September 15, 2025

緊急事態

 

 
10年前、東日本大震災後の親族会に出席するため日本へ向かった私は、成田到着から帰省まで緊急事態の波状攻撃に見舞われる。① 空港の両替所で財布を紛失! どこを探しても出てこない! スられたか? パニックに陥った私は「財布が消えました!」と案内係の女性に助けを求めたが、相手はどうすることもできない。迷惑そうな顔で「困りましたね〜」。財布は同じ色のビジネスバッグから垂れていたショルダーストラップに引っ掛かっていた。「ありました!」と喜ぶ私に、迷惑そうな表情で「よかったですね〜」。ヘタリ込んだ私は自販機の前で「お〜いお茶」を立て続けに2本飲み干す。② 数分後、エスカレーターに右足が巻き込まれて転倒! 激痛で歩けない。空港職員の介助を受け、車椅子でクリニックへ搬送される。この事故は足を切断する恐れもあるとか。幸いにも、私は軽い捻挫と診断され、安静にするため空港近くのホテルに一泊。③ 翌朝、痛みは消えたものの、JR 運行管理システムに不具合が生じ、新幹線が運休! 福島行きの高速バスに飛び乗ったが、東北自動車道が出てこない (車窓から見えた牛久大仏に疑惑)。常磐道、磐越道経由の遠回りルート! 事故も発生して大渋滞。サンディエゴから福島市に着くまで丸2日を要した。親族会も出られず…。(SS)
blue_line932
▽最近、笑っていない。コロナ禍に、ペットロス…。さすがに、笑う気になれない。そんな中、友だちが「少し笑え〜」と川柳をどんどん送ってくる。「足りてない 金と会話と 太陽光」「なぜ吠える マスク姿の 飼い主に」「頑張った ただ家にいる それだけで」「タイピング 上達したが 口下手に」「我が家では 濃厚接触 とんとなし」「大声を だすなと孫に 叫ぶ祖父」「我が妻も マスク美人の 仲間入り」。ふふふ。。。と笑ったら、少し元気が出てきた。世界中が非常事態の今だからこそ、笑いを忘れないようにしたい。▽「リモートで しっかりつくのは 脂肪だけ」。近頃、メキメキと体重が増えている。ここ数年で15キロぐらい増えた。「趣味はダイエット、特技はリバウンド。リバウンドしちゃったけど、またダイエットすればいいや」と安易に考えていたのが大間違い。どうやら、ダイエットに抵抗性ができて、痩せにくいカラダになってしまったようだ。そこに加齢による基礎代謝の低下なども加わり、力士街道まっしぐら。カラダに悪い。本当に緊急事態だ。 (NS)
blue_line932
sheau-ching-san.gif
空港での待ち時間や、 搭乗手続きの前に、ラウンジでのんびりしたり、レストランで食事したり、免税店で買い物したりなど、時間つぶしにウロウロした経験は誰にもあると思う。私はいつも余裕を持って早めに空港へ行くタイプ。日本での留学中、台湾への里帰りを年に1回していた。ある夏休み、いつもの里帰りで、成田空港で早めにチェックインを済ませ、出国エリアへ向かい、搭乗手続きのラインで待機していた。なぜかその日はびっくりするほど混雑していて、全然進まない状態。このままじゃまずいと思った瞬間、私の名前が呼び出された! 手を挙げたら、乗務員らしき方が 「早く、早く! こちらで出国手続きを!」と一番前に連れていかれた。終了後に「お客様、ゲートまで走ってください! XX便が間もなく出発します!」 と言われた。ええっ?と思って、その方の後ろについて走り出した。心臓が止まるほど息が苦しかったけれど、ギリギリで旅客機に乗れた! 何と! 私を除く乗客全員がボーディングしたので、予定時間よりも出発が早まったという。何度もアナウンスしたらしい。。。あんな緊急事態は最初で最後にしたい !! (S.C.C.N.)
blue_line932
yoko
「緊急事態」と言えば、カリフォルニアでも昨年の3月から広まった新型コロナウイルス。緊急事態宣言が最初に出たころは、買い占めでストアからは品物がなくなり、外出自粛、在宅勤務でフリーウェイはガラガラ。レストランはもちろん、公園、ビーチも立ち入り禁止だった。家のそばのものすごく小さいファモサスラウ湿地帯にも、ご丁寧にキープアウトテープが張り巡らせてあった。夏の終わりに、ようやくレストランの営業が可能になり、いろいろ元通りになっていくかと思ったら、ホリデーシーズンからサンディエゴはまた「緊急事態」になった。「緊急事態」なのだが、みんな慣れてしまったのか、飲食店が生き残るためには仕方がないのか、今でもアウトドアダイニングをしているレストランをよく見かけるし、まれにインドアダイニングしている人もいる。ショッピングモール、公園、ビーチにも人がいっぱい。道も混んでいる。これでは新型コロナ感染拡大がなかなか止まらない。ワクチン接種で状況が良くなっていくことを願う。 (YA)
blue_line932
reiko-san
