September 15, 2025

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マイホーム

 

30数年前に最初のマイホームを手に入れた。家屋の造りや外観はどうでもよく、いささかの居住空間と仕事環境を確保したかった。物質は幸せの本質を与えてくれない。漂泊俳人・種田山頭火 (たねだ・さんとうか) のように “草庵の安住感” だけでOK。新居の条件は会社まで車で1分以内の距離という一点のみ。殺風景ながら最初の物件が条件に適い、電光石火の早業 (はやわざ) で購入。見たのは1件だけ。所要時間15分。知人に話したら「よほどの大物か大馬鹿者」とのコメント。床の一部はレッドオークのハードウッドフロアだった。10年後、全体を同じ床板にしようと、フローリング専門業者に張り替えを依頼する。 事前に材料費 (かなり高額)、工事終了時に作業費を支払うことで合意。初日に様子を見に行くと、家全体がレッドオークになっていた。仕事が早すぎないか? 何かがおかしい。業者に尋ねると、口ごもりながら「絨毯を剥がしたら、全部ハードウッドフロアだったよ」。し、知らなかった!!  材料費の返金要求に抵抗する業者。オリジナルの床材は古く、サンディングマシーンで研磨した後、傷跡や隙間をウッドフィラーで塗り替え、縁取りを整える着色と、ウレタン塗装でツヤを出す作業が必要で、相当額になると説得される。どう考えても高くついた。マイホームに無頓着すぎた私の大ポカ。大物? 大馬鹿者? 後者かもしれない。(SS)
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▽「田舎の家とおんなじだべ〜」と祖母。その昔、白川郷の合掌造りの家を見学していた時のこと。 確かに、福島県会津の故郷の茅葺 (かやぶ) き屋根の生家と同じだった。黒光りしている柱や梁 (はり)、土間には釜戸があって、囲炉裏 (いろり) の周りで食事をとり、日差しが気持ちよい縁側もあり、屋根裏で蚕 (かいこ) を飼い、ごく当たり前に、米農家として自給自足の生活をしていた。子どもの頃は、寒くて古い家だと思っていたが、都会暮らしをしてみると、里山と共生したとてもエコな家だと思うようになった。▽テスラやスペースXの代表イーロン・マスクが豪邸を売り払い、5万ドルの狭小住宅暮らしを始めたそうだ。彼が住んでいるBoxabl製の折りたたみ式ユニットCasitaは、台所、浴室、電気、配管、冷暖房が全て工場でセットアップされているので、目的地に到着したら広げるだけでOK。基礎に取り付け、電気、ガス、水道につなげれば生活が始められるとのこと。おしゃれなワンルームマンションのようなもので、すでに5万人以上が順番待ちリストに名を連ねている。さらに大きめのユニットも登場するらしい。▽小さなマイホームが好きだ。35年以上も前に移り住んだ現在の家を丸ごと片付けて、夫婦一つずつのカシータを持てば、やもめになった時の準備もできる。友人夫妻もカシータ計画に乗り気で「同じ敷地に建てよう」と盛り上がっている。(NS)
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yoko
今の家に暮らし始めて12年目に入った。もともと築40年のコンド。12年も住み続けると、いろいろとガタが出てくる。ごく最近では、家の中の半分で電気が使えなくなった。エレクトリシャンを呼び、点検してもらったところ、コンセントの一つが壊れたために、そこと繋がっている全ての所は電気が使えなくなっていた。数年前は水漏れで、バスタブのオーバーフローとシャワーのパイプを取り替えないといけなくなり、シャワールームの壁とタイルも張り替えた。今でも直したいところが沢山ある。ベッドルームのドア (枠が壊れているので閉まらないし、ドアノブを回さないでもドアを押すと開く)、バスルーム: 床 (ラミネートが剥がれてきている)、壁 (穴あり、ペイントも途中止まり)、シンクの上の電燈 (夫が数年前に外してそのまま)、メディスンボックス (夫が数年前に外してそのまま)、タオルハンガー (同様)。キッチンカウンターのタイル (割れている箇所がいくつかある)、キッチンの壁 (ペイントやりかけ途中)。リビングルーム (大雨が降ると窓から雨漏りする)。などなどいろいろあるが、生活に困らないので、そのままになっている。今年こそはどうにかしたい。 (YA)
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suzuko-san
