Sunday, 19 May 2024

ナンセンス

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shinji-san.gif▽ テレビジャパンで『ケータイ大喜利』 を見ている。出題テーマに一般視聴者が携帯電話でユーモラスな回答を寄せるという内容で (海外からの参加も可)、アクセスが数十万件に上る人気番組だ (いつかデビューしたい … この年齢で)。ナンセンスな笑いが炸裂した傑作2例 : ① 「車を借りたくないレンタカー屋さん。理由は?」「後をつけてくる」。② 「行きたくないバッティングセンター。理由は?」「敬遠してくる」。これらは “シュールギャグ” と呼ばれているが、有り得ない話に現実味を与えて笑いを誘う手法は理性が優位に立っている。その意味で、幻想や倒錯を直接的に表現するシュールとは違う。人間的な滑稽味が広がるナンセンスギャグだ。▽ ナチスドイツの強制収容所で重労働を強いられたユダヤ人の話。命の保証もなく、運命に絶望した人々が精神的に衰弱して次々と息絶える中、死の恐怖を超えて、1日1題のナンセンスギャグを作り合い、笑いを共有していたグループが最後まで生き抜いたという。どんなに苛酷な境遇でも、ナンセンスギャグは人生を豊かにするパワーを授けるらしい。▽ ユーモアの通わない夫婦関係は危機的状況にある。妻も 『ケータイ大喜利』 を見て笑っているから、まずまず安泰かな。 (SS)

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sato-san.gif ▽ 今と昔を比較するのはナンセンスだと思うが、私の世代の体育や部活では、兎跳びをガンガンやっていた。練習中に水分補給も禁止。そんな非科学的なトレーニングの目的は精神面を鍛えることにあったように思う。ナンセンスかもしれないが、根性は少し身に付いたような気がする。▽ アメリカの訴訟はナンセンスのオンパレード。先日も、サンドイッチの長さが触れ込みより1センチほど短いとして、「サブウェイ」 を相手取り起こした訴訟が示談となり、弁護士に$520,000、10人の原告に$500ずつ支払われたそうだ。そういえば、ハンバーガーの食べ過ぎで肥満になったと、マクドナルドを訴えて勝訴したケースもあった。▽「世の中バカなのよ」。「世の中ね、顔かお金かなのよ」。上から読んでも下から読んでも同じ「回文」を作ることに夢中になっている友人がいる。時間の無駄使いだと思うのだが、本人はいたって真剣で、笑いをとることに命をかけている。就職活動で苦労している学生は、失業者のコントでは笑えないように、笑える時は、そこから抜け出せる時なのかもしれない。現実のしがらみに捕われている自分から、外の世界に出られる時。そして、「気持ちの自由度」をグッと高めてくれる彼女のナンセンス回文を今日も楽しみにしている。 (NS)

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sheau-ching-san.gifお腹が死ぬほど空いているのに、長い列に並んでラーメン屋さんに入ろうとする(隣の美味しいカレー屋さんに行けばいいのに。。。)。もう食べられないほど食べ放題の店で食べたのに、その直後、喫茶店に行き、お茶とデザートを頼む(お腹が爆発するのに。。。)。東京の山手線、1分ごとに来るのに、必死に階段を走り登り、どうしてもその電車に乗ろうとする(次の電車に乗ればいいのに。。。)。会社に遅刻するのに、ソファーのクッションを真っすぐに直す、シンクに1個だけ残ってるコップを洗う(時間がないのに。。。)。体がぼろぼろに疲れているのに、床掃除とキッチンのカウンターを隅から隅までピカピカに磨く(休めばいいのに。。。)。風邪を引き、鼻水とひどい咳が止まらないのに、冷蔵庫を開け、アイスクリームを食べ始める(風邪がもっとひどくなるのに。。。)。自分でも信じられないほど、沢山ナンセンスな行動をしている。この世の中を見ると、結構ナンセンスなことが多い! でもナンセンス世界とナンセンスな私たちは、うまくバランスが取れているかもね。 (S.C.C.N.)

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yoko英語の "Nonsense" のカタカナ語?『ナンセンス』 … 使わない、使ったことない。使っているのを聞いたこともない。全くなじみのない言葉なので書くことがない。仕方がないので「ナンセンス」をGoogleしてみたら、昭和60年代に流行した言葉だそうだ。近年はほとんど聞くことのない流行語を「死語」と呼ぶそうだ。私も1980年代から渡米する90年代半ばまでの流行語(今は死語)を知っている。「ナウい!」 「おっはー」「朝シャン」「チョベリグ、チョベリバ」「マブい」「マブダチ」「オバタリアン」「おやじギャル」「ばっちぐ〜」「そんなバナナ!」「めんごめんご」などなど。流行語は元々使う性格ではないので、使ったことはないのだけど、書き出してみると、『古いな〜!!』感がいっぱいだ。ちなみに「死語」 のラインスタンプがいろいろあるらしい。いろんなイラスト付きで結構かわいい。懐かしの流行語を言いまくっていると、ちょっと恥ずかしい … 感があるけど、ラインスタンプで使うのはアリかもしれない。 (YA)