△車の故障は私にとって、いつでも緊急事態。これまでに経験した緊急事態は、パンク、エンジンがかからないの2種類。タイヤに釘か何かが刺さって、ゆっくりと空気が抜けていくパンクしかまだ経験していないけれど、自分でタイヤを替えられないから、とても焦る。頼みの綱はいつも夫。スペアタイヤに取り替えてもらって、あとはタイヤ屋さんに持っていって直してもらうか、新しいタイヤを取り付けてもらうか。エンジンがかからないのも、自宅でならまだ良いが、外出先で発生すると最大級の緊急事態となる。何度かのピンチは、やはり家族が頼り。車はトーイングサービスを呼んで馴染みの車修理屋さんに運んでもらい、私は家族の車で自宅に戻ってこられて助かってきた。これを自分一人で、全てやらないといけないとなったら、緊急事態がさらにパワーアップすること必至だ。△何年も前、飼い猫のとらちゃんが3日間ほど家に帰ってこないという緊急事態が発生した。庭のどこを探してもいない。フェンスを乗り越えてどこかに遊びに行ってしまったのか。もうこの家に嫌気がさして家出をしてしまったのか。諦めかけていたら、ある日、ひょっこり、何食わぬ顔で戻ってきた。もうちょっとで、次の猫をアダプトするところだったよ〜、とらちゃん (冗談です)。 (RN)
blue_line932
suzuko-san
普通、緊急事態というものは、滅多に起きるものではない。それが、忘れもしない、たった1日でこれでもか!というほど、緊急事態に見舞われた日がある。それは…ニューオリンズへ旅立つ日であった。朝、乗り換え空港でのランチの準備にと、チーズを削 (そ) いでいた時、誤って親指を削いでしまったことが悪夢の始まり。大量の血を止血するのに大わらわ。なんとか止血してタクシーを待つが来ない。連絡すると、朝の予約のはずが夜になっている、という。何とかギリギリで空港へ着き、チェックインしようとすると、飛行機の予約がない。そんなバカな! 予約済みの印刷紙を手に交渉、交渉。離陸5分前に飛行機に飛び乗った。ほっ! 飛行機はアトランタ乗り換え。乗客の一人に彼の地の時差を聞くと2時間だと言う。時計をセットして、アトランタ空港でサンドイッチとビールでしばし休憩。食後の運動にと空港内を散歩していたら…我々が乗るはずの飛行機のゲートが閉まる案内が? え!? 慌てて駆けつけるも、目前でゲートがクローズ。嘘でしょ! 時差は3時間のアトランタ、2時間のニューオリンズのトリック?に惑わされたのだ。次便は満席。結果、別便の切符を新たに買い直して、ニューオリンズに着いたのは深夜。まったくぅ! 忘れもしない緊急事態だらけの1日だった。とんでもないよ! (Belle)
blue_line932
jinnno-san
スーパーでもショッピングモールでも、おトイレの位置は把握してて “緊急事態” は免れる。なんならトイレの質も選んでいて (笑)、同じトイレなら、ちょっとは我慢して (笑)、ビーチにある公衆トイレより、ホテルのロビーの高級感あふれる方にわざわざ行く。砂漠へキャンプに行ったとき、トイレはそのヘンだから (笑) 緊急事態にはならないけど、そのヘンとは言いつつ、キャンプベース (テント) から歩いて30秒以内の茂みに隠れて (隠れたつもりで 笑) する。キャンプ中は、ネコのように同じトイレスポットを決めていて、同行したH部長にも個別のスポットがあり、そこはわたしの真横の茂みなので、同時にトイレに行く場合、かすかに姿は見える (笑)。朝、自分のスポットに行き、当然オXツ丸出しで用を足し、パンツを穿 (は) こうとしたそのとき、、誰もいないハズの大自然の砂漠に…人声が!、、しかも団体で!(笑) … あ!と思ったが、声から判断してもう3人くらい来てる (笑)。とっさの判断で立ち上がり、使用済みティッシュを握り締め (きたね〜!笑)、パンツ穿き終ってないけどスカートだったから、隠蔽 (いんぺい) セーフ (笑)。ニッコリ “Good morning!” とキャンパー精神をあふれんばかりに発揮して、オXツ丸見えの緊急事態だけは、乗り越えたわ (多分バレてたけど 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
blue_line932
① 緊急事態:マリブ編。一昨年のサンクスギビングの時、旦那の実家からの帰りにマリブに行ってみようということになった。車を停め、歩き始めた途端にお腹がグルグルと来た。100mほど先に Jack in the Box が見えた。小走りで向かう。トイレは男女共用が2つ。間に合った!が、なかなかスッキリしない。外からノックされる → 立ち上がる → またお腹がグルグル → 座る、の繰り返しで約15分ほど引きこもり。もう大丈夫だろうと外に出ると、そこには10人以上のトイレ待ちの列が…。鋭い視線をヒシヒシと感じながら逃げるように立ち去った。② 緊急事態:ランニング編。私は時々、走りに行く。マスクをしたくないので、メジャーなルートではなく近所を走る。そこでいきなりグルグル。ヤバい、家からかなり離れた…。そうか、公園のトイレか! いや、マスクを所持していない…。早く家に帰らなければ (涙)。が、走る振動でお腹が余計に刺激される。おしりをしっかり絞め、早歩き、これでは時間がかかり過ぎる! 冷や汗が出てくる…。頭の中で「緊急事態発生!緊急事態発生!」とサイレンが鳴っている。もうダメ! マスクなしで公園のトイレへ! それ以後、マスク携帯で走っています (笑)。(IE)

