▽日本に暮らす老齢の母が初めてオレオレ詐欺の電話を受けたのは8年前。「母さん、オレだよ、オレ」「A (弟) かい、どうしたの?」「仕事で大ポカやってしまって、このままだとクビになる!」「あなた、まだ仕事決まってないでしょ!?」 —— 相手の勇み足で被害はなかったが、私と弟は母を守るために “ウソにはウソで撃退する” 方法を伝授した。別の詐欺電話。「どうしても100万円必要なんだ」「分かったわ。1億円振り込んでおく」 —— これも成功したが、最近の母は瞬殺効果100%の伝家の宝刀を使いまくる。それは読経。40年以上も仏門で修行を積んだ母の読経は、まさしく “ 呻 (うめ) きのホラー ”。怪しいと感じたら、相手に向かって炸裂させる。電話はすぐ切れる。▽母には徹底した倹約家の幼なじみがいて、よく2人で食事に出かける。ランチ・バイキングの店で母と待ち合わせた友人は6歳の孫娘を連れていた。5歳以下の料金が100円安いことを知った彼女は、孫娘に「あなた、今日は5歳だからね」と言い聞かせ、3人は店に入ったという。何度もお代わりをする女の子。それを微笑 (ほほえ) ましく眺めていた一人のご婦人。「たくさん食べて、お利口だね〜。何歳?」 と聞いたら、孫娘は 「今日は5歳!」 と元気よく答えた。ウソはいけない。子どもは正直だ。(SS)

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▽義理の姉は生真面目な人で、小さな子どもにもウソをつかない人だった。「おもちゃが欲しい」と姪がお店でをこねた時も、「○○が欲しいんだね」「お友だちが持ってると欲しくなるよね」「でも、今日はがまんしよう。出かける前にお約束したよね」。姪の希望を認めた上で、正確な情報を伝えている姿に感動すら覚えた。実際、某大学の調査によると、子どもが小さいからといって、ウソをついてごまかし続けていると、子どもが大きくなったときに、ネガティブな影響が表面化してしまうらしい。▽「ウソつき」を見抜く力に長けている友人が、某セミナーでメモったノウハウを教えてくれた。何でも、会話中に相手が次のしぐさをする場合は気を付けたほうがよいとのこと。①相手から体の向きをそらす、②腕を組む、③指を触る、④顔を触る。もし、4つのしぐさが全て出た場合は、信頼できない人として判断しているそうだ。▽相手を喜ばせる「上手なウソ」 を含めて、男性は1日6回、女性は3回のウソをつくというデータがある。人間は「ウソの名人」のようだ。通常、我々は誠実さで人を判断するが、誠実さは、長期と短期の利益の折り合いで変化するらしい。信頼のメカニズムは "天使と悪魔" ではなく "アリとキリギリス”。その時の状況に左右されるということを、頭の片隅に留めておきたいと思った。(NS)
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長女の私は中学生の頃、結構おとなしい子だった。特に反抗期もなく、いつも家事を手伝っていた。両親にはあまり迷惑をかけていなかったと自分は思っていた。ただ、成績だけが。。。厳しい私立の中学校に入学してから "地獄の学生生活" 状態。学校の授業は朝から夕方まで。放課後も塾へ通い、睡眠不足の毎日。勉強よりも寝たい!と思っていた私は、いつも居眠りしていた (笑)。そのせいで成績が⇩ (泣)。ある日、担任の先生が「成績発表の通知は、今回は手渡しでなく郵送したので、今日お家に届くはず」と。えっ? まずい!と思い、塾へ行く前に、その郵便が届いているかどうか、家に帰っている妹に確認の電話をした。運が悪く、妹でなく母が電話に出た。妹のクラスメートの振りをして話していたら、母が「何やっているの? 自分の娘の声が分からないとでも思ってる? 今すぐ帰ってきなさい!」と。あの夜は成績のこと、嘘をついたことを、泣きながら3時間以上も母に説教された。つらい"レッスン"だった! (S.C.C.N.)
