米国生活を始めた頃、不思議な世界に足を踏み入れた。ワシントン州の小都市で夢中になったボールルームダンス。コンペティション (競技) とナイトクラブ (社交) のコースがあり、私は競技ダンスを習い始めていた。ご高齢の裕福な貴婦人たちが集まるナイトクラブは「高級サロン」の雰囲気があった。富豪No.1は自動車業界BIG 3の一角を占めたC社の重鎮を夫に持ち、未亡人となってミシガン州から来たミセスP。街の最高級ホテルで催される Xmas Dinner Dance では、ダンススタジオの社長が運転手となり、ミセスPを丁重に扱う。会話がスゴい。“What kind of store is Taco Bell?” “It's a Mexican diner where the general public likes to gather, ma'am.” 男手が足りず、私たち競技組もタキシードと蝶ネクタイで駆り出される。難関はワルツとフォックストロットのフォーメーションダンス。ビッグバンドの生演奏で踊る豪華フィナーレなのに、ご婦人方の体が硬すぎて、男のリードをフォローできないばかりか、逆方向に行こうとする。リハビリの現場だ。前衛舞踊?のようなバラバラな動きに驚き、口を開けている観客。男たちはメチャクチャな動きを必死に封じ、最後にピタリと止めた。会場は拍手の嵐。涙ぐむ客も。3年続いたクリスマスの試練。(SS)
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(2021年12月1日号に掲載)

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▽クリスマスが近づいてきた。この季節になると、サンタが子どもたちと一緒に写真を撮るイベントが行われる。でも今年は、サンタさんが不足しているらしい。サンタ役は高齢の男性が多いのだが、幼い子どもたちのワクチン接種が進んでおらず、感染を心配して働き手が少ないとのこと。やせ形でも女性でも、衣装や化粧でカバー可能!経験者優遇!1時間200ドルの高額時給でサンタ争奪戦が繰り広げられているそうだ。▽「カポーティの『クリスマスの思い出』読んだ。深いよね」。数年前に旦那を亡くした、幼なじみのさっちゃんからLINEをもらった。彼女の実家は肉屋、自分は八百屋で、似た者同士。子どもの頃、 さっちゃんと一緒に、賛美歌を歌う九官鳥を目当てに、宣教師夫妻の家によく遊びに行った。クリスマスになると、夫妻はいつも、フルーツケーキを焼いてくれて、少年と老女と犬が登場する紙芝居を見せてくれた。「クリスマスはどのように過ごしてもよい。でも、ひとつだけルールがあるの。幸せに気づかなくてはならないのよ」。さっちゃんも自分も還暦を過ぎた。たくさんの出会い、別れを経験して、お互いに紙芝居の意味が少し分かるようになった。今年のクリスマスは、祝おう!あなたがいることを。喜ぼう!命あることを。(NS)
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サンタクロースの存在を信じたことがない。クリスマスは、何か好きなものをひとつ買ってもらえる日だった。覚えている一番古い記憶は、クリスマスに可愛い猫のぬいぐるみを買ってほしいと、母に言っていたこと。でも、朝になって、枕元に置いてあったのは、アニメのキャラクター『おはよう!スパンク』の人形だった。マンガっぽい変な目が付いていて、手と足がプラスティック製。全然可愛くないし、欲しかったものと違うし、第一「スパンク」は、犬じゃん、猫ですらない。求めていたのは、ぬいぐるみのフワフワの抱き心地なのに、硬いし。。。むくれて泣いて親を困らせた覚えがある。後日、欲しかった猫のぬいぐるみも一緒に、買いに連れていってもらったと思う (あまり覚えていない)。うちの子供たちは9歳と7歳になった。お兄ちゃんの方は、うすうす感づいていそうだが、 7歳の娘はまだサンタクロースを信じている。子供たちがサンタクロースにお願いするものを見つけるのは大変だ。娘が5歳の頃、「鳴いて歩くユニコーン」をサンタにお願いしていたのだが、こちらの都合でユニコーンのぬいぐるみになった。娘は 「あれ?」と言っていたが、「サンタさん、動くユニコーンを見つけられなかったんだよ」と話したら納得してくれた。ごめんね。。。 (YA)
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保育園でのクリスマス会。可愛らしいクリスマスケーキにたくさんのお菓子。ロウソクに火が灯り、幻想的な雰囲気の中、興奮する園児たち。私はロウソクの先にある何かを取りたくて、何気なく腕を伸ばした。すると、先生の悲鳴が。見ると、私の服の袖が火に触れてチリチリと燃えている。火はすぐに揉み消されて、袖口が焦げただけで済んだ。小ショック状態の私。そこへ、サンタクロースが大きな袋を担いで部屋に入ってきた。私がイメージしていたサンタさんは、西洋人で太った大きなおじいさん。目の前にいるのは、痩せた日本人のおじさん。白い髭も偽物とすぐ分かる。「あれ、この人、園長先生だ」と気付いたけれど、それを指摘したらいけない気がして、この人はサンタさんだと信じているというフリをして、プレゼントを受け取った。随分と子供らしくない子供だったなと思うが、他の子も同じこと考えていたかもね。子供って大人が思っている以上に、結構、いろいろ分かっているものだから。なつかしい、クリスマスの思い出のひとつ。(RN)