 私はUTC 住まいだが、このコンドに住み始めて22年弱。期待も計画もしないうちに、ここの住所が人生で一番長くなってしまった。確かに、この辺りはゴールデントライアングルと称され、フリーウエイへのアクセスは5、805、52に至近でとても便利。スーパー5店、ドラッグストア2店、ショッピングモール5、6件、数々のレストラン、映画館さえも歩いて行ける距離にある。田舎で人里離れたところで暮らす方を好む人もいるが、私は便利な都会のど真ん中に住みたい、という願望の持ち主なので、ぴったり。おまけに、高層ビルディング群に背を向ければローズキャニオンがあり、複数のハイキングトレイルが楽しめる。実際に、このキャニオンの幾つもあるコースを日々歩いている。まさに都会と自然が共生しているエリアで、引っ越す理由が見当たらないのだ。最初は、まあ2、3年と踏んでいたこの住まいも、長くなるにつれ、このライトが気に入らない、キッチンが古臭い、壁の色がちょっと暗い、などの不満が生じてきて、昨年夏に3度目の改装をし、私のマイホームをほぼ自分色に染めることができた。東京で最後に15年住んだマンションでも「この部屋はなぜか落ち着く」と、人からよくお世辞を言われていたが、マイホームで落ち着けなかったら、どこで落ち着く!? (Belle)
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jinnno-san
区画整理で実家が取り壊しになり、両親が新築を建てた。そこには “わたしの部屋” がある (らしい)。コロナ渦で帰省してないから、わたしの部屋に入ったことがない 笑。わたしがお料理教室を 開けるようにと (料理教室はしたこともないし、やる、とも言ってないけど、、笑)、広い台所 (家の中で最大面積 笑) を設計し、わたしがお茶を教えられるようにと (ちょっと待って。お茶は習っていたけど教えられん 笑)、 炉とにじり口のある茶室まで作った! お母さんも親戚も、だーーーれもお茶を点てた姿を見たことない 笑。どうしよう、、こんなにわたし仕様に作ってもらって、活用できなかったら、、というプレッシャー?を感じて、、いない 笑。誰かが何とかするでしょう! 笑。話は変わるけど、80歳になるお友達は、NM州に2エーカーとか気が遠くなるような広大な土地を買い、小屋を建てて住んでいた。近所は見えない 笑。しばらく留守にして帰ってみると、知り合いが勝手に小屋の隣にトレーラーを据えて、フェンスまで立てて彼女の土地に住みついていた 笑。しかも、その人も2エーカーの土地を隣に持っているのに、なぜ、わざわざ他人の土地に? 笑? 一つ言えるのは、マイホームって住んでる人が違うから、いろんなストーリーがあってウけるーー! (持ち家のない、お気楽なわたし~ 笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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昔からモデルハウスを見学するのが好きだ。日本の実家の近くに、マイホームセンターという住宅展示場があり、暇があると散歩がてらに、いろいろな家を見学していた。見学しながら、将来はこんな家に住みたいな〜とか、素敵なインテリアに囲まれて優雅な生活をしたいな〜、などと妄想するのが楽しいのだ。渡米してからも相変わらず、豪邸が建ち並ぶ住宅街を見て回ったり、モデルハウスを見学するのが好きだったが、オシャレな生活を夢みることはなくなった。最近、新居を購入し、これを機に部屋をモデルハウスのようにしたいと思ったが、自分が思い描いていたような空間がどうしても作れないのだ。インテリアのセンスもないし、どうしてもゴチャゴチャした感じになってしまう。それもそのはず、部屋を片付けても、すぐ そばから子供たちや犬が汚してくれる。娘たちが学校から帰ってきた後、バックパックや脱ぎ捨てられた靴下がソファの上に放置されていたり、犬の ベッドがなぜかリビングのど真ん中に移動されていたりする。家をオシャレにするどころか、片付けるだけで手一杯になる。やっぱり、オシャレなマイホーム生活は諦めて、モデルハウスを見て妄想するだけにしよう。(SU)

(2022年2月1日号に掲載)
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冬休み

 

福島生まれなのに、寒さが苦手な私は、幼少時代から冬休みが楽しくなかった。子供の頃からスキーを嗜 (たしな) む北国出身者は多いけれど、私には雪原で遊ぶレジャーなど論外だった。一度も試したことがない。米国から帰省を目指す季節は、緑樹に覆われる初夏、紅葉に染まる晩秋と決めていた。そんな私が、やむを得ず冬休みを取り、亡き父の追善供養で20年ぶりに極寒の東北を訪れた時、真冬の畏怖すべき情趣に打ちのめされた。山形県最古の温泉宿K旅館。木枯らしの低い呻 (うめ) きを耳にしながら、展望風呂から眺めた、凍てついた墨絵さながらの雪景に言葉を失う。旅籠 (はたご) は迷うほど広く、無造作に置かれた明治期の大型時計と無数の番傘、そして江戸期の古色蒼然とした雛 (ひな) 飾りは “凍結された時間” の象徴。宿泊客は私1人。深夜に再び湯殿へ。雪音が夜の静寂を増幅させるのか、大浴場の湯気の中で「物の怪 (け)」が漂う邪気を感じた。それは海外生活者が味わえる異質な陶酔感なのかも。母国の暮らしに身を投じれば、感性が摩滅して異質さも日常に紛れてしまう。憧れとは無いものねだり? そうだとしても、日本という名の “美しい蝶” の羽根に、もう一筋の神秘的な紋様を見た思いがした。齢 (よわい) を重ねた私への、思わぬ冬休みの贈り物。(SS)