(2021年2月1日号に掲載)

 

▽東日本大震災の大津波襲来により福島第1原発で爆発事故が起こり、地域住民に避難指示が出された2011年3月12日。母と弟が暮らす福島市は危険地域に指定されなかったが、事故から3日後に「氷雨」が降った。風に乗って上空に滞留していた放射能は雨に捕捉されて市内に降り注ぎ、放射線量が急上昇。あの日、何も知らぬ弟は生活用水を求めて街中を走り回り、それこそ「ブラックレイン」 の中で被曝した。あれから10年。弟に異常値はみられないが、後に晩発性障害が出たとして 「原発被害」 を証明できるのか? 行政の対応に一般市民の生命保障が及ばぬ現実・・何ともやるせない。▽結婚後5〜6年頃は夫婦喧嘩が絶えなかった。価値観の違いに我慢の限界を越えてしまい、登山で鍛えた足腰にモノを言わせて妻が私に飛び掛かったり、雨のフリーウェイでカーチェイスを展開したり。険悪な空気に居たたまれず、時間外のウォーキングに出た私に突然の雷雨が襲った (天気予報はハンパなく外れる)。ゲリラ豪雨の中、妻の車が近づいて私を救出。互いに表情も硬く無言のまま帰宅したが、その日を境に平穏な生活が戻った。▽私流の宮澤賢治『雨にも負けず』:「雨ニモマケズ  風ニモマケズ  (中略)  欲ハナク  決シテ怒ラズ  イツモ静カニ笑ッテイル  (中略)  ソウイウ者ニ  私ハ ナレナイ」(SS)
blue_line932
▽貧乏学生として高田馬場に住んでいたころ、神田川がよく氾濫していた。大雨が降ると、必ず「ウーウー」と洪水警報のサイレンが街中に鳴り響いた。「昔はココまできた」と肉屋さんが熱っぽく語っていた。その後、環七の下に貯水トンネルができ、いつの間にか神田川は暴れなくなり、靴屋も玩具屋もコンビニやスーパーに変わった。▽学生時代、ワンゲルの個人山行で薬師岳に登った。山は快晴、下界は豪雨。下山したら、前日の大雨で橋が流されていて呆然となった。すると、山小屋のおじさんが、資材運搬用に使っている籠 (カゴ) を指さす。ゴーゴーと大きな音を上げる濁流を眼下に、ワイヤーロープを引きながら川を渡り切った。求めてやまない非日常がそこにあった。▽サンディエゴは雨に弱い。めったに雨が降らない分、まとめて降る冬になると、道路が冠水したり、家屋が浸水したりする。2018年12月の豪雨では、カールスバッドの郵便局の屋根が落ちたり、ミッションバレーの住民に避難が呼びかけられた。我が家の寝室の天井にも、南米チリのような細長いシミが出現。大掛かりな屋根の修復が必要とのことだったが、どの見積もりも2万ドル前後と高額で、修理を延期。今年も雨降りのシーズンを迎えたが、南米チリがこれ以上広がらないことを祈る今日この頃だ。(NS)
blue_line932
sheau-ching-san.gif
母国の台湾と「第二故郷」の日本はよく雨が降る国。特に、梅雨の季節になると、湿気によるジメジメやベタベタ不快感が一気にアップ。20年+前に、雨があまり降らない、乾燥して爽やかなサンディエゴにやって来た。気候はとても快適だが、湿度が高いところから乾燥しているところに来たので、もともとは油っぽいお肌 (あぶらとり紙をたくさん使って、油を取っていたのに) が急に乾燥肌 (クリームをたくさんつけないとパリパリ) になった。さらさら、つやつやの髪の毛がボサボサになり、静電気も起きやすくなった。本当に困っていたが、人間の体って、時間が経てば環境に慣れるもんですね。あれから20年+以上経って、こっちの生活に慣れて、体も “アメリカ式” になってきたよう。今度は逆に、台湾や日本へ里帰りすると湿度が高いので、顔にまったくクリームをつけなくてもOK、髪の毛もスムーズ、切れ毛が出てこないような、いい感じ。でも私は、やはり、この雨の降らないサンディエゴが大好き。この「第三故郷」が一番自分に合っているような気がする! (S.C.C.N.)
blue_line932
yoko
世界の雨の日率を表にしたサイトがある。世界で最も雨の日が多いのは、オーストラリア領の「マッコーリー島」で1年の84%は雨の日だそう。降水日数が世界で最も少ないのは、アフリカ スーダンの「ワディハルファ」。最も雨が降らない年の降水率は0%。南カリフォルニアも年間の降水日が少ない。ロサンゼルスで27.2日、雨の日は1年の約7.5%。東京は113.2日 (31%)。日本で一番雨の日が多いのは、新潟県上越市の206.9日 (57%)。1年の半分以上の日が雨だということになる。反対に日本で一番雨の日が少ないのは岡山市。降水日は87.5日 (24%)。私は岡山県出身なのだが、そういえば『晴れの国 岡山』というキャッチコピーがあった。『晴れの国』といっても梅雨は来る。毎日雨傘が必要、水が跳ねて靴下までどろどろ、室内がモヤっとする、髪の毛が膨張してまとまらない、洗濯物が乾かない、ジメジメする、道路には車に轢 (ひ) かれたカエルがいっぱい、カタツムリも出てくる・・・すべて経験済み。別に嬉しくもない懐かしさだ。 (YA)
blue_line932
reiko-san