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無宗教の私は、本来ならキリストが誕生した日とされるクリスマスには一切関係ないはずだが、それでも世の中が浮かれているのに、それを無視するほどの主義主張もなく、なんとなく世の流れに乗って、プレゼントを交換したり、集ったりはしているが・・。日本では、幼い頃はツリーを飾って、家族でクリスマスケーキを食べて、その雰囲気に浸っていたが、18歳で東京に出てみると、クリスマスは何となく、恋人が集う日という雰囲気が漂っていた。それがアメリカに来ると、家族が一堂に会し、厳 (おごそ) かに?お祝いをする日というコンセプトを知った。ま、それはさておき、私の人生の中で、これが正真正銘?のクリスマス、という日があった。出版社を辞めてプーになった私は、当時スイスに駐在していた姉家族を訪ねてチューリッヒに飛んだ。当初1か月の予定だったが、結果、ずるずると3か月も滞在し、その間にクリスマスを迎えた。姉が「せっかくだから教会に行こう」と言うから、信者でもないのについて行った。ひとしきりミサを聞いて、深夜に教会を出たら・・何と、雪がしんしんと降り始めているではないか! それまでの人生で経験したことのない、静寂な厳粛な美しいホワイト!クリスマス。雪が舞う中でたどる家路。今もその光景はくっきりと目に焼き付いている。メリークリスマス! (Belle)
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幼なじみの実家 (寺) は1429年創建らしい! (by Wikipedia) (←うっすら知ってたけど、そんな大昔? 約600年前!?笑)。遊びに行くには、 境内にある、うすっきみわるーいお墓の横の、ほっそーい小道を通らなければならなかった。超超超、肝試し・・・。今、考えると、そんな古刹 (こさつ) なんだから、人魂 (ひとだま) の一つや二つ、浮かんでいたに違いない 笑。寺のトイレは雪隠 (せっちん) (外!)、風呂は薪 (まき) 風呂、襖 (ふすま) と障子 (しょうじ) の和室だらけの空間に囲炉裏 (いろり) がポツンと置いてある、みたいな 笑。だけど、ファミリールームには現代に合わせてコタツがある。クリスマスイブには、、昭和に流通していた、高さ80cmほどの緑色のプラスチック製折りたたみ式ツリーに、スナックの飾り付けに使うようなギラギラ銀色のモール (というらしい) をグルグル巻きにし、綿を雪のように敷いて、赤・黄・緑のライトもピカピカと光らせる。ケンタッキーフライドチキンとケーキも出してくれた。「仏教もキリスト教も、何でもお祝いするのが、うちの寺なのよ」と、幼なじみのお母さん 笑。テキトー感たっぷり 笑。お父さんは和尚さんだからツルッパゲなんだけど、その日だけはサンタの帽子を被る。意外と似合ってるし、喜んでいた 笑。よく考えたら、、クリスマスを寺で過ごしていたという、ヘンな日本の (わたしの?) 習慣だわね 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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日本でクリスマスと言えば『恋人とのクリスマス♡』。毎年のように、クリスマスイブにはディズニーランドへ行った。長蛇の列も、寒さも、イルミネーションきらめく “夢の世界” ではまったく気にならなかった。山下達郎の “クリスマスイブ”。松任谷由実の “恋人がサンタクロース”。すべて私のための歌だと思えて、ハッピー、ハッピー。ところが、長年付き合ったその彼と別れた後のクリスマスイブは、惨めな日へと変化した。昼間の仕事では上司が「今夜は彼とデート?」。約30年前には問題にならなかったパワハラコメントを尻目に、夜はコンビニのバイト。相手がいる仕事仲間はシフトに入りたがらず、残り物の男子と2人で閉店の11時まで働くことに。「いらっしゃいませ~」・・まぁ来るわ、来るわ、カップルが。「何飲むぅ?」「あったかいのがいいなぁ~」「オレ、金出すよ」。レジ脇の温かい飲み物を取り出す彼らを見ている私の顔は微笑んでいるが、心の中は「クソ〜、イチャイチャしやがって」。しまいには、お泊まりセットを買う女まで登場。心で「あらぁ、おめでとうございます (怒)」と叫ぶ。閉店後、11時半過ぎに帰宅。あと15分、あと3分・・。やった! クリスマスイブが終わったぜ!と喜んだ、クリスマスの思い出。(IE) |
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最近、娘たちが、サンタクロースは私ではないかと疑っている。さすがに9歳と11歳にもなれば、学校でもお友達が「サンタなんていないのよ」なんて言う子もいるだろう。それは仕方がないと思う。しかし、去年のクリスマスの後に事件が起こった。長女が私の携帯でAmazonのWish listを見てしまったのだ。そこには、サンタから自分たちに贈られたはずのプレゼントがあった。長女が私に疑いの目を向け始め「本当はお母さんが全部買っているのか」と問い詰めてきた。私はとっさに「買うわけないじゃん。サンタさんがくれたプレゼントって、いくらくらいなのかな〜って調べただけだよ」とごまかした。長女が半信半疑の様子だったので、私は「疑うなら、来年はお母さんに欲しいもの言わないでよ。それでサンタが欲しかったプレゼントを持ってきたら、お母さんが買ってない証明になるよね」なんてことを言ってしまった!! もうすぐクリスマスシーズンがやってくる。長女はまだ私にクリスマスに欲しいものを言ってくれない。そこで日本の家族に協力を頼んだ。クリスマスにもらおうとしているものを娘から聞き出してと。娘がサンタを信じ続けるのか、もう信じないのかが、今年のクリスマスにかかっている。(SU) |