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▽「何がおもろいのか、箱根駅伝ナウ!」「大人エレベーターやauのCMもおもろ〜」。日本の友人から元旦、LINEが届いた。そういえば、冬休みになると、毎年、日本中が箱根駅伝に熱中する。モノの本によると「日本人の『和』 を尊ぶ思想にピタッとハマった競技だからではないか」と考察している。▽その昔、留学生としてワシントン州の田舎町で暮らしたことがある。冬休みになると学食が閉まるので、先生が毎日、留学生をバンに乗せてレストランに連れていってくれた。ある日、車がエンスト。−25℃の極寒の吹雪の中を必死に歩いた。そして、レストランのドアを開けた瞬間、皆、歓声を上げて喜んだ。▽実家では、いつの頃からか「年越しの直前、地球上にいなかったシーン」をカメラで撮リ合うのが恒例となっている。新年を迎える瞬間にジャンプすると、なぜか前向きな感じがしてシンプルに楽しい。今年の冬休みも姪たちが数多くの写真を送ってきた。▽冬休み、日本へ里帰りするたびに、男やもめの父を誘って格安ツアー旅行を楽しんだ。「この観光バスに乗っている人たちはね、みんな幸せな人たち…」と、旅先で父がボソッとつぶやいた。青空の下を歩くとか、知らない土地を旅するとか、それだけで凄いこと。「できない人にとっては、奇跡に近いことなんだ」と教えてくれた。(NS)
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yoko
冬休み。学校に通っていた頃は、冬休みはクリスマスあたりからお正月の「松の内」頃までだったと思う。クリスマスにプレゼントをもらって、クリスマスケーキを食べ、大掃除、大晦日、年越しをして、 元旦に初詣に行き、お節料理とお雑煮を味わって、お年玉をもらい、遊んで、冬休みの宿題をしたら、すぐに新学期が始まる。記憶にとても残った冬休みの出来事などは特にないけれど、冬といえば、小学生のころ、よく稲刈り後の田んぼで遊んだ覚えがある。刈られた後の稲の切り株と、そこら中に散りばめられた乾いた藁は、遊ぶのにちょうどよい大きさだった。集めて三つ編みにしてみたり、ままごとに使ってみたり、輪にして引いて強さ比べをしたり、積んである稲藁にジャンプしたり (見つかると叱られる)、などなど楽しく遊べた。乾燥した藁の香りが懐かしい。子供の頃にたくさんあった田んぼはほぼ住宅地になってしまった。里帰りしても、もう見られないのが淋しい。 (YA)
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△子供の頃、冬休みになると、知り合いの農場の餅つきに参加していた。釜戸で炊いたホカホカのもち米を臼に投入、手際よく杵でつかれたもち米が餅に変化していく様子を見るのは楽しかった。出来立ての餅を、きな粉、あんこ、おろし大根、醤油などに浸けてお腹いっぱい食べたな〜。その場で食べきれない餅は丸餅にして、お土産に持たせてもらった。あんなふうにしてついた餅を、最後に食べたのはいつのことだったか。△冬休みの思い出といえば、町内会の年末福引も頭に浮かぶ。子供の頃からくじ運のない私は、いつも残念賞ばかりだったけれど、弟はくじ運が良く、荒巻鮭やら高級そうな缶詰の詰め合わせセットやらを当てて得意気だった。大掃除やお正月の準備で、なんだか忙ない雰囲気で冬休みの前半が過ぎていき、夜中まで起きていられる特別な日、大晦日を迎える。こたつに食べ物と飲み物を取りそろえ、紅白歌合戦を家族で観る。年越しを迎える頃、おもむろに父が台所に立ち、蕎麦の準備。温かい掛け蕎麦風の年もあったけれど、たいていは父の実家、出雲の割子そば。丸い漆器に蕎麦を盛り、青ネギ、海苔、大根おろしなどの薬味を載せ、甘めのつゆをかけて頂く。あ〜食べたい! 私の冬休みは食べ物の思い出ばかり。(RN)
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子供の頃の夏休みの記憶はいろいろあるが、冬休みに関しての記憶はあまりない。冬休みの宿題をする、年越しそばやお正月料理を食べる以外に、一体、何をして過ごしていたのだろう…。大人になって出版社で働き始めてからは、毎月締切に追いかけられる生活の上、ちゃんとした有給制度もなかったので、休みも自由に取れず。どころか休日に働いても代休さえもない、という会社だった。それを社長に言うと「休みたければ、休めばいいじゃないか」。休日出勤の代休なら堂々と休めるが、そうでなければ休みづらい。ということで、働き詰めの生活だったが、毎年暮れだけは他社よりちょっぴり長い休みがもらえていた。寒いのが苦手な私は、1週間、 カレンダーによっては10日近くもある休みを使って、毎年それゆけ〜とばかりに、近場の亜熱帯の地域に飛んでいく。ハワイ、グアム、タイ、フィリピン、インドネシア…。そんな旅の中の記憶に、タイのコサムイで大晦日に食べた貝のカレーに大当たり! お正月早々、医者探しをする羽目になったり、はたまたロシアのクルーズ船に乗り込み、沖縄、マニラ、香港コースの船上で、ロシア人が作る年越しそばやお雑煮に、あれ?と首を傾げたり、などなど。ということで、亜熱帯地域で過ごす私の冬休みは、何だか夏休みであった。 (Belle)
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jinnno-san