数年前、我が家の近辺に現れるようになった白とグレーのハチワレ猫。数匹の猫を飼うお隣さんが「気がついたら、キッチンでキャットフードを我が物顔で食べていたよ」と笑いながら教えてくれた。そして、いつの間にか我が家のバックヤードにもやって来るようになった。ちょうど私たちも猫を飼い始めた頃で、餌をおすそ分けして、あげたりしていた。野良猫にしては毛並みが良く、しっかりと肥えている。そしてとてもフレンドリー。どこかの家の猫が遊びに来ているのだろうと思っていた。私たちは、飼う猫は1匹だけと決めていたから、その猫が遊びに来ても、夜は家の中に入れないようにしていた。そんな日がしばらく続いた秋のある晩。急に冷え込み、雨がしとしと降り始めてきた。玄関を開けると、軒先で寒そうに丸まっているその子の姿が。「一晩泊めてあげたらこのまま飼うことになってしまうかも、どうしよう」と迷ったけれど、こんな雨の中、外に出したままなんて可哀想すぎる。私たちはルールを破って、その子を家の中に招き入れた。それからいろいろあったが、今はもうすっかり我が家の住人。雨が結んだ縁ということになるのかな。 (RN)
blue_line932
suzuko-san
このテーマをもらってすぐに頭に浮かんだのは、楽曲に使われる「雨」。誰でも幼少時に一度は口ずさんだことがある童謡、♪雨雨ふれふれ母さんが・・♪で始まる「あめふり」。雨が子供とお母さんをつなぐ心温まる歌詞だ。カーペンターズの大ヒット曲、雨の日は憂鬱と歌う「雨の日と月曜日は」。カーペンターズが好きでよくカラオケで歌っていたが、この曲もその一部だった。小林麻美の歌う「雨音はショパンの調べ」も大好きだった。調べれば1983年にリリースされたイタリアの歌手ガゼボが歌う「I like Chopin」のカバーバージョンだそうだが、「雨の日はサヨナラと言えない」と切々と訴える歌詞とショパン風のメロディーがやたら気に入っていた。他に、八代亜紀の ♪雨雨ふれふれ、もっとふれ、私のいい人つれて来い♪ の「雨の慕情」など、雨をテーマにした楽曲多しと言えども、圧巻はジーン・ケリーが雨の滑りそうな路上で、傘をくるくる回しながら歌ってタップダンスを踊る「雨に唄えば」ではなかろうか。寂しさとか憂鬱 (ゆううつ) の代名詞となりそうな雨を、大胆にも恋人とうまくいきそうな予感で、喜びに溢れた情景を表す道具に使ったこの演出に脱帽。永遠のミュージカルの名作ではなかろうか。これを書いている間も ♪I’m singing in the rain♪ ・・・。(Belle)
blue_line932
jinnno-san
ここってあまり雨が降らないでしょ。で、不都合なこともあって、それは車のワイパー。お天気が続いて、ウインドシールドも別に汚くていいや (笑) としばらく使わないと、雨の日に使いたいときには、ゴム部分が、カッピカピでガリガリと窓をワイプするどころかひっかく? 笑。車の雨体験、いろいろある。71年カルマンギアのオープンカーのときは、もちろん自動でなく手動で急には屋根付けられない。床が錆びて穴が開いてたから、水 (泥水ね 笑) が下からも跳ね返って、足が濡れる (笑)。上からも下からもシャワーよ (笑)。急な坂は乾いてても登らない上に、地面が濡れたら地獄!(笑)。88年ダッジ・コルト (三菱車・・・マニアック? 笑) は、想定外の雨が降り出して、2分以内のまさかのエンスト現象。フリーウェイだろうがどこだろうが、止まっちゃう (笑)。あ、乾くと普通に動きだすのよ (笑)。あ——、88年ジェッタ (年代が一向に新しくならんな 笑) は、降り出すとなんか冷たいのよ、顔のあたりが (笑)。窓のパッキングゴムがゆるい?のか、スプレーみたいに水が差し込むのよ (笑)。96年ボルボは (一気に新式 笑)。まだマシだったけど、なぜか窓の内側に雫 (しずく) が垂れてたわ (笑)。でもね、みんな素晴らしい車で性能は悪くない。お天道様に言うしかない。あーめん!(爆!)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
blue_line932
「雨」といえば、森高千里の歌の「雨」、今井美樹の「雨にキッスの花束を」、八代亜紀の「雨の慕情」などが浮かぶ。森高千里の「雨」と今井美樹の「雨にキッスの花束を」は一時期よく聴いていた。歌詞に共感するところが特にあるわけではないが、とても好きだった。八代亜紀の「雨の慕情」は、実はサビの部分しか覚えておらず、タイトルも今調べて分かった。自分でもタイトルを知らなかったことにびっくり。だけど、サビの部分は日本人で昭和生まれの世代くらいまでなら耳にしたことがあり、大体の人が知っているのではないだろうか。ちなみに私の母に、雨と言われて思い出す歌を聞いたら、美空ひばりの「愛燦々 (さんさん)」だった。さすが、ひばりファン!「愛燦々」の歌詞は「雨 潸々 (さんさん) と この身に落ちて〜」で始まる。なるほど・・。実は、私も母の影響で美空ひばりの歌は結構知っているし、好きである。不世出の天才歌手だと思っている。母に洗脳されたのかもしれないが、彼女の歌声は驚くほど重みがあり、引き込まれるパワーがある。久しぶりに、今日思い出した歌を聴いてみようかな。全部、懐かしいな〜。 (SU)