(2021年12月1日号に掲載)

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▽母はスイカを知らなかった。別のスイカは知っている。入院中の親戚を訪ねるため、仙台駅に降りた母は「スイカ発売中」という横断幕を目にした。夏の見舞い品にふさわしい。JRとJA (全農) が提携してスイカを売っていると早合点し、駅員さんに売場を尋ねると「券売機で買えますよ」。最初に引換券を買い、それを渡したら持ってきてくれるのね。引換券の購入ボタンが見当たらない。同じ駅員さんに「代金をここで払います。小ぶりでもいいわ。1個運んできてもらえません?」とお願いする母。全てを理解した駅員さん。「ICカードのことです。申し訳ございません」と深々と頭を下げていたが、肩がユサユサと揺れていた。母は「(横断幕に) Suicaと書いてくださる? カタカナにはアクセント記号が必要ね。スイカとスイカは違うのよ」と憤慨していた。▽東京生活を高校から始めた2年目の冬。私は上京した同郷の3人を得意気に案内していた。中野サンプラザを目指して中央線特快に乗り込ませたら、新宿駅始発は中野駅に停車しなかった! 知らなかった! 慌てて逆方向の電車に飛び乗ったものの、M男の提案で彼らの貴重品を入れていたボックスを棚に忘れる。ドタバタ騒動は誰の責任か、という無益な審議が始まり、“東京人” を鼻にかけた私のチョンボが元凶とされた。 (SS)
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▽いくつになっても、知らないことが多い。最近、ピーナッツは「ナッツ」ではないことを知って驚いた。アメリカ人の2020年の平均寿命は77.3歳。コロナの影響で前年より1歳半も短くなり、第2次世界大戦以来の大きな落ち込みとのことだ。世界第1位の日本人女性と10歳も違う。「取り付く島もない」が正しく「取り付く暇もない」は間違いだと知ったのは、社会人になってから。「ひ」と「し」が入れ替わる浅草のおじさんの方言が元凶かもしれない。結婚当初、「40のスペルは Fourty じゃなくて Forty」と旦那に言われ、自分の無知ぶりを痛感した。でもなぜ Forty なのか、未だに分からない。▽知らなかったと言えば、友人が先月送ってくれた「手動瞑想」という動画。手を動かして行うマハサーティー (Mahasati Meditation) というビギナー向けの瞑想で、試しに数日ほどやってみたところ、これがとても良い。意図的に手を動かすので、集中力が維持しやすく、今まで1分も持たなかった自分でも5分も続けることができた。瞑想をすると幸せホルモンの「セロトニン」が出るらしい。瞑想の効果が、医学的、科学的に証明されて、今、多くの一流企業が瞑想を研修に採用しているとのこと。ご機嫌でいるためのスキルとして、毎日、数分間続けていきたい。(NS)
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私は西日本出身だ。アメリカに留学して、ホストファミリーと1年過ごした後、アパートを借りた。初めての一人暮らし。日本の食材が買いたくなると、日系マーケットに行っていた。そこで判明した知らなかったこと。西と東では食べ物が違う (ものもある)。例えば、ひなあられ。子供の頃から食べ慣れたひなあられは、しょうゆ味の茶色と緑、エビ味のピンク色、塩味の黄色、 海苔味の黒のまだら、そして一番好きだった甘いマヨネーズ味の白色のあられがミックスされたお菓子。なのに、ひなまつりの時期に日系マーケットに並んでいたのは、パステルカラーの砂糖菓子。「最近、ひなあられは、こういうのに変わったんだ——。残念」と思っていた。数年後に、関東と関西のひなあられが違うということを知った。それから海苔。お店で売っているおにぎりは「海苔に味がなくて美味しくない」と思っていた。西は味付け海苔がメジャーなのに対して、東は焼き海苔なのも知らなかった。うちの方では焼き海苔は手巻き寿司の時にしか使わない。日系とは関係ないが、ハーフアンドハーフも1% や Fat Free等のミルクの一種だと思っていた。ある時、シリアルにかけて食べたら、ビックリ! (YA)
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△ガラパゴスケータイを略してガラケーということを、ほんの少し前まで知らなかった。周辺地域から海によって隔離され、独特の生態系を維持してきたガラパゴス諸島が由来、とのこと。こんな名称を考えつくなんて奇天烈 (きてれつ) すぎる…。△アメリカ育ちの夫と付き合っていた頃、彼を日本の私の実家に連れて帰った。年の離れた私の弟にローラーブレードのやり方を説明する彼。「ニーをベンドして!」 kneeもbendも知らなかった小学生の弟、何をどうすればよいかわからずポカーン。△日本に住んでいた頃、OBの誰それさん、OGのあの方など、なんの違和感もなく聞いたり使ったりしていたが、OB=Old Boy、OG=Old Girl だということ知らなかった! ていうか、知っている人、いるのだろうか? 確かにOldかもしれないけれど…。こちらだと alumni/alumna になると思うが、交換留学でサンディエゴに来た頃、 私はこの言葉を知らなかった。留学先の大学キャンパス内の店で、デザインに惹かれて「ALUMNI」と大きくプリントされたスウェットシャツを購入 (言葉の意味を把握せずデザインに走るのは、私の昔からの悪いクセ)。卒業生でもないのに堂々とよく着ていたな〜。知らないって怖いもの知らず (笑)。(RN)