米国にいると、冬休みがない気がする 笑。まあ、学校制度は別として、社会人の間で三が日を含むお正月休みが、みじか~いから?働きすぎなんでねーの? 笑。でも、唯一の休みなので、どこも混んでしまう。予約なしで泊まれるのは、キャンプ場だけだね!(=そのヘンの野っぱら 笑)  そのヘンだから、BBQをした後、無理して寒い外で泊まらなくても、日帰りで帰ってもよし。で、この冬見つけてしまった、最高のちょこっとBBQスポットを! その秘密の場所は、、海が真ん前で、、夜景が素晴らしく、、人がいない、、しかもここは、、駐車場! 笑 (別にヤマシイことは、してないハズ 笑 だけど、パトロールもなし!)。あ、これ以上はバレるから、もう言えない!笑 と、必死に内緒にしていたら、、友達の記念すべき70歳誕生会に行けなくなって、パーティーの写真を見せてもらっていたら、、、は!? この景色は、、、わたしのシークレットBBQスポットではないかーー!!!さっすがは70年もサンディエゴで生きている先輩方には、かなわない! シークレットどころか、その駐車場に堂々と、料理の並んだテーブルを並べ、30人も椅子に座って宴会しているではないか!・・・今後は、おばあちゃん達のパーティーには参加した方がいいって、改めて気を引き締めた冬でした 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の冬休みは3日間だった。12月31日、家族ぐるみの仲で、約15年の付き合いになる友達の家にお呼ばれし、私一人でワイン1本を飲み干して酔っ払い、美味しいものを食べて舌を鳴らし、ウフフ、ワハハと笑って、楽しい大晦日を過ごすことができた。元旦は、無視して山積みになった洗濯物をやっつける。3度も洗濯機を回す。大掃除っぽいのもやってみた。長男はバイト。16歳の次男はずっと部屋から出てこないので、半ば無理やりにハイキングに誘った。PowayのIron Mountain。2人で沈黙したまま、ひたすら登る…。時々、会話をするが、話の内容は、政府の税金の使い方、世の中から戦争がなくならない理由、宗教談義など、まぁ、お固いトピックばかりを吹っかけてくる。最初は普通に議論していたが、時折、思考の違いから半ば喧嘩になる。そしてまた沈黙の行進。下山の途中で日没となり、宵闇の中を歩く。最近の雨続きであちこちに水溜まりがあるのが見えず、ハマること数回。最悪。2日の朝は、友達と Miramar Lake をジョギング。帰宅後は、また始まる学校と仕事の週に備えて、家事に忙殺。あっという間に終わってしまった、私の冬休み。もっと休みたい (涙)。
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冬休みは、子供たちにとってはクリスマス、ニューイヤーと、イベント満載で楽しい休日に違いない。しかし、大人にとっては出費の多い苦しい期間なのだ。おまけに、我が家には12月の誕生日が2人いる。誕生日プレゼント、サンタさんからのクリスマスプレゼント、両親からのクリスマスプレゼントなど、プレゼント三昧で破産しそうだ。さらに、今年は追い打ちをかけるように、長女が「Elf on the shelf」というサンタのアシスタントをする妖精エルフを買ってくれというので購入。このエルフは、クリスマスイブまでの間に、毎晩、子供たちがどのように過ごしているかをサンタに報告し、毎朝、家中の違う場所に移動しているという。良い子にしていると、時々、クリスマス前にプレゼントも置いてくれるとか。えっ! クリスマスプレゼントのほかに、さらに贈り物を用意するんかい! そしてエルフを毎朝、違うところへ置くのかい! これは面倒くさいぞ! と愚痴りながら、何とかやり切ることができた。クリスマスイブの夜、エルフはサンタとともに帰り、また来年戻ってくるのだそう。1年間見つからない所に隠さねば…。そしてまたひとつ、冬の出費の種が増えてしまった。冬休みが嫌いになりそうだ。(SU)

(2022年1月16日号に掲載)
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2022年/お正月

 

アマチュア占星家SSが予見する新年の世相。2年前の木星・土星・冥王星の大会合を起点に、240年続く宝瓶宮 (ほうへいきゅう) 時代へと世界が移行した。権威より個性を尊重し、国境を越えた人道主義が広まっていく。ネットを通じて社会変革を起こす市民革命パワーを獲得したけれど、これからは膨大な情報に呑み込まれず、借り物でない人生の意味を見つけないと幸福になれない。自己価値を確立すれば、他者の価値も受容できる。それが新時代の本質。240年の巨大フレームの中で、2022年はどんな1年になるのか——。前半と中後半の象意は対照的だ。前半は「博愛」。言い換えれば共感と連帯 (双魚宮木星 SEt 金牛宮天王星)。双魚宮を進む木星は3月〜5月に海王星と会合し (双魚宮木星 COj 海王星=両惑星とも双魚宮支配星)、地球上でボランティア活動が盛んになり、優れた芸術作品が続々と登場する。中後半は「挑戦」。変化と開拓がキーワード (白羊宮木星 SEt 磨羯宮冥王星)。経済界が激動し、パイオニア企業が注目の的に。新年前半の世相に先駆的ビジネスモデルのヒントが隠されている。先んじて準備・着手することが成功のカギ。ラッキーカラーは前半が 「群青=ぐんじょう」 (Pantone社の青系と一致)、後半は 「ワインレッド系」。 (SS)