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中学生の頃、家族でハワイ旅行に出かけた。コンドの部屋を借りて、1週間自由に行動するプランだった。ある日、オアフ島の動物園に行った。入場料が13歳から大人料金だったので、あと5か月で14歳になる私の年齢をごまかした。父が「Twelve years old! She's 12」と言い張り、チケット売場の人に「Really? She's Big for 12!!」と疑われながら入場した。少し居心地が悪かった覚えがある。実は私も、息子が幼い時に歳をごまかしたことがある。3歳の息子と1歳の娘を連れてレゴランドに行った際、息子を2歳だと言って入った (2歳以下無料)。さらに、4歳からしか乗れない馬の乗り物 (ゆっくり動くから安全そう) に乗りたがっていた息子を4歳だと偽って乗せた。1日で2歳にされたり、4歳にされたりした息子。嘘ついて、ごめんなさい。最近、娘に「ママは何歳なの?」と聞かれる。「さあ〜」ととぼけている。おしゃべりな娘に教えたら、いろいろな所で宣伝されそうで怖い。私が小学生の頃、母が何年たっても「ママは32歳なのよ」と言っていた気持ちがわかった。 (YA)
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うそをつくのもつかれるのも嫌ではあるけれど、この世の中、大小様々なうそで上手く回っているところがあるんだなと、大人になって実感することが多い。「うそついちゃダメだよ」と自分の子供に諭しておきながら、自分もうそをついて、その場を丸く収めたり、収められたりしている。「hypocrite (偽善者) だよな〜、自分」と思うこと多々(汗)。△「うそも方便」を体現したような映画がある。Ricky Gervais主演の『The Invention of Lying(ウソから始まる恋と仕事の成功術)』。建前やうその概念が存在せず、誰もが本音しか語らない世界で、突然うそをつく能力を身につけた男が、様々なうそで世の中に変化をもたらしていく様子を描いたコメディ。好き嫌いがはっきり分かれる映画と言えるかもしれない。宗教を小馬鹿にしたような描写に怒る方もいるかもしれない。でも、コンセプトが奇抜で、ハッとさせられる場面がいくつもあって面白いと思う。ご覧になっていない方、お暇な時間にぜひ鑑賞してみてください。 (RN)
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私が物心ついて洋楽に目覚めて、一番最初に買ったレコードはパット・ブーンであった。彼の歌う「砂に書いたラブレター」 が好きだったからだ。そのアルバムの中に、歌い出しが私でもわかる英語で ♪Be Sure it’s true ..... It’s a sin to tell a lie ..... ♪ の「嘘は罪」という曲があり、即座にこの曲も好きになり、何度も何度も聞いて歌詞を覚えた記憶がある。あれからン?十年 …。このお題をもらって、エイプリールフールもそこのけで、一番に頭に浮かんだのがこの曲。調べてみれば、戦前に太っちょピアニスト、ファッツ・ウォーラーがブギウギ風に歌ったカバーということだが、もっと調べてみると、プレスリー、トニー・ベネット、ビリー・ホリデイ、パティ・ペイジなど、大勢の大物歌手がカバーで歌っているのに驚いた。それほど有名な曲だったのか …。ま、それはともかく、うそは罪とまでは言わなくても、常識的にはいけないことだ。誰だって、罪に問われないまでも、多かれ少なかれ日常の中でうそをつく。たまには口を開けば出まかせだらけの大ウソつきもいる。また、時には 「うそも方便」 で、うそをついた方が相手が傷つかなくて済む、ということだってある。かく言う私は、まだまだ純情?だった頃、2年も男の嘘に騙され、時間を無駄にしたことがある。やっぱり 「嘘は罪だ〜!」。 (Belle)
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パンデミック中、オンラインで作業をしたり、以前よりYouTubeをながーく観たり (笑)、座っていること、しかも一箇所に (笑)、歩いてトイレに行くこと以外 (それも5歩程度 笑) は、平日は、、たいして動いてないじゃん!(笑)。散歩に行く回数は増えたけど、週末だけとかね。なぜ、動いていないことに気付いたかというと、、ある日から、靴下を履くのが難しくなった (笑)。昔はおじさんたちが、履くのが大変なのよ〜、と言っていたのが、なぜだか全く分からなかった、、、今はハッキリ分かっちゃった。立ったまま両手が足に届かない!(笑)。まさかと思い、柔軟体操で足を床に広げて座って、体を曲げて足にくっつけるやつ、あるでしょ。あれを試したところ、、上半身が、、、1ミリも足の方向に、、動かない!(笑!)。ウソだろ ーーーー ?!?! バレリーナのように、ビタっと上半身が足にくっついていた、このわたしが (2019年まで 笑)、この1年くらい動かなかったものだから、ウッソだろー、信じられない、この人!と、横目で見ていたあの“体が硬い人”になっちゃったー! 気付いたのはつい3日くらい前 (笑)、それから毎日 (3日だけど 笑)、柔軟体操開始!よ。その結果は、まだ1.5ミリ ーー !(笑)。1日1ミリ伸ばして、3か月後には立って靴下を履けるようにするわ〜 (どんな計算?)