員ひっくるめても、誰もいないし、なれるウワサは1ミリもなーい。けど、、元五輪選手と五輪選手になった方には会ったことある! ① 前畑秀子選手。幼いころに通ったスイミングスクールで、きれーーいに平泳ぎしてたおばあちゃん。② 伊藤みどり選手。守山スケートリンクに行けばいつも滑ってた。これが私のオリンピック武勇伝! (自分はなんの活躍もなし!笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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以前にも話したが、息子2人はスイムチームに長らく所属していた。だから、オリンピック選手の頑張っている姿を見ると、彼らとその家族、コーチたちのたゆまぬ努力と捧げてきた時間が、少しは想像できる。① 入江陵介選手:数年前、彼は息子たちが所属していたチームでトレーニングをしに来ていた期間があった。その時、2回ほどお話させていただけるチャンスがあった。思ったよりもスレンダーな体つきで、物腰の柔らかい話し方をする人だった。息子たちにアドバイスしてくれて、一緒に写真を撮り、サインまで頂いた。今大会の200m背泳ぎ決勝を観戦していた時は、親戚のお兄ちゃんを応援しているように、かなり熱くなった! ② Jacob Pebley:彼はリオ五輪で背泳ぎ5位の選手。息子たちのチームに所属しているオリンピック出場経験がある選手の一人だ。ある日、息子が練習後に「今日、Jacob Pebleyとレースした。終わった後、あまりにも差がありすぎて笑っちゃった」と言ってきた。まさかオリンピック選手と1対1で勝負するとは! とても刺激になる経験をさせてくれたコーチに感謝! この2つの経験が、オリンピックを少し身近に感じさせてくれている。(IE) |
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7月23日から東京五輪が開幕し、久しぶりにオリンピックの開会式を始めから終わりまで見た。正直、始まるまでは、私もこの新型コロナ感染が拡大する中、開催はさらに延期か中止にした方がよいのではないかと思っていた。いまいち盛り上がりが欠ける中で開会式が始まり、様々なパフォーマンスと各国の選手団が笑顔で入場する姿を見ていたら、あぁ、やってよかったのかな、無事に終わるといいなと、素直に思った。さらに印象に残ったのは、1,824機のドローンによる演出。空中で東京大会のエンブレムを描き、地球へと形を変える演出には感動した。人間ピクトグラムもユニークで面白かった。これらを観ることができたのも、このタイミングで日本にいることができたおかげだ。また、日本で観るオリンピックは、日本人選手を中心に中継してくれるので、アメリカで見るより何倍も楽しめる。連日の柔道、水泳、ソフトボール、バドミントンなど、様々な競技をライブで応援し感動をもらった。コロナ禍の中で開催された歴史に残る異例のオリンピックとなったが、この貴重な体験をいつまでも記憶に留めていきたい。 (SU) |
(2021年8月16日号に掲載)