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▽皆さま、明けましておめでとうございます。1987年に誕生した『ゆうゆう』は多くの方々に支えられて、お陰さまで創刊35周年を迎えることができました。これもひとえに皆さまのご支援の賜物と、心より感謝いたします。▽お正月、日本に里帰りすると決まって、実家の面々総出で成田山新勝寺に初詣に行っていた。昨年は、時期をずらしての「分散参拝」の呼びかけがあり、兄が代表して行ってくれた。2022年は平常通りとなり、参道の店も賑わいが戻るらしい。▽毎年、タイムズスクエアのカウントダウンをライブで見ているNYの知人がいる。極寒の中、5時間以上待たなければならず、何と、オムツを履いて出陣するそうだ。▽コロナ禍で迎える2度目のお正月。会いたい人に会えない。行きたいところに行けない。やりたいことをやれない。ありふれた日常こそが特別であり、奇跡そのものなのだ。失ったときに初めて、その大切さに気付かされた。 ▽「たとえワクチン接種が成功しても、収束には2、3年かかる」とアメリカの疫学専門家が語っている。明けない夜はない。やまない雨もない。過ぎ去らない嵐もない。嵐が去った後は、きっと、素晴らしい景色が広がっている。私たちは、過去に繰り返された感染症の大流行から生き残った 『幸運な先祖』 の子孫なのだから。(NS)
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明けましておめでとうございます。アメリカのお正月は味気ない。クリスマスで盛り上がった後のおまけっぽい。メインはカウントダウンのみ。年が明けると、元旦は祝日で、その後、すぐに2日 (3日?) から日常生活に戻る。小学生の子供が2人いる我が家もメインイベントはクリスマスだ。アドベントカレンダー、クリスマスツリーにサンタさんへの手紙、クリスマスカード、どこからか突然に現れるエルフ (親がこっそり用意)、クリスマスイブはサンタさんへのクッキーを焼き (私が)、ミルクを用意、娘のリクエストでトナカイ用に人参とリンゴも用意、クリスマスプレゼント (アメリカはプレゼントの数が多すぎる!) などなど、サンクスギビングデーが終わるとクリスマスの準備で親 (私) がいろいろと忙しい。なので、お正月は特に何もしない。私がひとりでお餅を食べてお正月気分を出している感じかな (最近、娘もお餅を食べるようになった)。たまには日本のお正月を味わいたいかも。除夜の鐘、お節料理、お雑煮、年賀状、初詣、かるた、すごろく、こたつ、みかん、猫、寝正月 (笑)。(YA)
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子供の頃、元日になると、車で2時間ほど離れた所に住んでいた祖父の家に行くのが習わしだった。親戚が集まり、美味しいご馳走を食べたり、いとこ達と遊んだり、楽しかった。クリスマスとお正月を一緒にお祝いするスタイルなので、私たち孫は、クリスマスプレゼントとお年玉をいっぺんにもらえる嬉しい日でもあった。祖父はもう随分前に亡くなってしまったが、大きなダイニングテーブルの定位置に座り、コーラを片手にタバコをくゆらせながら、優しく私たちを見つめる笑顔はぼんやりと覚えている。△実家でよく食べていたお雑煮は、父の故郷、島根県出雲地方の岩のり雑煮。煮た丸餅の上に、岩のりを載せただけ。白黒という、ビジュアル的にもとてもシンプルなスタイル。岩のりは甘辛く味がついていて、柔らかいお餅との相性は抜群。そして、お節料理。母の作る黒豆、田作り、紅白なますなど、 どれも美味しかった。△サンディエゴで迎えるお正月も20回目。サンクスギビング、クリスマス、そしてカウントダウンまでが一大イベントというのに慣れてしまい、ゆっくりとお正月を過ごすこともなくなってしまった。黒豆とお餅くらいはちゃんと食べて、少しだけでもお正月気分を味わいたい。(RN)
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♪もうい~くつ寝るとお正月♪ 幼い頃は、お正月が来るのがみ~んな待ち遠しかった。それは、レコード大賞や、紅白歌合戦などのテレビ特別番組や、おせち料理もさることながら、自分の親からはもちろんのこと、親戚のおじちゃんやおばちゃん、はたまた近所のおじちゃんやおばちゃんからもお年玉がもらえたから、きっと待ち遠しくて仕方なかったのである。やがて、時は過ぎ・・。お年玉をもらう身からあげる立場となり、もっと時が過ぎて、異国で暮らす身となった今では、お年玉をあげる子も孫も甥も姪もいない・・。ちょっぴり淋しい気分が漂うお正月がそこにあるのは確かである。それに加えて、この国ではお正月の三が日、という祝日ムードは全くなく、1月2日から仕事という会社が多いので、お正月気分に浸っている間もなく、つまらないことおびただしい。よって! やっぱり、お正月は日本だぁ~と、毎年暮れには日本へ帰り、温泉に浸った後は、姉と一緒に作るおせち料理と箱根マラソンを楽しむのを恒例としているのが、この憎っきコロナめ! 昨年も今年も帰れずじまい。あ~あ。私のお正月は、♪あと365夜寝るとやって来るう~!♪ その365夜を楽しく、楽しく過ごしましょっと! 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。 (Belle)