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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予測していないこと、信じられないことが起こると、人は「マジか? うそだろ?」と感じる。▽サンディエゴで留学生活を始めて、約3か月後。洗濯が終わっただろうと、アパートのコインランドリーに取りに行く。が、ない! 私の服が一枚もないのだ! 「うそだろ…」。どうやら、人はその服を売ってお金を作るそうだ。▽赤信号で停車中、後ろから追突された。後車のドライバーと話すため、車を出て近づく。なんと、頭から血が出ている女のドライバー、逃げようとするではないか! 「うそだろ!」。命がけで (笑) その車の目の前に立ちはだかり、逃走を阻止した。▽数年前、病院に行った時のこと。血液検査を勧められた。後日、請求書が届く。約800ドル! 「うそだろ!」。慌てて病院に電話する。しぶとく交渉したが泣く泣く払うハメになった。▽夜の静かなガラージで何か物音が…。光る眼を見つける。「マジか…うそだろ…」。そこには赤ちゃんスカンクが。驚かすと “屁” をされる。静かな長〜い葛藤のあとで、静かに出て行ってくれた。▽ 3月下旬、私は一つ年を取る。は?48歳?「マジか? うそだろ?」(涙)。▽10ミリオンのロッテリーに当たりました!という、いつか幸せな「うそだろ!」を経験したい。(IE) |
(2021年4月1日号に掲載)

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私は少年期から現在に至るまで、言動に派手さもなく、隠忍自重 (いんにんじちょう) という印象を周囲に与えてきたが、実は、強烈な自己顕示欲を隠し持っていた。渡米して間もなく、ボールルームダンス競技会に熱中し、ウルトラマンのようなスパンコール付きコスチュームに身を包み、平気で人前で踊る自分に驚いた。日本にいた20代の頃、友達から結婚式の司会を頼まれた。私の “表向き” の性格なら断るところを二つ返事で引き受ける。心の中で燃えるものがあった。司会進行の台本を綿密に作り上げ、一言一句を暗記して完璧を目指したが、本番で噛みまくってしどろもどろ。列席者の一人から「滑舌が良くなるよ」と酒を差し出される始末。捨て身の作戦に出た私は、台本と羞恥心をかなぐり捨て、アドリブで勝負をかけた。余興では 「素人のど自慢」の司会者のごとく、花束贈呈のクライマックスでは絶叫マシンよろしく、会場全体の感情を盛り上げることに成功し、拍手の嵐に包まれた。人は窮地に追い込まれると、奥に隠された大変身へのスイッチを押すらしい。友達のために一肌脱ごうとしたのは勿論だけど、どうしても「司会の下手なあいつ」という汚名だけは受けたくなかった。翌日には、私は友達の誰もが知っている、口数の少ない、内向的な人間に戻っていた。(SS)
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▽モノの本によると、友だちは、大きく8つのタイプに分けられるそうだ。アドバイスをくれるビルダー、めっちゃほめてくれるチャンピオン、趣味が一緒のコラボレイター、どんな時も友だちでいてくれるコンパニオン、人を紹介してくれるコネクター、楽しくてエネルギーをくれるエナジャイザー、奇抜な意見でひらめきを与えてくれるマインドオープナー、困った時に道を示してくれるメンター。いろんな友の顔が浮かんでくるが、ひとりで何役も兼ね備えている人もいるとのこと。ちなみに、親友であるコンパニオンがいると、一番幸福度が高く、人生大成功とのことだ。▽その親友という存在は、自分がなるのも、相手に求めるのも、難しい。実際、そんな理想の友だちを追い求めると、幸せが遠のいてしまうらしい。「部分的には好きだけれど、好きになれない部分もある…」というくらいがちょうどよいとのことだ。「もっといい友だちが見つかるはずだ」ではなく「友だちともっと楽しい時間を過ごすには」という発想が、お互いの幸福度をグッと上げてくれるらしい。年を取るほど友人の存在は不可欠なものになるが、「いいところもあるけれど…」の精神で友だちの輪を維持していきたい。(NS)
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ケンちゃんと出会ったのは、今から約30年前。当時、友人のYさんとよく新宿のディスコ (死語?) へ通っていた。派手な格好の私たちはそこの黒服 (これも死語?) に気に入られていて、いつもVIP室に案内されていた。そこでは、無料で食べ放題、飲み放題、歌い放題+お立ち台で踊っていた。貧乏な私たちにとっては仕事後の最高の楽しみ! ある夜、いつものようにそこに行き、フロアで踊っていたケンちゃんと彼の友人に会った。VIP室に入れない彼らとは特に会話できなかったが、店が閉まる時にロッカーで話した。私が 「ノリがいいですね」 と言ったら、ケンちゃんが自分の名刺を差し出し、私たちに「今度一緒に踊ろう、電話して!」と。あれから、いつも楽しく一緒に踊って、食べたり飲みに行ったり、遊んでいた。お互い独身から、恋人ができ、そして結婚へと、何でも話せる大親友になった。夫もケンちゃんの奥さんもみんな仲良し! 夫と東京へ行くと、必ずケンちゃんの家に泊まる。ケンちゃんと奥さんがサンディエゴに来たら、必ず我が家に泊まる。こんな友達を持っている私たちは幸せ! そして、あのディスコの夜に感謝! (S.C.C.N.)