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私の友人の一人に、非常に (異常に?) 猫好きの人がいる。私と彼女はインドに約3か月、インド料理を習いに行った仲だが、その際、飼っていた猫13匹の世話を旦那に押し付けて出かけ、旦那は迷惑三昧の日々だった。その彼女に「ねえねえ、あれ知っている? これ知っている?」と尋ねると「ううん、あれも、これも知らない。私に恥をかかせないで!」と真顔で憤慨する。「私があなたより知っていることは、 猫以外には何もない」とも。もちろんこれは謙遜だが。私は普通に生きてこなかった分だけ、確かにいろいろな経験から、ほんの少しだけ多めの雑知識があるかもしれないが、しかし、しかし、世の中見渡してみても、まさしく知らないことだらけ!である。こんな私に、日本語を教え続けて14、15年の生徒がいる。小学校の低学年だった彼は今では大学4年生になり、勉強に励んでいる。最近のレッスン内容は、この『ゆうゆう』 の記事の理解に努めることと、自由会話。時事問題だったり、宗教関係だったり、映画やお酒の話題だったり。23歳の彼はかなり博学で「先生、これ知っている?」と聞かれるたびに、「知らない」と答えなくてはいけない自分がそこにいる。件 (くだん) の彼女ではないが 「〇〇君より知っていることは、日本語以外に何もない!」。ああ、情けない! アーメン! (Belle)
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ラテン音楽やニューオーリンズ・ジャズ、西欧フォークソング系が好きなわたしは、車内で聴くのは、もっぱらティファナのラジオ局でスペイン語放送 笑。日本の歌謡曲? (いつの間にか Jポップって呼ばれてる? 笑) は、ぜーーーんぜんと言っていいほど知らない。知ってる知ってる!って思う曲は、よーく考えると、実は2年に一度行くかどうかのカラオケ屋さんで、他人が歌っているのを聞いたことあるから 笑。それを歌ってるご本人は、もちろん曲名さえ知らない 笑。耳に残るはカラオケだけ 笑。友達のH部長は、いつも車でJポップらしきものを聴いている。知ってると思う曲は、他人が歌ってたカラオケ。知らない曲は「誰コレ? 新人?」と尋ねると15年前の曲だったり 笑。新人でも新曲でもない 笑。世の中では懐 (ナツ) メロなんだろうけど、わたしが知らないばっかりに、わたし的には、その曲は新曲で新人さんになってしまう。知らないって、ある意味いいよ~。だって、これから知る楽しみがあるじゃーん! ということで、皇室ご婚約ニュースなどと比べても、ホットでも何でもない4年前の記事を知らなかったもんだから、今頃読み出して楽しんでいるわたしであった (つまり、、ニュースも音楽も10歩ぐらいズレていながら充分に楽しめる、便利なわたしってこと 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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少しだけ知った「障害者の世界」。私には中学1年生の時に出会った親友がいる。同じ高校に進学し、通学は毎日一緒、高校時代の青春を謳歌し、成人して国内外を問わず、あちこち旅行した。彼女は中学、高校時代、学年一のモテモテ女で、市のミスコンで1位になった。サンディエゴにも会いに来てくれた。そして、15年ほど前に「私、病気になった。脊髄小脳変性症だって」と言われた。それは『1リットルの涙』という映画やTVドラマ化もされた病気。国指定の難病で、徐々に体が動かなくなる病気だ。彼女の症状は進行し、やがて障害者用の車に乗り始め、仕事は障害者枠、杖をついて生活していた。その後は、車、仕事も諦めて車椅子生活。現在は施設で暮らしている。上手に指が動かせないので、テキストではなく、 ライン電話で彼女がゆっくり話すのを聞いている。帰省する時しか会えないけれど、私も彼女のおかげで「障害者の世界」を学ぶことができている。車椅子の使い方、外出時のトイレの確認とサポート、 誤飲を防ぐための食べ物の確認など。一番辛いのは、周りにいた人が次第に離れていき、孤独を感じることだ。まだまだ足らないが「障害者の世界」をもっと知り、彼女を支えていきたいと思う。(IE) |
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△アメリカでは、子供の望ましくない行動を注意しても繰り返してしまった時、年齢×1分を、椅子や部屋の隅で過ごさせ、脳をクールダウンさせる「Time Out」というしつけ方法があるのは知っていたが、寝かしつけ時に赤ちゃんをひとりにして、泣いてもすぐにあやしたりせず放置する「Cry it out」という sleep training があることを、つい数日前に近所のママさんから教えてもらった。うちの子はもう大きいので必要ないけど、知っていたとしても、泣かせたまま放置するのはできなかったかも。赤ちゃんの頃から別の部屋でひとりで寝かせるのは知られていることだが、日本人の私には、なかなかワイルドな子育てだなと感じた。 △つい最近、あの有名な『チョコレート工場の秘密』(原題:Charlie and the Chocolate Factory) の作者が児童に大人気のロアルド・ダールであることを知らなくて、11歳の娘に手厳しく叱られた。これ、知らないとダメでしょうか? △自分の母方の祖父母の名前をつい最近まで知らなかった。母がまだ高校生の時に祖母は亡くなっているし、祖父も私が生まれる前には他界していたので、あまり話を聞いたことがなかったのもあるけど、どうして一度くらい、私も尋ねなかったのだろうと、今さらながら思った。(SU) |