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パンデミック事情で、年末年始に実家に帰るのを見送った。サンディエゴでたっぷり “自粛お正月” を過ごす分、ある分野が優れてきた。コタツでゴロゴロしない分、三が日も辛うじて動いている 笑。お家を何となく大晦日ふうに大掃除しようかな、という気分はモリモリ 笑。しかし、何といってもコレ。出来合いのモノに頼らず、お家でお節を作ろう計画! 前から作ってはいたんだけど、家にずっと居るとなると気合いの入れ具合が違う! 5日前からお買い物開始。どこで何を仕入れるか決めているので5軒のお店は回る。5日間ほどかけて具財を一品一品作っていく。根気がいる作業だけど、ズボラなわたしでもする 笑。元旦の朝には、友達の庭からもらってくる見事な椿で生け花をゴージャスに生ける。生け花をバックに三段重のお節箱を置いて、準備していた具財を淡々と詰めていく。インスピレーション豊かな (言い換えるとテキトーな) わたしはちゃちゃっと詰める。仕上がりは、自分で言うのもナンだけど、超超豪快、じゃなくて豪華! 笑。でも待てよ、、自己評価で、わたしアッパレって思っているだけかもしれないよね。お味も見た目も皆さんにはバレないし 笑。でも! これを読んで、想像して、ニヤニヤしながらお正月を過ごしてみてね!(お裾分け、なーし 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は正月が嫌いだ。楽しい記憶が何もないからだ。① おせち:おせちのすべてが不味 (まず) い。毎年、母親がせっせと作っていたから「嫌いだ」と言えず、箸で突っつく。その上、私は餅が好きではない。「食べろ」と言われたら食べられるけれど、味のしない、ぐにゅぐにゅ、ねちゃねちゃした餅は、私にはつまらない食べ物だ。② 蟹:正月に、車で1時間ほど離れた叔父の家に親戚が集まると、おせちと一緒に蟹が出てきた。「お~、蟹だよ!」と、実家では絶対出てこない蟹に頬張りつく。「蟹って、泡っぽい味がするんだな」と子供ながらに感じていた。車酔いしやすい私は、疲れもたまり、帰りの車でよく吐いていた。大人になった今、私は蟹アレルギーであることが判明。両親、気付いてよ・・。③ 新年の抱負:小中学生時代に、冬休みが終わると『新年の抱負』を発表するという課題が出た。年が明けると、なぜ新しい目標を立てなくてはならないのか疑問だった。「自分がやりたいことに気づいた時に、勝手に始めるからほっとけ!」と子供ながらに思った。④ お年玉:学校で「お年玉、いくらもらった~?」と話題になる。友達のお年玉事情を聞くと、私がどれだけ安く見積もられていたのかが発覚する。そういう諸々の経験もあって、私は正月が嫌いになった。(IE)
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毎年、子供たちの夏休みに合わせて日本に帰省しているため、もう10年ほど日本でお正月を過ごせていない。アメリカに来る前までは、 毎年、家族で紅白を楽しんで (演歌はだいたいトイレ時間)、NHKの「ゆく年くる年」を見ながら、ゴ〜ンという鐘の音とともに、アナウンサーの「明けましておめでとうございます」の声で静かに新年を迎えていた。だが年々、家族も高齢化となり、紅白が終了するまで起きている人がいなくなり、私の記憶では自分一人だけテレビの前で新年を迎えていたような・・。そして、日の出の時間を確認してから、 初日の出を拝むために寝る。父が元気だった頃は、家族総出で船に乗って沖に出てご来光を拝んでいたが、いつしか自宅前の海岸で初日の出を眺めるのが恒例となった。今では日本に暮らしている家族がその様子を写真で送ってくれる。初日の出を迎えた後は、雑煮を食べて二度寝。そういえば、我が家ではお正月にカニも食べているが、いつからそんな習慣が続いているのか覚えていない。これが、我が家の新春の過ごし方。ああ、懐かしい。アメリカで過ごす新年も悪くはないが、子供たちにも日本のお正月を味わわせてやりたい。新型コロナが落ち着いたら、今度は冬休みに帰省して、思い切り日本の元日を満喫したいなぁ。(SU)

(2022年1月1日号に掲載)
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2021年を振り返って

 