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『物怖 (ものお) じしない、大きな声でハキハキしゃべる、誰とでもすぐに打ち解ける、自分の意見をはっきり言う、友達がいっぱいいそう、グループの中心にいそう』 ← これらは小学1年生の娘。びっくりするぐらい子供の頃の私とは違う。人見知りが激しく、怖がりで神経質な子供だった私は、毎朝、幼稚園の前で「行きたくない」と泣いて母を困らせ、クラスルームでは全くしゃべれない子だった。小学校での私はおどおどした内気な子で、グループに入っていけない子供だった。友達はクラスに1人か2人。大人しい子と付き合うか、ひとりで過ごした。中学校も同じ感じで地味〜に過ごしたが、高校生になって少し変わった。不器用で人付き合いが苦手だったので、いつも人当たりよく過ごすように心がけた。すると、自然に友達ができ、友達が友達を呼んで仲良しグループができ、皆で一緒に過ごすようになった。高校からの友人たちとはそのまま短期大学でも仲良くし、今でも時々、連絡を取り合っている。SNSは便利だ。そして、里帰りすると会える友達がいるのは嬉しい。 (YA)
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小学5年生のとき、私の通う学校に転校してきた女の子。最初の出会いが強烈だった。学校のない日、友達数人と野原で遊んでいたら、男子数人を引き連れて先頭を走る、知らない子に出会った。髪も短く、短パンにシャツ姿で、最初は男の子だと思った。でも、話してみたら女の子だった。そして、数日後、その子が転校生として私のクラスに入ってきた。勝ち気で、思ったことは包み隠さず口に出し、男子ともつかみ合いのケンカはするし、嫌いな先生には反抗心むき出しにするような子だった。引っ込み思案で物静かだった私とはどう考えても合わないタイプ、のはずだったけれど、なぜかウマが合い、いつの間にか友達になっていた。同じ中学校に進み、2人でバレーボール部に入部し、お互い補欠部員で一緒に頑張った。その後、別々の高校、大学に進み、めったに会うことはなくなった。でも、今でも日本帰省の際には、会って一緒にご飯を食べたり、鍼治療してもらったり (その子は鍼灸師)、面白い場所に連れて行ってもらったりしている。コンピュータと相性が悪いからと、インターネットを使わない彼女とのやり取りは手書きの手紙。彼女から届く便箋何枚にもわたる手紙が届くと、嬉しい気持ちになる。 (RN)
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遊び友達、飲み友達、幼友達・・・といろいろあるが、友達とは一体何ぞや? 辞書には「一緒に何かをしたりして、親しく付き合っている人」とある。しかし、何度一緒に何かをしても、どれだけ時間を共有しても、決して友達になれない人もいる。そこには、共通の趣味だったり、考え方、価値観が似ていたり、同じモノを見たり聴いたりして、それらに対する感覚がほぼ同じだったりと、友達として付き合うには、かなりの条件をクリアしないといけない。そうやって友達になっても、時を重ねていくうちに「あれ?違うな」ということに度々出くわすようなことが起こると、残念ながら、別れという結末を迎える人もいる。確かに、自分と価値観や考え方がすべて同じ人などいる訳もないから、ある程度は妥協が必要。でないと、友達が誰もいなくなる。こんなことを考えている時、ある詩が頭に浮かんだ。小学3年の国語の教科書に載っている金子みすず作の『わたしと小鳥と鈴と』。私にできて小鳥ができないもの、小鳥ができてすずめにできないもの、などを綴り、最後に私の一番好きなフレーズ 「みんなちがって、みんないい」。た、し、か、に! みんな、違う。その違いを認めて、その上で友達付き合いをしろ、という教訓が込められているのではないか、この詩には。って思ったりする。(Belle)
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ソーシャルメディアで “フレンド” たくさんいる方、うらやましい〜 (笑)。ソーシャルメディアしてないので (いまどきしてない? 笑)、フレンドは ゼロ (笑)! それに自粛で出会う場所がなさすぎる。以前は、野球場で後ろに座ってる人と電話番号交換したり (するの? 笑)、居酒屋の隣の人と酔っ払って電話番号交換したり (また? 笑)、バーで話していて電話番号交換したり (この人 Washington DC 在住 笑)、リトル東京のカラオケ屋で、酔っ払ってて半分覚えてないけど、次の日、携帯に新しい番号があったり(毎回交換? 笑)、あとで誰だっけ?というのが多かった (笑)。お正月を機会に「あのー、会ったのは覚えてますが、お名前なんでしたっけ」と整理した (笑)。しかも相手は100%男児! ちゃんとその方々とはホリデーの挨拶を交わしたり、今でも連絡してる。なんで全てオトコか、、オンナの人は、怖い (笑)。なんか、わたしがふざけすぎて怒られそうで・・ (笑)。オトコは話しやすいし、気さくに接してくれるでしょ (向こうはそうは思ってないかもな 笑)。そもそもリアル世界の友達も男児が大半。これって過去世と関係あり?と思ったのは理由じゃないけど、興味深々で退行催眠を受けてみた、ら、、そこにいたわたしの本性は、、、オトコだったー! 