(2021年11月16日号に掲載)

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40年ほど昔、仲間に無類の釣りバカがいた。魚釣りに全く関心がない私に、その男は「磯釣り」の醍醐味を熱っぽく話し始める。① 海景色が素晴らしい。② 魚との知恵比べ (潮流と波を計算しないと釣果なし)。③ 釣り上げた魚をそこで食べる幸福感。3つの魅力が太公望への扉を開くと得意気に話す。聞いているうちに興味が湧いた。「道具は俺が全部用意する」と言うので一緒に行くことにした。目指す漁場は南三陸の離れ小島。「♪村の渡しの船頭さんは♪」の童謡に出てきそうな小船で移動。「夕方に迎えに来るよ」と言い残して船頭さんが帰った後で、ヤツが青ざめた。持ってきたリュックに道具と餌が入ってない! 当時は携帯電話がなく、非常時の連絡も取れない。早朝から何もできない青年2人。仕方なく、訥々 (とつとつ) と身の上話を始める。相手の話に耳を傾け、自分の考えも聞かせながら互いに親睦を深めたが、暇つぶしも限界がある。水飴 (みずあめ) のようにデレ〜っと長く伸びた不毛な時間。沖を行く船や空を横切るセスナ機に手を振ったり (SOS!!)、無言で「ラジオ体操第1」を始めたり、小学校で覚えた唱歌『静かな湖畔』を輪唱したり、足元を横歩きしているカニ、岩場で休んでいるカモメに話しかけたりしていた。(SS)
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▽「受話器は左手、ペンは右手」「人の話を最後まで聞く」。新入社員時代、毎日のように先輩に怒られた。「自分の話にしない」「相づちを連発しない」「すぐに答えを返さない。2秒待つ」。 特に「聞く力」について、耳にタコができるほど注意された。でも、ちゃんと「聞く」のは意外に難しい。未だに教育係の先輩の声が聞こえてくる。▽世の中には「とても聞き上手な人」がいる。そして「聞き上手は、解決上手」。私の祖母もそんな魔法のような力を持っていた。働く両親に代わって家事をしてくれた祖母は、優しく包み込むように話を聞いてくれ、私の心をも変えてしまう不思議な力があった。▽FBIが人質ネゴシエーター向けに発表しているレポートによると、交渉で重要なのは、相手の話を聞く「傾聴」だとされている。口出しや反論や評価を一切せずに、短い質問を繰り返して、相手の話した内容をコンパクトにまとめ、合いの手を入れ、定期的に頷 (うなず) く。世界でも難易度の高い交渉に取り組んでいる彼らが使っているテクニックは、普段の私たちの会話にも役立つような気がする。▽人間が自分の話をするという行為は、美味しいご飯を食べている時や、現金をもらった時と同じくらいに癒されるとのこと。祖母やFBIを見習って「聞く力」を身につけ、温かいつながりを広げていきたい。(NS)
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今回のテーマは「話す/聞く」。初対面の人によく「大人しいね、静かだね」と言われてきた私は話し下手だ。あまり話さない人と一緒にいると、お互い無言になってしまう。母も静かなタイプだし、父はとても無口な人。妹も大人しいので、うちの家族はとても静かだった。なぜかおしゃべりな人と一緒になってしまった私。夫は電話で2時間、3時間と話し続けられる。本当によく喋 (しゃべ) る。ただ、夫の話を聞き続けるのは苦痛だ。くどい。同じ話を何回も繰り返す。だらだらと長すぎて、何が言いたいのか分かりにくいので、疲れてくる。私が話し下手なので、聞き上手になろうと思っているのだが、無理っぽい。適当に聞き流したり、長々と続く話の途中でいなくなったり (私は忙しい!)、または途中で口を挟んだりすると「人の話を聞かない!」と怒られる。最近は小学生になった子供たちが夫の話を聞かされている。まだ小さいので素直に聞いているが、そのうち、煩 (うるさ) がられるようになりそう。子供たちが独立して夫婦2人になったら、面倒かも。(YA)
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△日本に住む父と時々ビデオチャットで話をする。携帯電話をそばに置いていないのか、こちらからかけてもなかなか取ってくれない。やっとつながって画面に映る父の顔。すっかり白髪だが、まだトレードマークの天然クルクルパーマの髪は健在で、肌も艶やか。こちらに自分がどう映るかはお構いなしで、上を見上げて目をつむりながら、近況をあれやこれやと話してくれるのを聞くの好きだ。 私の方も、最近の我が家の様子やらを話す。父はふむふむと楽しそうに聞いている。取りとめのない話を1時間ほどして終了。月2回ほど話せたら良いほうかな。△これは父との会話に限ったことではないのだが、日本に暮らす人と話すとき、私は自分の日本語を話す力が退化している事実に愕然 (がくぜん) とすることがある。いろいろな単語やら表現がスムーズに出てこないのだ。適切な日本語の言葉があるはずなのに、なんというんだっけ? あれ? それとも、この英単語は日本でもう公認されて使った方が自然なのか、などなど。簡単なことを話しているだけなのに、疲れてしまうことしばし。英語もまだ見習い中なのに、日本語までおかしくなってしまったら、どうにもならない〜。頑張ってYouTubeで日本の動画を見て、日本語維持に励もう (笑)。(RN)