(2021年1月16日号に掲載)

2021年のイメージ

 

▽年始の星占い。・・・2020年の新型コロナパンデミックは見通せなかった。Covid-19を予言したプロの占星術師もほとんどいない。私が知る限り、それを明言したのは盲目のブルガリア人女性予言師ババ・ヴァンガ。彼女は85歳で他界する前、「2019年の終わりに新型殺人ウイルスが中国から広まる」とズバリ告げたらしい。▽占星家の誰もが注目したコンフィギュレーション (星の座相) は、木星 (拡大)、土星 (抑制)、冥王星 (大変動) が磨羯宮で同会する極めて珍しいトリプル・コンジャンクション。「壮絶な闘い」という象意をどう解釈したか。ある占術家は「社会基盤と生活慣習の大変化」と抽象的に表現した。私は「大統領選で保守、中道、リベラルの大激戦」と読んだ。▽ワクチンで感染収束に期待が膨らむ2021年。その流れには違いないが、新年前半の不安定な座相が気になる (宝瓶宮木星 Con 宝瓶宮土星 SQr 金牛宮天王星)。副反応を恐れるワクチン回避者が多かったり、旅行や娯楽に奔走する人々の急増で収束が遅れる? 今後200年以上も続く「水瓶座時代」の入口に立つ2021年。独創性が求められる新時代。個性的な存在感を静かに発揮できる「青味がかった真珠色」「人工的なメタリックブルー」が今年のラッキーカラー。(SS)
blue_line932
▽皆さま、明けましておめでとうございます。昨年出現した「新型コロナウイルス」は、私たちの暮らしを激変させました。いきなり窮地に立たされ、戸惑う日々を送る方がたくさんいらっしゃると思います。一日も早くこの事態が終息し、平穏な生活を取り戻せることを心から願っております。▽昨年の12月中旬、我が家のネコが天国に旅立った。もともと野良猫だったのだが、情が移って家に入れたとたん、可愛いくてメロメロになった。あれから7年以上、当たり前のように毎日一緒に暮らした。冬の寒い日は布団に入ってきたり、時々かくれんぼをしたり、たくさんの癒しと笑いをもらった。姪が教えてくれた「虹の橋」(https://bit.ly/34pWKG6) を見て、もう泣かないと心に決めた。▽コロナ禍が日常を非日常に変えた。会いたい人に会えない。行きたいところに行けない。やりたいことをやれない。大事なものほど当たり前になる。そして見えなくなってくる。失ったときに初めて、その大切さに気付かされる。ありふれた日常こそが特別であり、奇跡そのものなのだ。何気ない日常、家族、パートナー、大事な人、同僚、友人、仕事、ペット、もっと「当たり前」であることに感謝をして、毎日を丁寧に暮らしたい。 (NS)
blue_line932
sheau-ching-san.gif
我が家で New Year Party を開き、家族と友人と一緒に2021年を迎える。1月後半〜2月、旧正月の間、母国台湾へ戻って、春節 (旧正月) を迎え、家族と友人と美味しい台湾の屋台料理をたくさん食べる。里帰り後、第二の故郷である日本/東京へ行き、“日本のママ”と友達に会って、日本を満喫する!仕事のほうはいつも通り、スタッフみんなとオフィスで会って、打ち合わせをしたり、いろいろなお話ができる。全てのお客様のビジネスが順調で、嬉しい笑顔で会っていただける。仕事を終えてジムへ行き、好きな先生と仲間たちと一緒に楽しいエクササイズ。多くのイベントに参加、そしていろいろな素晴らしいショーを観に行ける。家族や友人と一緒に行きたいところへ出掛け、旅行したり、レストランで美味しい食事もEnjoy!。人に会ったり、ハグしたり、キスしたりできること。2021年はどうなるか、誰も分からないけど、前向きにイメージして “普通の生活” ができるようにと期待している私です。 (S.C.C.N.)
blue_line932
yoko
家に篭 (こも) っている間に過ぎ去ってしまった2020年。普段なら、平日は子供たちを学校へ送り、週末は動物園、サファリパーク、公園、シーワールド、海などへ遊びに連れて出ていたのだが、春から学校は家でオンライン、週末もスクーター&バイクライドにパークへ連れて行くぐらい。2021年は4月ごろにはコロナも落ち着いて学校も始まり、段々と以前の生活に近づいていくといいなと思っている。学校が再開したら、フィールドトリップやシアタークラスの発表、コスチュームジョガソン、ハロウィンなどのいろいろなイベント、学期の終わりにあるエクスビジョンなどがあり、子供たちはもちろん、親たちも楽しみにしている。新しい年は、2020年にほとんど行けなかった動物園に出かけてナイトタイムズーのパレードも見たいし、ビーチにも行きたい。イースターやハロウィン、クリスマスのイベントに家族で行きたい。将来、子供のころの思い出が “コロナ” ばかりにならないようにと願う。Happy New Year! (YA)
blue_line932
reiko-san