笑! (やっぱりな 笑)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は友達が少ない。引っ越しを繰り返したせいもあるが、ちょっと親しくなっても、場所が変わると連絡を取らなくなってしまうのだ。母親になって子どもの学校で知り合った、いわゆる “ママ友” もできたが、お互い引っ越したり日本へ帰国したりで、あまり連絡を取らなくなってしまった。私もこまめに連絡を取るタイプではないので、それもあってか、だんだんと疎遠になってしまうのだ。ニューヨークで会社に勤務していた頃の元同僚は、何かしら今でもこまめに連絡をくれるのだが、それには本当に感心する。お互いにその会社を離れてからもう15年経つというのに、日本に帰国した今も連絡をくれるのだ。私の誕生日には必ずテキストも送ってくれる。そんな彼女は友達がすごく多く、思い立ったらすぐに行動するような活発な人だ。そのくらい、パワフルでマメじゃないと、友達って増やせないのではないだろうか? しかし今、私にはそのパワーはどこにもない。もし一人暮らしだったら一日中家の外に出ることもなく、誰とも話さなくても平気かも。これはマズい。誰か上手な友達の作り方を教えてほしい。この年になって今更だけど…。 (SU) |
(2021年3月16日号に掲載)

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▽私は封建的な家父長制が亡霊のように残る旧家で幼年期を過ごした。有力地主の祖父から家督を継いだ父は (バブルが弾けて没落)、生業に就いたことのない、悪く言えば “世間知らずのエエカッコシー” だった。癇癪 (かんしゃく) 持ちで、プライドが高く、家族の中で一番厄介な存在。家長の権威を最大限に振りかざし、攻撃的で相手を威圧する気迫にあふれ、天下人のような大言壮語を繰り返すキャラだったが、トイレの詰まりを解決する道具「スッポン」の使い方を知らなかった。▽お隣さんは10人ほど共生している雑居家族。統率者は元米軍人のMさん。実子と義子が同居する複雑な家族構成のようで、メリハリある共同生活を維持するため、Mさんは家族一人一人に、芝刈り、プール洗浄、屋根掃除などの義務を課して大声で指導する。軍務経験があるだけに、Mさんの掛け声は鬼軍曹の新兵訓練を思わせるほどよく通る。一家は夏になるとプール遊びに夢中になり、親と子が順番に屋根から飛び込む愚行を一日中続ける。整然とした反復行動。規律ありすぎの家族は、遊んでいてもまるで海軍のブートキャンプ。▽肩こり解消のために、ほぼ毎日、私と妻は5〜6kgのバックパックを背負って生活している (これ効果アリ)。「ヤドカリ家族」と呼ばれる日も近い。(SS)
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▽自分が子どもの頃は、祖父母、夫婦、子どもが一緒に暮らす3世代同居世帯が多かった。でも、"いけいけどんどん” の昭和の高度経済成長期、日本の産業の中心は、農業や漁業から製造業やサービス業に変化して、たくさんの人が農村から都市へ移動した。我が家も右へならえで、福島の農村から千葉へ移り住み、米作り農家から八百屋へと商売替えをした。4世代が同居していた大家族は、小さな核家族となった。▽私たち夫婦には子どもがいない。晩婚だったこともあり、子どものことまで考える余裕がなかった、というのが正直なところ。旦那もノンキな人で「子どもがいたらすごく幸せだと思う。でも、いなくても同じぐらい幸せだと思う」と言っていた。
自分は母親にはなれなかったが、母親のような温かい存在の女性になりたいと思う。▽定年後に「卒婚」や「友達同居」を実践している友人がいる。「旦那には月に一度くらい会うんだけれど、お互いに久しぶりで話も弾むし、新婚時代に戻ったよう」と、空き家になった実家で書道クラスを始めた友人がいる。「配偶者も子どももいないし、好きな仕事をしながら、友達同士で暮らせたらいいなって」と、独身・バツ2・未婚の母で同居している同級生もいる。昔ながらの “家族のカタチ“ に振り回されず、自分らしい生き方を選んでいるみんなの元気に拍手喝采!(NS) |
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家族の大切さは、台湾から離れ、日本へ留学していた時に初めて感じたかもしれない。生まれて初めてのひとり暮らし、料理もできず、生活の苦しさも知らず、日本語も挨拶会話レベルだけで日本へ行った私には、台湾の家族が恋しかった! 日本に着いてから、学校に通いながら、生活費だけは自分で稼ぐと宣言して、学校近くの八百屋さんでバイトをしていた。日本語があまり分からなくて、コミュニケーションが大変だった。アパートで泣きながら、野菜とフルーツの種類の単語を必死に覚えようとした記憶がある (笑)。でも、仕事をしていくうちに、スタッフの皆さんが常にヘルプしてくれて、あっという間にお店の一員と認められた。アパートの大家さんも私のことを娘のようにとても可愛がってくれた。“日本のママ” に感謝! 私にとって、台湾には大切な家族がいる、日本に第2の家族がいる、そして、アメリカに夫の家族+家族のような友人たち+職場の家族がいる。愛されている私は、世の中で一番ラッキーな人だと思えて、幸せを感じる。 (S.C.C.N.)