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話し上手に聞き上手、が理想であるが、往往にしてそういう訳にはいかない。私もおしゃべりであるが、私の友人は私を遥かに超えていて、話し始めたら私に話すチャンスをほとんど与えない。放っておけば平気で1、2時間はしゃべり続ける。一つの話題が終わって、やっと私の番が来たかなと思うや否や、即座に別の話題を見つけては、すかさずしゃべり続ける。再びしゃべり始めた彼女に、またまた相槌 (あいづち) を打つのが精一杯。私も彼女に伝えたいことがあるのに、とにかくそのきっかけが捉えられないのだ。例えば、私が旅行から帰って来たとすると、普通は「旅行、どうだった」と聞いてくると思うのだが、そんなことより、自分の周りに起こったことをさっさとしゃべり続ける。それを彼女に訴えたことがあった。そうすると「〇〇さん (私のこと) だってしゃべっているよ」。「××ちゃん (相手のこと)、私はあなたへの相槌を打っているだけだよ、よ~く観察してみて」と、もちろん反論する。はたまた私もその傾向が強いが、人がまだ話し終わらない段階で、その人の話の結末を勝手に想像して言う人もいる。その結末は往々にして異なっている。すると「人の話を最後まで聞きなさいよ」ということになる。ああ、話上手、聞き上手への道は遠い。聞か猿、言わ猿がいいのか。(Belle)
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今さらだけど、ネットで昔のドラマを見始めた 笑。以前は興味なかったけど、パンデミック以降、テレビっ子 (昭和すぎる? 笑) ならずネットっ子になった 笑。そこで出会ったのが2005年放送の「タイガー&ドラゴン」。ヤクザが落語家と兼業する話。落語のことは「笑点」だけが頼り 笑。寄席にも行ったことないし、古典落語って、なんで聞いたことのある演目を、もう一度聞きに行くの? 同じ演目を違う落語家がどーして話すの?と思っていた。例えば漫才。自分の好きな漫才コンビだとしても、同じ演目はもうお腹一杯じゃなーい? 10年後くらいなら話は別かもだけど。ましてや同じネタを違う漫才コンビが扱う? いやいやいやーー、普通にないでしょ 笑。でもドラマでは、ド素人のわたしには、十分すぎるくらい古典落語を堪能できるのさ。このドラマを見るまで「饅頭 (まんじゅう) こわい」を勝手に歌だと思っていた 笑 (別のドラマで ♪ 饅頭こわい ♪ って歌ってたので ← ヒドイ 笑)。 別の噺家が話すと、同じ演目でも聞き手は違った楽しみ方ができるのねってナットク。ニッポン人に生まれてきたんだから、伝統芸能をちゃんと把握して、演目の1つや2つくらい見ないとね~。と言いつつ、今日もYouTubeで 「ドリフ大爆笑」 を楽しんでいるわたし 笑 (← ダメだぁこりゃ 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の旦那は話すのが大好き。話したいと思うと我慢できず、以前は、私が用を足しているとバスルームのドアを3cmほど開けて話したり、シャワーを浴びている時は隣の便器に座って私に話しかけていた。そんなおしゃべりな旦那は、結構、話し上手。そのおかげで、得をすることも多々ある。① アバクロ:私がAbercrombie & Fitchで買い物をした時、定員に失礼なことをされた。家に戻り、旦那にそれを愚痴った。特に、何も求めていなかったけれど、旦那が報告のために店長に電話した。$100の商品券をもらった。② リーバイス:旦那が “1本” のジーンズを買った。自分のミスもあったけれど、洗ったら縮んでしまった。Levi'sのカスタマーサービスに電話して、どうしたら直せるのか聞いた。 数週間後、新しいジーンズが “2本” 届いた。③ ブレッドマシーン:1年ちょっと使ったブレッドマシーン。突然動かなくなった。レシートは残っていないけれど、旦那がCuisinartのカスタマーサービスに電話。数週間後、同じモデルの新しいブレッドマシーンが届いた。他にも多数。どんなマジックトークをしたんだろう? 毎日一緒にいて聞く方は大変だけれど、時々は使える旦那だ。(IE) |
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私は話すことが得意とは言えない。子供の頃なら、それで問題なく過ごせてきたかもしれないが、年齢を重ねるにつれて、話すことは嫌いなどと言っている場合ではなくなる。「話す」「聞く」というコミュニケーション能力は仕事や生活に必要不可欠なものであり、 このどれかが欠けていると、人間関係もうまく構築できない (たぶん)。今では我が子の手前、良いところを見せないといけないので、 頑張って、学校関係の人や近所の人などとできるだけ話をすることを心がけているが、やっぱり苦手だ。最近、娘の学校で知り合った日本人の方が、同じ時期に同じ学区に来たばかりのはずなのに、スゴい数のママ友がいることに驚かされた。すでに学校中のママさんたちを知っているのではないかと思うくらいに。どうしてそんなに知り合いが多いのか、その人に聞いたら、ただ話しかけて仲良くなっただけだと言う。そして、話すことが得意なのだとか。羨ましいことだ。私は、まず自分から話しかけることは余程のことがない限りしないし、仲良くなるほど会話を弾ませることもできない。話すことが苦手なら、せめて聞き上手にとも思うが、気の利いた言葉を返してあげることが無理なので、結局、聞き上手にもなれないでいる。困ったもんだ。(SU) |