新年あけましておめでとうございます。2020年はコロナウイルスの感染拡大で日常生活が一変した年だった。計画していたことができなくなり、いつもしていたことができなくなり、マスクを着けての外出が普通になった。大統領選挙の混乱も重なって、この混沌とした状況がいつまで続くのかわからない不安が社会全体に蔓延し、疲れが溜まりに溜まってきた感じだ。そんな中、アメリカでもいよいよワクチンの接種が開始された。最初にワクチンの接種を受けたニューヨーク市のナースが 「I feel like healing is coming.  I hope this marks the beginning to the end of a very painful time in our history.」と語ったとのこと。彼女の言葉通り、ワクチン接種が功を奏して、この感染状況が急加速で良くなっていってほしい。そして、2021年は Healing(治癒) のイメージであふれた年になることを願ってやまない。疲弊しきってしまった人々の心や生活が、少しでも改善されますように。 (RN)
blue_line932
suzuko-san
「あれとこれをした」という笑みの記憶ではなく、「あれもこれもしなかった」という無の記憶を引きずっての2020年が暮れ、希望的観測!!に満ちた新たな年が明けました。皆様、明けましておめでとうございます。今年も相変わりませず、私の駄文にとことんお付き合い下さいますよう、どうぞよろしくおたの申し上げます。と、一応のご挨拶を済ませたら、民族が一同に動き出し、躍動的な年になるはずの2021年の始まりィ、始まりぃ! 世の中の人が昨年辛抱に辛抱を重ねたのだから、もう「我慢の限界! ワクチンが世に出回ったら、皆が新たな希望に燃えて本来の活動を取り戻し、界隈で歓喜のあまり踊り出し、飲めや歌えの大騒ぎ…となる日が来るのを心待ちにする2021年。さあ、PCR検査を受ける必要もなく、2週間の隔離もなく、世界に羽ばたけるようになったら、私は一番先にどこに行こうか。それが春先なら、ウニを頬張れるだけ頬張りにチリとペルーか。いやそれとも、家族と温泉が待っている日本か…その時期が夏だったら、絶対に外せないイタリア。その足でクロアチアかジョージア (グルジア) も行ってみようか、その次はメチャ辛いカレーを食べにスリランカも、と新たな冒険のプランで、私の頭の中は膨れているはず。コロナさん、お願いしますよ!ぺこっ!(Belle)
blue_line932
jinnno-san
冬以外の季節は日本に帰ったことがなかったから、今年は春ごろ帰るべ、なーんてイメージしてるんだけど、ずっと前にも書いたんですが、区画整理で実家が公園になってしまうことから、やがて取り壊され、玄関の立派な樹齢45年ほどの桜の木も伐採予定。せっかく家の前にゴザ敷いてビールとお花見しようと思ってたのに、、というか、その頃には育った家すらもなく、見たことのないご近所さんの家が並んでいて、道やら信号ができていて、旧家のあった場所にできた公園では知らないおじいさんやら子供やらが遊んでる? そんな光景、想像したくない!と、メランコリックに涙を浮かべて昔の記憶をたどっている、、、と思うでしょ?・・・わたしの町内には、交番近くの交差点の一箇所にだけ、信号がある (え?笑)。だから、町中Jウォークし放題 (田んぼ道のほうが多いけど 笑)。信号が増えてお年寄りは安心だわ (笑)。その道路以外は道が細すぎて車2台すれ違えない! だから、うちの親父、車ぶつけそう!(笑)。道も広がるから、じぃさんドライバーも安心ね (笑)。一つだけ心配なのが、、、四方の近所が100メートルは離れていたのに、すぐ横に住宅が建つらしい。2021年は覗かれる恐れありで、パンツいっちょで家の中を歩けなくなるわー (というか、いい加減、服着なさい 笑) (そこ? 爆)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
blue_line932
新年明けましておめでとうございます。▽宣言!「わたくし、2021年には何も期待しないことに決めました!」。上の息子は高校シニアの学年。本当ならシニアナイト、プロム、卒業式などがある。友達が大学進学でアメリカ全土に散らばる前に、たくさんの思い出を作るべきの年である。が、『期待→裏切られる→ガッカリする』の連続だった2020年。(畜生!) もう免疫ができましたよ。①学校再開? あ、学校って行くものだったんだぁ。②シニアナイト? ケッ! ディズニーランドなんて、女の子と子供向けの場所だし。③プロム? どうせ連れて行く女の子もいないから、むしろなくて助かる。④卒業式? 式なんてなくても卒業できるし。⑤夏の帰省? くそ暑い日本なんか行けるか! ⑥9月から大学キャンパスに通う? ナイナイ! どうせオンラインだし。【結果】すっごいじゃん! 何もない、何もしないから、ものすごくお金セービング! そうか、2021年はお金を貯める年か! 金持ちになってやるぜ! ▽心の声「お願いです。早く、たくさん思い出を作れるような世の中になりますように (涙)」。(IE)