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20歳でアメリカに来て9か月間滞在させて頂いたホストファミリーの家で、初めていろいろな人と一緒に暮らす体験をした。家族はコスタリカからの移民のホストマザーとドイツ系アメリカ人のホストファーザー、17歳の娘さん、アダプトした黒人ミックスの2歳の息子さんだった。そこには常に各国からの留学生2、3人が滞在していた。結婚して別宅に住んでいる成人した娘さんと旦那さん、幼い孫2人もよく訪ねてきた。クリスマスやサンクスギビングには大家族でディナーテーブルを囲み、プレゼントを送り合うなど、アメリカのホリデーを満喫できた。ハウスメイトの留学生の子たちとも友達になった。イタリア、スイス、フランス、スペイン、ブラジル、日本と出身国もさまざまで、みんなの話を聞くのが興味深かった。休日の度に、女の子たちとバスでラホヤショアーズにビーチタオルを持って、リラックスしに行っていたのが懐かしい。ホストファミリーとの生活で、良い体験をたくさんさせてもらって有難く思う。 (YA)
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△家族って不思議な共同体。赤の他人が一緒になって家族となり、子供が生まれて家族が増える。血縁で繋がっている家族もあれば、血が繋がっていなくても家族っていうこともある。一緒に住んでいない家族もいる。一緒に暮らす動物がいれば、その子たちも立派な家族の一員になれる。私が今、一つ屋根の下で一緒に暮らす家族は、夫と娘、猫2匹。コロナで一家は缶詰状態。密な生活を送っているから、ぶつかり合うことも増えたかもしれないけれど、総合的にはハッピー家族。△現在、日本で審議されている選択的夫婦別姓制度の導入の行方が気になる。姓の違う家族だと絆が弱まるのでないか、子供が混乱し、可哀想ではないか、など、いろいろと懸念の声も多いようだ。夫婦別姓を選んで結婚し21年目を迎える私たち夫婦。娘には私の姓を与えている(これはアメリカでも珍しいようだが)が、姓が違うからといって私たち夫婦の絆が弱くなっている気も全くしないし、娘も一向に気にしていないようである。家族って姓なんかで弱まったり強まったりするものではないんじゃないかな。夫婦別姓という選択肢がある国って魅力的だと私は思う。 (RN)
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最近、Youtubeで松坂慶子と故渡哲也が演じる「熟年離婚」というドラマを見た。世の中で時々起こる、主人の退職の日に妻が離婚を申し出る、という内容である。この夫婦には子供が3人。それぞれがちょっとした問題を抱えながら生きている、という設定だ。妻は彼と結婚して35年、家庭を顧みず、ひたすら職場人間として働く夫を一生懸命支え、子供を育て、という典型的主婦生活にピリオドを打ちたい、私も自由に生きたい、と宣言したのだ。青天の霹靂。退職の日に妻への宝石を購入したり、妻との海外旅行に備えて英語学校への入学など準備をしていた矢先の、爆弾発言に夫も一時は言葉を失う。まさかのまさかである。それぞれの子供たちが持つ問題にぶつかりながら、夫の「古風、石頭」的な考えが少しずつ溶けて行き、現実を受け入れていく、いかなくてはいけない状況に、自分のこれまでの人生を正当化してきたことを反省するも、既に時遅し。そして「家族はそれぞれいろんな悩みを抱えながら生きている。長い間一緒に暮らしてきたのに、家族って一体何なんでしょうね」という言葉で、ドラマは終わる。子供がいない私は、そういう騒動に巻き込まれることもないが、家族の在り方と真剣に向き合う機会も得られなかった。「一体、独りって何なんでしょうね」。 (Belle)