(2021年11月1日号に掲載)

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姪は日本の広告代理店「H社」傘下の制作会社に勤めている。クライアントの切実な要求と〆切厳守の重責を担い (それは業種を問わないが)、とりわけ広告クリエイターには言葉にならないストレスが重くのしかかり、連日、夜明けまで残業を余儀なくされる。変わっているキャラの持ち主が多く、仕事に行き詰まると、常人には考えられない奇抜な行動に出て、新たな発想源を求めるらしい。姪の同僚の1人は動物園から無断でペンギン1匹を連れて職場に現れ、皆を驚かせた。少し遊んだら返しに行くと言うが、どうやって “拝借” して、どのように “返却” したのかは謎だ。創造力とスピードを求められて無理を続け、命を落とした同僚もいたという。姪が言うには「顔の色」の変化が危険サイン。入社当初は情熱にあふれて顔が赤いが、残業で過労気味になると黄色に、次に不安と焦燥感に支配されて青味がかってくる。紫に変わるとヤバイらしい。冗談めかしながら話す姪も死の恐怖に苛 (さいな) まれ、一度退職して休養を取り、数年後に復帰した。ビジネス現場は過酷だ。バブル期に「24時間戦えますか」と歌い上げる栄養ドリンクのCMがあった。近年は「H社」のライバル「D社」の女子社員自殺がクローズアップされるなど、働き方改革が進む。日本の企業戦士の姿が変わりつつある。 (SS)
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▽「ねえ、私って、変わっている?」 日本に永久帰国した友人がLINE電話をしてきた。彼女は35年暮らした米国生活に終止符を打ち、今年の春、熱海市の引退者用リゾートマンションに移り住んだ。「毎日温泉&ゴルフ三昧。日本食も美味しい」と当初は威勢が良かったが、どうも、マンションの住人たちとしっくりいかないらしい。バツ3独身、というだけで十分に変わっているが、自己主張が強く「スーべニア売り場は何階?」「アンビバレントな世界ね」などと、会話に耳障りな英語をちりばめる規格外キャラクターは、マンション中で格好の餌食 (えじき) となっているに違いない。でもそこは、アメリカで鍛えた元キャリアウーマン。「日本人の笑えるネタたくさんあるよ。国際基準に合わないこといっぱいね。エッセイ書くことにした」と、数週間でタフな精神を回復させた。▽「リーダーシップ毒キノコ論」というものがある。飢饉 (ききん) に瀕した集団に、怪しいキノコを果敢に食べる変人がいて「これ大丈夫」と言うと、他の人たちが食べるようになる。結局、そういう集団が最終的に生き残るらしい。考えてみると、自分の周りには、そんなキノコを食べそうな好奇心旺盛な「変な人」が多い。特に、海外在住の日本人は、良くも悪くも変わっている人が多い。「普通」でいることのリスクを考えると、変人って最強かも。(NS)
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私の名前には、よくある昭和らしい「子」が付いている。小学生のころ、クラスメイトの「えりか」「まい」「あい」などの「子」が付かない名前や「かりん」「なぎさ」「あこ」「みずき」など、当時はちょっと変わっていた名前が羨ましかった。ちなみに、3学年下の妹は「子」が付いていない。母に「どうして私の名前は平凡なの? “子” が付くのも古っぽいし、もっと可愛い名前がよかったのに!」と言ったら、「あんたは “なぎさちゃん”、“かりんちゃん” って雰囲気じゃないでしょ? ◯◯子で合っているよ」と笑われた。変わった名前といえば、1990年代後半ごろから出始めた「キラキラネーム」。当て字すぎて読めないし、読み方も「どこの国の人ですか??」みたいなのがいっぱいある。ペットに付けるのもためらうような不思議な名前の数々。確かに、子供の名付けは迷う。マタニティハイで変わった名前を考えてしまいそうになるのも分かる! でも、息子の名前はシンプルで呼びやすいものにした。娘は生まれ月から取ったクラシカルな名前 (1920年代に人気だった!)。ふたりとも、自分の名前を気に入っているそうなのでよかった〜。 (YA)
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変わっているといえば、私の父。造形教室・幼児教室を自営していたので、自宅にいることが多かった。サラリーマン家族の友達がほとんどで、家にいつも父親がいる、ということ自体がかなり変わっていた。肩まである癖っ毛の髪に、トレードマークのチューリップ帽子。子供番組に出てくるノッポさんにそっくりで、あの頃の一般的な日本のお父さんのイメージからはかなりかけ離れていたと思う。父の周りにも、今思うと変わった人が多かった。彫刻家、写真家、有機農法の農場を共同体で営む人たち、山奥でヤギたちと暮らす人、などなど。子供の頃に父に連れて行かれた場所は、遊園地やテーマパークというのはほとんど記憶にない。代わりに、農場で鶏や豚の世話、田植えの手伝い、テントと食料を車に積んでの行き当たりばったりのキャンプ (野宿という方が合っているか) など。天然酵母のパン作りにハマって、庭に大谷石 (おおやいし) で釜をこしらえ、不定期のパン販売をしていたことも。最近は、日本でもナチュラル志向の生活スタイルを追い求め、まさに私が子供時代に体験していたようなことを楽しむ人たちが増えているようだが、30〜40年前の日本では「変わっている」にカテゴライズされる父と、その家族だった (笑)。(RN)