昨年来のCovid-19パンデミックで年が開け、第5波を迎えて暮れ行く2021年。ワクチン接種が伸び悩み、脅威的な感染力を持つ「オミクロン株」の出現で収束が怪しくなった。新型コロナ情報を追って1年9か月。思うところ多々あり。▽コロナ禍を “リーマンショック以来の危機” と捉え、ビジネス回復とコロナ対策のバランスを取れ!と、お題目のように唱えた為政者。これ、拙 (まず) かったね。サブプライムローン不良債権化が元凶だったリーマンの解決目標は、経済再建のみ。コロナでは経済維持と感染収束という二律背反の命題が衝突しているのに、ひたすら規制と緩和を繰り返し、その悪循環に人々は疲弊していった。政府当局が感染統計の数字だけでなく、この矛盾を正直に表明していれば、世界各地で起きた暴動も回避できたのでは? ▽コロナ収束後も新たなウイルスが人類を襲う? スイス連邦国土研究所は、温暖化で地球上の永久凍土が溶けると、閉じ込められていた未知の細菌やウイルスが放出され、パンデミックが再来する可能性を警告している。コロナで人類はウイルスに脆いという証明をしてしまった。将来も覚悟すべき。どんな危機的状況でも、自らの人生の価値を見つけるために「活動の縮小と意識の拡張」がヒントになりそう。悲観的すぎるかな? (SS)
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▽2021年の流行語大賞に大谷翔平選手の「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれた。日本の世相でもMVPを受賞。日米どちらも満場一致の選出だった。そして、英語版流行語大賞『コリンズ英語辞典』の “Word of the Year” は、NFT (Non-Fungible Token=非代替性トークン) に決まった。作品売買が困難だったデジタルアートにNFTを紐付けて、証明書付きのデジタル資産になるとのこと。BeepleというアーティストのNFT作品が75億円で落札されるなど、2021年はNFTブームの年になったそうだ。▽家にいる時間が増えて、今年はよく料理を作るようになった。そして、冷蔵庫に貼った調味料の黄金比が大活躍した。計量の手間がなくなり、調理がぐっと簡単になった。例えば、ドレッシング=砂糖1:醤油2:酢2:油2、冷やし中華=醤油2:酢3:ごま油1、煮物=砂糖1:醤油1:みりん1など。▽アートの世界にも黄金比があるそうだ。長いと短いの比が1:1.618 (約5:8)。ピラミッド、モナリザ、凱旋門、名刺、トランプ、美男美女の顔、風や星雲の渦、花びらの枚数、ひまわりの種の列数など、自然界や宇宙にまで通じる法則で、神秘的な気持ちにさえなる。コロナ禍の中、人生の黄金比についても考えてみたくなった。(NS)
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2021年も、新型コロナウイルス感染症が収束しないまま過ぎていく。でも、去年に比べると、大分、日常に戻りつつある年だった。グロサリーや日用品以外の店が営業を再開し、レストランではインドアダイニングができるようになり、図書館やレクリエーションセンターなどもオープンした。ガラガラに空いていたフリーウェイは、朝夕、渋滞するようになった。アミューズメントパーク、国内旅行、季節のイベント、アウトドア&インドアイベント、スポーツ観戦、ショー、ミュージカルなどにも行けるようになった。公立学校のインパーソン授業が始まったのが良かった。子供たちも私たちも、1年間続いたディスタント・ラーニングにはうんざりしていた。4月から週4日、半日のみのインパーソン授業が始まって、新学期からは通常のスケジュールに戻った。毎日、子供たちはマスクをして学校に通っている。ほとんど皆がワクチンを受けていない年齢なので、コロナの感染が不安だったが、何事もなく冬休みを迎えられそうだ。2022年はもっと良い年になることを願う。 (YA)
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reiko-san
△8月末、娘、待望の登校再開。約18か月ぶりに校舎に足を踏み入れて、学校生活を再開。終日マスク着用は息苦しさもあって大変だろうけれど、愚痴をこぼすこともほとんどない。校内で実施されている週1回のコロナ感染テストも受け続けている(たまに忘れてくるけれど)。友達とのプレイデートなども、また始まって嬉しそう。新しい変異株の出現で、落ち着きかけていたと思ったコロナ情勢がどうなるのか不安は尽きないが、ジタバタしても始まらない。できることをして、心の健康に気をつけて、乗り越えていこう。△遅ればせながら、ついに我が家もコンポスターを始めた。360度回転するタイプで、雑草、枯葉、刈り草、家庭生ごみなどを入れて、ぐるぐる回転させる。私は回すたびに、子供の頃、商店街で年末にやった福引きを思い出す。いつも最下位の白い玉ばかりで、ティッシュペーパーばかりもらっていたな〜。そろそろ1回目の堆肥ができ上がる頃。ちゃんと良いのができているかドキドキだ。自家製の堆肥をまいたら、我が家の半放置状態の果樹たちも喜びそう。(RN)
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suzuko-san