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うちの実家は、名古屋でお爺ちゃんが始めたプレス屋さんだった。プレス屋って知ってる? 洗濯屋さんとよく間違われるんだけど、クリーニング屋さんではない。紳士服がお店に並ぶ前、生地から仕立てあがったばかりのジャケットやズボンをですな、型に置いて、高圧の水蒸気アイロンでビシッとスーツの型に決める、アイロンがけ屋さん。肩、襟、腕、ズボンも線が入ってるでしょ、あれよ。時代と共に安価な海外製スーツに移行して、長男も別の道を選び、跡継ぎもなく、家業もお父さんの時代で店じまい。これはうちだけじゃなく、友達の家でも起きてるね。彼女の実家は東京浅草橋にある100年以上続く洋食屋さん「一新亭」。84歳と80歳のご両親だけで経営していて、体力的に毎日営業できなくなり、姉妹2人が交代で手伝うようになったって。オムライス&カレー&ハヤシライスが一皿に乗ってる “三色ライス” が看板メニュー。聞いただけでうまそ! うちと違って、ってことでTVの取材を受けたり、子供や孫、家族で手伝える環境がいいよね〜。ご両親幸せだろーね〜・・・あー! 今、大きな違いに気付いちゃった・・・うちは昭和・平成で閉店。一新亭さんは、明治・昭和・平成・令和・・・まだまだ現役だった! (しんつれい!笑)。(← 孫と彼氏が継ぐかもだしー!笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私は二人姉妹の姉だ。冗談一つ言わない厳格なサラリーマンの父と、パートタイムで働きながら、一人で子育てをしたような母親の元で育った。この流れで行けば、私たち姉妹は真面目で勤勉に育ちそうなものだが、全く逆の状態。姉の私は、単位が足りる、足らないのギリギリで高校を卒業し、滑り込みで受かった短大卒業後、そこそこの会社に就職したと思ったら、たったの2年半で辞め、サンディエゴに語学留学。9か月だけの留学で帰国する予定が、旦那と出会い、そのまま永住。そして妹、紀子。出来ちゃった婚で、片田舎の本家の一人息子と結婚。彼の親はそこそこお金があるけれど、旦那は売れない貧乏バンドマン。造園の仕事をしながら、週末はライブ活動。日本ではまだまだ視線が厳しいタトゥー、夫婦そろって数が増えていき、娘の授業参観は、真夏の猛暑日でも長袖&長パンツだ。そして数年前、脱サラで自分たちのライブハウスを開けた! 現在は金髪の妹とドレッドヘアの旦那。数十年前は喧嘩と涙ばかりの実家の家族だったが、両親もかなり免疫ができた (ということにしておく)。COVID-19の世の中で、この家族が私の宝物だとつくづく感じる。(IE) |
(2021年3月1日号に掲載)

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一時帰国の際は「JRパス」をフル活用し、日本中を巡って駅弁を味わう。▽「出島弁当」 (長崎駅):“長崎会席弁当” と呼ぶべき絶品。紅さし南蛮漬け、皿うどん、オランダ風角煮、ごま餅、お煮しめ、うなぎ串焼き、からすみ、びわ、カステラまで堪能できる。和洋中のハーモニーが見事。ビッグサイズで彩りも豊かなので、皆が振り返る豪華版。これぞ No.1! ▽「かにめし」 (福井駅/鳥取駅):小声で言うと、カニの量は福井が多い…。▽「貝づくし」 (品川駅):アサリ、ホタテ、ハマグリ、シジミ、貝柱の5種類を惜し気もなく詰め込んだ逸品! “江戸前” の名が生まれた品川沖の魚介類がぎっしり。駅弁グルメの粋、ここにあり! 売切続出。▽「帆立のおこげ」 (函館駅):ホタテとバターの創作風一口寿司。包装紙が似ていた「ミニ寿司セット」を間違えて買ってしまった! 可愛らしく魚の形に切られたネタが腹立たしく…。▽私と妻は東京駅の幕内弁当を食べながら、始発の 「ひかり」で西へ向かった。新大阪駅で妻が昼食用に買ってきた駅弁。それは朝食べた駅弁と同じだった。東京駅と新大阪駅のラベルと図柄は違うものの、中身は全く同じ! しかし妻は「これも美味しいね」と言いながら、あっという間に完食。なぜ気付かない? 多分、この人は味やバラエティよりも量が重要なのだ。(SS)
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▽ヘルシーで栄養満点、 パパッと作れる料理が好きだ。玄米、豆腐、納豆、しめじ、えのき茸など、我が家の常備食を使った最近のお気に入りレシピは、おからサラダ、酒粕入り豚汁、キムチスンドゥブ、豆腐お好み焼き、豆乳酒粕グラタン等々。日本の食材を豊富に取り揃えてくれている日系のグロサリーストアに感謝。▽このごろハマっているのが、ドライフルーツやナッツで作るヘルシースイーツ「ブリスボール」(http://bit.ly/3rlNvQn)。旦那は “泥だんご” と呼んでいる。そして、1分でできる「ブルーベリージェラード」(https://bit.ly/3ttd7wI) もお薦め。