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私も多少変わった人間だと自負しているが、私の出版社時代の友人ほど変わっている人を、私は他に知らない。彼女はカメラマンとして入社。しかし4、5年で退社して、アフリカやインドの放浪の旅に。挙句 (あげく) にはパラオのホテルで働くも、そのホテルが破産。ならばと、レストランを使って勝手に居酒屋を始めたりと、臨機応変に生きる力を発揮してきた。その後帰国するも、日本は居心地が悪いと、香港から陸路で英国を目指すべく、人生の荷物をバッグパック一つに詰めてエイプリルフールに出発。シベリア鉄道などを乗り継いで、たまたま立ち寄ったパキスタンはアフガンとの国境沿いの、少数民族が暮らす村の祭りに魅せられたとかで、その村にすっかりハマってしまった。電気も水道もトイレもない。文字も紙もない。羊の生贄 (いけにえ) を神に捧げるような種族との生活を始めた。で、日本政府の協力を得て、ダムを作って村に電気を通したり、トイレを作ったり、彼らの生活向上にひたすら取り組んでいる。そんな彼女の村への貢献が認められ、今年春に外務大臣賞を授与された。イスラマバードの日本大使館まで手弁当で出かけ、もらったご褒美 (ほうび) が風呂敷1枚だったと苦笑していた。30年後の現在はダムやごみ焼却炉を作っているはず。こんな変わっている人、周りにいます?(Belle)
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近所に昔から評判の El Zarape (エル・サラペ) っていう小洒落 (こじゃれ) た小さなタコ・ショップがある。ルームメイトの元彼氏がそこで働いていた縁で、レジの人はもちろん、厨房の人まで顔見知りになった (どうやって厨房と? 笑)。大人気店なので、いつも並んで混んでいる。顔見知りでもニコッと笑って手を振るくらいで、話はできない。その彼氏がいなくなってからは、あまり行かなくなり、そしてパンデミック。まったく行かなくなった。先々週、数年ぶりにブリト−を買いに行ったら、お店は暇そうで、男子がおしゃべりしていた。…ら、その男子が「XX子っーー!」(← わたしの名前 笑) って呼ぶから、誰よ?と、振り返ったら、、厨房の男子じゃんかー! 笑! 名前まで覚えていてくれて! 自慢げに友人のH部長に話すと「あーたが変わっているから、覚えられているのでは?」「はあーーっ?」。ブリトー熱がやまず、2週続けてお店に通った。今度は顔なじみだったレジのおっちゃんが「久しぶり!」と声をかけてくれた。嬉しい〜と思いながら番号札を持って、外で呼ばれるのを待っていたら、スピーカーから番号ではなく「XX子〜XX子〜」笑! 名前呼ばれたから「はーい」と返事して、ブリトーを受け取りに中へ 笑。スタバじゃないですから 笑。変わってるのも、ワルくないでしょ〜 笑。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は48歳だ。若い時に48歳と聞いたら『すごいババア』と感じていた年齢だ。自分がその歳になってみると『すごいババア』ではないと思った。しかし『ちょいババア』になってきているのは認める。美容師泣かせの多毛だった私が、今では髪が細り、白髪だらけ、プラスM字はげ。若い頃は「天使の輪」がピカピカしていたが、水分カラカラで天使は逃げた。“満月” “あんぱん” と言われていた丸顔も、今は頬の肉もなくなり、 “ムンクの叫び” に近づいてきている。体重に関しては、アメリカ生活26年、かるーく30パウンドは増えましたね。全身鏡で体を横から見ると、胸より腹の方が出ている状態。これではいけない!と、1年半前から2週間に1回、友達とハイキングに行っている。目指すは15,000ステップだ。Nintendo SWITCH の Ring Fit Adventure も始めた。ワクチン接種後にはジムにも戻った。今のところ、体重は安定している。そしてだ! Nintendo SWITCH 2つ分の高額をかけ、1年プランのシミ取りに通っている。バチバチとシミを焼いて、ピーリングをして、きっと美しくなると信じている。私の熟女ボディは「一歩進んで五歩下がる」ように日々変わっているのだ。(IE) |
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私が人から「変わってるね」と言われたら、私って天才?と勘違いして、かなり喜ぶと思う。「変わっている」ということは、むしろ人より抜きん出た才能や個性があり、天才肌のような人だと思うから。「普通だね」と言われるより、とてもいいことのように思う。私の子供たちを見ていると、姉妹でも個性がかなり違う。長女はなんでもコツコツと計画を立てて地道に努力するタイプ。真面目で曲がったことをとても嫌う。次女はコツコツ物事を進めるタイプではないが奇抜な発想の持ち主。グループの中に入るより1人でいたいタイプ。しかし、学校へ行くと2人ともすごく大人しくて、引っ込み思案 (じあん) になってしまう。家ではスゴくふざけたり、踊ったりして、みんなを笑わせたりするのに。2人の家での様子を他人に見せたら「変わっている」と言われるのだろうか。いや、おそらく、多くの人が家の内外 (うちそと) では違う人格になっているかもしれない。でも、家族といる時の自分も他人といる時の自分も同じ人間だ。もしかしたら、誰もが家では個性丸出しなのに、外では “普通” を装っているのかもしれない…なんてね。(SU) |
(2021年10月16日号に掲載)