(2021年1月1日号に掲載)

2020年回顧

 

寒季の到来とともにパンデミック第3波が米国に襲来。Covid-19感染拡大のピークが見えず、不安の中で2020年が過ぎていく。新型コロナ情報を追い続けて8か月半。インディアナ州のR病院が発表したマスク着用と免疫力増進に関する論文の内容に驚いた。キーワードは Cross-Protective Immunity = 交差免疫。隔離していない1人の軽症患者から病院スタッフへの感染度を調べた実験報告。全員がマスクを使用した結果、感染しても92%以上が無症状で済んだばかりか、誰もが新型コロナへの免疫力を獲得していた。手短に言うと、マスクはウイルスを完全遮断できないが、むしろ微量感染を繰り返すことで、免疫細胞が抗体を作り続けて (交差免疫) 重症化を防ぐらしい。これが事実なら (科学的には未証明)、マスクには自然のワクチンと言うべき素晴らしい効能がある。米国と比べて日本の感染状況が緩和されているのは国民のマスク依存度の差? “強いアメリカ” を印象づけるためにマスク着用を軽視したのは現政権の大罪? 市民にワクチンが行きわたるのは4月頃? 1人当たりの2次感染者数を1未満に抑える投与効果があれば、ウイルス制圧の数理モデル (1-p) x RO<1 に合致して収束へ向かう。2020年回顧はその日までお預け。 (SS)
blue_line932
▽地球を総なめしたCovid-19。2020年は世界中の人々にとって、大変な年になってしまった。リタイア後、初めての船旅に参加した友人夫妻。集団感染が起きたクルーズ船から2月中旬、無事に下船したとのLINEが届いて安心したのもつかの間、3月中旬にWHOが 「パンデミック」を表明。私たちの暮らしが一変した。▽2020年の流行語大賞に 「3密」 が選ばれた。「アベノマスク」 「Go Toキャンペーン」「アマビエ」「オンライン○○」がトップ10に選ばれるなど、新型コロナウイルスの影響を反映した言葉が並んだ。▽ウイルスに詳しい知人が教えてくれた。「ウイルスとの戦いはハッカーとの戦いのようなもの。ウイルスはあらゆる手段を使ってパスワードを見つけ、人間の細胞に侵入しようとする。猛烈な勢いで変異をつくり出して侵入してくる。人間もまた、カギ穴をふさいで侵入させないようにする。人類の歴史はウイルスとの戦いの歴史なんだ」。▽アメリカでは、早ければ今年の12月11日からワクチンが提供される見通しとのこと。明けない夜はない。やまない雨もない。過ぎ去らない嵐もない。嵐が過ぎ去った後は、きっと、澄み切った空気と素晴らしい景色が広がっている。私たちは、過去に繰り返された感染症の大流行から生き残った『幸運な先祖』の子孫なのだから。 (NS)
blue_line932
sheau-ching-san.gif
それは "新型コロナウイルス" でしょう! 年明けからずーーーっとその影響でアメリカを含む全世界の経済がダウン。死亡者数がどんどん増え、どこの国でも今まで経験したことがない戦いの1年となった! このような生活になるなんて、今まで想像もしていなかった。このパンデミックの期間に仕事を無くした人が沢山いて、数多くのお店やビジネスもクローズ。非常に大変な状況になっている。しかし、こんな苦境の中でも頑張って生きていかなければと思い、「良いこと」 をここで発表。《その1》マスクをするので、化粧をしなくてOK! 化粧品を買わなくてOK! 《その2》 家にいる時間が長いので、ガゾリンを入れる回数がかなり減った! いろいろな料理ができるようになった! 庭の雑草もきれいに取れた! 倉庫の整理も多少できた! 《その3》 ジムが閉鎖されて Virtual エクスサイズになった。クラスが多いので、運動時間が以前と比べてかなり増えた! 前向きに考えないと前に進まない。この大変な状況から1日でも早く抜けられるように、楽観的に考えていきたい!! (S.C.C.N.)
blue_line932
yoko
今年ほど大変な1年は今までになかった。年が明けたと思ったら、すぐに新型コロナウイルスが広がり、皆、リモートワーク、オンライン授業に切り替わった。外出禁止令も出て、フリーウェイもローカル道も車通りがガラガラ。散歩をしている人だけ急に増えた。食料品、日用品を買いに行くと、店に入るまで列に並び、チェックアウトでまた列に並ぶ。トイレットペーパー、消毒液類、米、パスタ、小麦粉類が売り切れている。学校はリモート授業を子供も親も先生方も手探りで進め、課題は親が大変だった。2020年の春と初夏の記憶はこんな感じだ。夏休みになり、マスク、度々の消毒、手洗いにも慣れ、外遊びは公園でバイクライドかスクーターライドのみの状況にも慣れた。そして新学期もオンライン授業で始まった。毎朝のズームミーティング、リモート授業もすっかり当たり前になった。でも、そろそろ学校に通えるようになってほしい。コロナも少し落ち着いたかと思いきや、第3波襲来だそうだ。来年もオンライン授業でスタートらしい。。。。。(YA)