昨年も今年も、私の最大のお金の道である世界旅行に行けず、多少、小金が貯まったので、「この際だぁ~! このお金を毎日の生活の快適さに使おう」 と家の改装を計画した。工事人を探していた折、近所の人がバスルームを改造したばかりで、その彼女の工事人を紹介してくれた。「彼はあなたを失望させることはない」 と言い切ったので、彼に関して何の情報もないまま、彼女の言葉を信じて契約をした。これが悪夢の始まりだった。長い人生の中で「人は簡単に信用できない」という教訓を学んでいたはずなのに、その経験は少しも生かされず、言われるがままに彼を雇ったのが大間違い。とにかく時間にルーズ。しかも、便利屋としての経験はあったのかもしれないが、バスルームの改築という大仕事の経験は、彼女の場合が初めてだったということを後から知ったが、既に手遅れ。やる仕事、やる仕事でミスを重ねて、当然、工事は遅れに遅れ、6週間の予定が10週間たっても終わりそうにない。堪忍袋の緒が切れて別の人を雇ったら、彼のいい加減な仕事ぶりが露呈して、工事のやり直しやら何やらで、時間もお金も山ほどかかった。この間、泣いたり情けなかったりと、自分の愚かさを嫌というほど見せつけられた。シュン! 自分史に強烈に残る2021年だった。 (Belle)
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jinnno-san
ある朝、頭がクラクラして起き上がれない! 超ビビッたわたしは、お医者さんに診てもらった。三半規管の耳石が剥がれて、バランス感覚を失ったらしく、生まれて初めてフィジカルセラピーを受けた。これを機に、今年は人生で一番、いろんなお医者さんと出会った 笑。「背中が痛い」と言うと、リハビリ専門のジムらしき所を薦められ、普通のジムも通ったことないのに、理学療法士が1人付いて、まるでパーソナルトレーニング 笑。歩く練習をする車椅子の人、勝手にさっさとマシーンに乗ってグイグイ走りだす人 (ほんとにリハビリ必要? 笑)、わたしは腰が少し痛いだけなのに、専用のエクササイズメニューを作ってくれて、優しくトレーニング。「ただの運動不足ョ」とは、口が裂けても言えない 笑。腰痛は腎臓が悪いから?と医者に尋ねると、なぜか検便をすることに 笑。渡されたのは、ホテルのランドリー袋ですか?というくらい、デカ〜いビニール袋 笑。日本から余分に (なぜ? 笑) 持ち帰った検便キットは4cm四方のパケット。アメリカはスケールがでかい! プラスチック製の子供用便器ですか?みたいな、うxこ採取用便座まで付いている! だからランドリー袋なのね 笑。うxこして、年内に検便キットをお医者さんに持っていくのが仕事納めよ!(これが?? 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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オバサンになればなるほど、時間が過ぎるのが早く感じるのはなぜだろう。このままでは三途の川までひとっ飛びだ。▽「3月」 いらない年齢が一つ増えた。「4月」旦那のお母さんが亡くなった。日本人ハーフの私の旦那のお母さんは日本在住。こんなご時世で会いにも行けず、お葬式にも出られずじまいだった。「5月」子犬が家族に仲間入り。人生一転。終わりに近づいていた子育て再開の生活が始まり、現在、なお苦しんでいる。「6月」長男、高校卒業。感極まって、母、涙。同時に、めでたいことにはお金もかかり、また涙。「9月」長男、家から大学通いが始まる。片道約25マイル、毎日、 無事に帰ってくるか心配だ。次男、高校通学再開。5軒先の近所の女の子をカープールすることになった。朝にドロップオフし、帰りに迎えに行くだけだが、娘がいたらこんな感じなのかしら…と妄想を楽しんでいる。「11月」長男がバイトを始める。時々、持って帰ってくるドーナツで、我が家は肥満一直線。東海岸の人はうれしいだろうけれどね(謎解き)。「12月現在」クリスマスプレゼント、アイデアのネタ切れ。プレゼント、現金が一番。これが私の2021年。以上! (IE)
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 2021年も新型コロナウイルスパンデミックの影響が続いた。ある出来事が起こるまでは、さほど実感はなかったが、その余波が我が家にもやってきた。約3か月前、家の引っ越しのためU-Haulのトラックをレンタルし、家財道具を積み込んで、地元のホテルに一晩泊まった時のこと。翌朝5時頃、夫が外の駐車場からホテルの部屋にいる私に電話をかけてきた。「トラックがない、盗まれた」と言う。始めは、夫がトラックを停めた場所を忘れただけと思っていたが、彼の慌てようや状況から、いよいよ本当に盗まれたことを確信した。子供を学校へ送り出す準備をしながら、激しい心臓の鼓動と手が震えているのが分かった。新居に着いても運び入れる荷物がなく、夜は布団もないのでマットレスだけを買ってきて、空っぽの部屋で家族4人で寝たことも、今となっては忘れられない思い出だ。知らなかったことだが、パンデミックが始まってから、引っ越しトラックを狙った犯罪が増えているのだそう。まさかの出来事が自分の身の上に降りかかり、こんな災厄が自分にも起こり得る現実というものを思い知らされた。失ったものも多いが、多くの人の助けや優しさにたくさん触れたことで、壊れかけていた心が救われた、忘れられない年となった。(SU)

(2021年12月16日号に掲載)