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reiko-sanナンセンスかどうかって文化によっても違うだろうし、同じ文化圏に住んでいながらも、育った環境やら受けた教育などによって変わってくるだろうし、とても曖昧。日本からアメリカに移住してきた私にとっては、最初はやはり生まれ育った日本を基準にものを見るので、アメリカのいろいろな慣習やら人々の行動に「ナンセンス」を感じることが多かった。例えば、人にギフトを贈るとき、ギフトレシートを付けて渡す慣習。クリスマス後の店は、もらったものを返品・交換する人で溢れかえるというのを初めて知ったときは、なんてナンセンスな!と思ったものだ。自分で買ったものでも気に入らなければすぐ返品に行く人が多いのもびっくり。でも、今ではすっかり私もアメリカ流。その逆で、アメリカ生活が長くなるにつれ、日本に帰省した際、ナンセンスに感じることが出てきた。例えば、トイレ使用中の音をごまかしてくれる音姫。あれ日本に住んでた頃は必需品だったけれど、今はなんだかとても不自然な気がして、使うのが躊躇される。そして街じゅうに溢れかえる、丁寧だけれどしつこい音声案内。でも私の場合、「住めば都」タイプなので、ナンセンスに惑わされることなく、日米どちらでも楽しく生きていける自信がある。 (RN)

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suzuko-san私の親友の友人は、そのエキゾティックで美しい顔立ちで、週刊誌の「うちのヨメ讃」(義父が息子の嫁との写真と共に、その嫁の自慢をするグラビアページ)にも掲載されたことがあるほどだ。優しく、本当にいい人なのだが、お金の遣い方が、我々平民?からすると全くナンセンスなのだ。大阪万博のドイツ館でのコンパニオン、というのが彼女の唯一の職歴。大手薬局の娘として生まれた彼女は、父親が残した遺産で、十二分な生活ができるほどリッチ。都心の億ションに住み、飛行機はいつもビジネスクラス。週に何回かは寿司屋での外食を楽しむ。と、ここまで書くと、スーパーリッチの暮らしぶりなのだが …。どういうわけか、金銭感覚がほとんどちぐはぐ。西荻窪から新宿まで電車に乗ると高いからと、50円安い一つ手前の大久保で降りて、新宿まで汗だくで歩いてきたり、終電が終わってから、「健康のため」と嘘ぶいて、友人の家から深夜に2時間かけて歩いて帰ったり、大酒飲みなのに、旅館での800円のビール代が惜しくて、水で夕食を食べたり …。年に何回も娘家族との何百万円の飛行機代を払う人が、あそこの豆腐が5円安いと言って時間をかけて買いに行く。お金がからむ行動が全くナンセンス! とてもワケ分かんねぇよ、である。 (Belle)

 

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jinnno-sanサンディエゴに長年住んでると、周りにこういう人が、一人は必ずいるでしょ。オーシャンサイドより ↑(北)を、すべーーーて“LA” と呼ぶ人たち (笑)! あのぉーーっ! そんなこといつま〜〜でも言ってたら、オーシー(オーシャンサイドの略じゃないよ・笑、Orange Countyの略ね、念のため・笑) の人たちから文句言われんだからー! まるでアメリカ人の大学生が、トーキオはチャイナのどこだ?って言ってんのと一緒だからー(爆)! なあーんせんす! そして、わたしはロサンゼルスに遊びに行くと、あちらの方から指摘される → 「サンディエゴの人はなぜか、この広大なLAカウンティーのことを全てひとまとめで “LA” と呼ぶ」と。例えば地元人は、ガーデナって言ったり、トーランスって呼んだり、サンタモニカ在住って誇らしげだったり、ハリウッド出身って堂々としてたり、ビバリーヒルズでご飯たべたとか ・・・ う、キリがない〜(笑)。でも、それらはまだLAカウンティー内だから、ゆるしてーん。でもー! カリフォルニア州はサンディエゴとLAとサンフランシスコでできている、と思っているそこの人!!・・・だいたい当たってるから、ま、いいか〜(笑) ・・・ と、こうして今日も、なあああーんせんすでどうでもいい会話が続く (笑)。 (那月と彩雲と満星のおば)

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sachiko sanだいぶ前からのことだと思うが、「おかんのメール」という本がとても人気らしい。世の母たちが慣れないスマホ機能を駆使して、やっとのことで子供たちに送った面白メールがたくさん紹介されている。日本に帰国中、両親の病院の送迎のため、待ち時間に本屋に立ち寄った時に、たまたま「おかんのメール」を見つけて読んでみたところ、あまりにも可笑しくて、声を出さずに「クククッ…」と堪えるのが大変だった。おそらくテキストを送っている母たちは真剣だからだろう。下手なナンセンスギャグやコントより面白くて素直に笑える気がした。だが、最近ふと思う。私のテキストも、気がつけば「おかんのメール」に近いものを友達や家族に送ってしまっている。年のせいというより、気を抜いた相手に送るテキストは、打った後の確認を怠るため、間違ったまま送ってしまうのだ。自分のことはさておき、今年80歳になる私の母はまだスマホは持っていない。しかし、母の同世代の人たちと比較すると、今のネット環境になかなか対応できていると思うので、ぜひスマホを持たせてLINEでやり取りしてみたい。普段から言い間違いも多い母のことだから、きっと面白いものを送ってくれるに違いない。 (SU)



(2016年3月16日号に掲載)