blue_line932
reiko-san
2020年は新型コロナウィルスに振り回され、今まで経験したことのないことを次々に経験した年だった。まずは、ミドルスクールに通う娘が3月中旬から学校に行かず、ずっと家にいる。最初は試行錯誤だったオンライン授業も、今ではすっかり馴染んでいる。先日は、Zoomを使った友達のお誕生日会に出席。プレゼントはオンラインで買って、その子のお家に届けてもらった。インターネットがなかったらどうなっていたんだろう、娘のコロナ生活…。スクリーンタイムは急上昇したが、こうやって友達とも繋がっていられるし、我が家では良しとしている。食料品をオンラインで注文して届けてもらうというのも初めてやり始めた。日本じゃないのに、行き交う人が皆マスク姿という光景にもすっかり慣れてしまった。人との接触が限りなくゼロに近い生活を送っているおかげか、今のところ、家族の誰もコロナだけでなく、その他の病原菌をもらってきていないようだ。体調も良い。でも油断は禁物。感染状況が改善し、安定するまで隔離生活を続けて乗り切りたい。 (RN)
blue_line932
suzuko-san
コロナよ、コロナよ、ああ、コロナ。中国の春節後あたりから世界中で猛威を振るった (いや振るっている) 新型コロナウイルス感染症。この新コロ (ショートカットが大好きな日本での報道の際、誰も短くしなかったのを、私があえて短くする) のせいで、世界中の人たちがそれまでの生活スタイルを変えることを余儀なくされただけでなく、人生まで狂わされた人も少なからず。そんな中での私の2020年は…。私の日常の中での小さな楽しみといえば、ランチやディナーを共にしながらの友達とのおしゃべり、月1〜2回の図書館のコンサート、映画館にビールとサンドイッチを勝手に持参する「映画館ピクニック」、そしてハッピーアワー。これら全てが見事に奪われた。残った日常は何の変哲もない、僅かな仕事とスーパー通いと自宅時間 (まあ、Myハッピーアワーは続けられているが)。非日常では、5月のペルーとチリでの雲丹 (ウニ) 三昧計画、8月のイタリア (シエナ、チンクエテッレ、サルディーニア、そしてシシリーのカルタジローネなど)、マルタ行きを涙を呑んでキャンセル。まったくぅ! 残り僅かの人生にあって、その1年が無くなるということは私にとっては超一大事。「新コロ、新コロ、新コロよ、わが大事な老春を返してくれ〜」と大声で叫びたい年末である。 (Belle)
blue_line932
jinnno-san
今年1月にニッポンに帰って本当によかったぁ!って、いつもはそんなに感じないことを、今になって実感したわ。思い出せば、成田に着いたとき、なーんで小学校のプールに入る前みたいな、靴底を消毒するマットが敷いてあるの?と思ったし、中国の感染ニュースが毎日のように流れてたり、あのときは他人事だったわ。そしたら、ヨーロッパのお友達たちが外出禁止令で動けなくなり、ニューヨークの友達も家からリモートワークに切り替え。あれよあれよといううちに、スーパーのトイレットペーパー売り切れ。サンディエゴのレストラン内で食事禁止。散歩時間が増えた増えた (笑)。サンディエゴ動物園の駐車場に車が1台もなかった光景も見た。それで気付いたら、公園のピクニック人口が増えていた。しかも豪華な感じの。テント張って、テーブルクロス付きテーブル置いて、オシャレににお花飾ったり。普段は公園としては見ていない道路脇の芝生エリアでも水着で日光浴してたり (日本じゃ考えられん 笑)。でも、リトルイタリーの夏は「密」だったでしょ (笑)。絶対6フィート空けて歩いてないし。街で一番様子が変わったのは、道路に建った仮設レストランのエクステンション (小屋?)。あれ、どう見てもビアガーデンでしょ 笑! 歩いてるだけでウキウキー! (今年、一番嬉しかったのはコレ?! 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
blue_line932
何と言っても2020年は憎き「COVID-19」の年だった。米ジョンズ ホプキンス大の集計によると、現在のところ、世界全体の新型コロナウイルス感染者が6000万人超、死亡者は150万人とあるが、毎日目にしているこれらの数字にも何も感じなくなってきてしまった。こうしている間にも、感染者や死亡者が増えているのだろう。幸いこれまでに自分も含めて、周りにも感染者がいないせいか、あまり実感もなくこれまで過ごしてきた。私はもともとそんなに出歩くタイプでもないので、家に籠 (こも) っていること自体はそんなに苦ではないが、学校にも行けず、先生や友達にも会えない子供たちは本当に可哀想だと思う。学区からは早くても2月から少しずつ学校での授業を始めたいと連絡が来たが、最近の状況を知る限り、それも難しいでしょう。とにかく、今年は「我慢の年」であったが、来年は少しでも新型コロナが収束に向かい、元の生活に戻っていけることを願う。 (SU)

(2020年12月16日号に掲載)