昨年の夏、凍らせてシャーベットにして食べまくった。両方とも、砂糖を使わず、グルテンフリー、添加物なしの「罪悪感ゼロ」のお菓子だ。▽好きな食べ物と言えば、母手作りの会津の郷土料理「こづゆ」。お雑煮のような汁物で、腕を奮うたびに母がドヤ顔をしていた。そして、米粉を使った祖母お手製の「三色あんころ餅」。それから、魚介のうま味たっぷりで、華やかなトッピングが見ごとな、義理の姉の「絶品パエリア」。みんな天国に旅立ってしまったので、もう味わうことができない。なぜか、教わった通りにやっても、あの味にならない。四世代一緒に暮らしていた、賑やかな実家のみんなの笑顔とほっこり料理を懐かしく思い出す。(NS)
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この世の中には美味しい食べ物がたくさんある。《その1》もしも、食べ物を一つだけ選ばないといけないなら、、、私の答えは「たまご」で〜す! 幼い頃からたまごが大好き。特に半熟卵が大好物。個人記録では、一日に半熟のゆで卵を5個も食べたことがある (多すぎだと分かっていても、、、)! たまごがあれば私はハッピー (笑)。《その2》 ホワイトチョコは全然ダメだが、ダークチョコレート (カカオ含有率65%〜70%) は大好き! コントロールできない私は一度に10個以上も食べたことがある (多すぎると分かっていても、、、)! ミント、抹茶、ココナッツなどがミックスされたチョコレートじゃなく、ただ単純なダークチョコレートがベスト! 《その3》甘エビ、うに、いくらの海鮮丼が大好き! 自分で作って美味しく食べている時に幸せを感じる(また食べたくなった!)。《その4》台湾夜市の定番グルメ「豚の血ケーキ」! 香菜と辛いタレを漬けて食べると最高! 里帰りの時は必ず買いに行き、その場で一気に食べちゃう! (S.C.C.N.)
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△好きな食べ物はいろいろある。○ フルーツ全般....最近のお気に入りはゴールドキウイ。2つに切って、スプーンですくって食べる。あまずっぱい。○ 麺類....コシの強い讃岐うどん (地元に近いこともあり、しょっちゅう食べてた)、ラーメン、パスタ....パスタはなんでも好きだが、ラビオリが特に好き。○ サーモン....お刺身のネタもサーモンが一番好き、スモークサーモンも良いし、昔は苦手だったイクラも大人になってから好きになった。それから、シンプルに焼いた塩ジャケ。それと、ご飯があると他に何もいらないかも。○ もちもちしたパンと美味しいバターだけでも生きていけそう。基本的にシンプルな食べ物が好きなのかも。△8歳の息子に好きな食べ物を聞いてみた。即答で「ピザ!」と返ってきた .... 超アメリカ人男児だ。6歳の娘の返答は 「ブルーベリー」だった。小さいながらも女子っぽい。ファンシー&ヘルシーだ。夫の返答は「ステーキ、ハンバーガー」.... これも予想通り .... アメリカ人っぽいなーー。 (YA)
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メインディッシュについてくる付け合わせやソース類が好き。カレーライスなら、福神漬け、らっきょう。サンドイッチやハンバーガーならキュウリや玉ねぎのピクルス。メキシカンフードだと、ハラペーニョや人参の酢漬け、サルサ。インドカレー屋さんにあるバラエティーに富んだソースみたいなのも好き。そして、付け合わせに欠かせない香味野菜も大好き。みょうが、パクチー、万能ネギ、生姜、しそ、ミント・・・。香りづけに少々、とかではなく、料理によっては気がつくと結構な量を入れていて、香味野菜がメインになることも多々。ネットサーフィンしていて、ツレヅレハナコさんの「薬味のためのレシピ」なるものを見つけた時は、心が一気にときめいた。「小ねぎだけ肉団子」「長ねぎだけグラタン」「白身刺し身のみょうが和え」「ナンプラーパクチー焼き鶏」などなど、よだれの出てきそうなメニューの数々。メインを引き立てる脇役が大好きである。 (RN)
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まず第一に、私は食いしん坊であり、呑み助けである。食いしん坊と自らを称するには、世の中でフツーに提供されている食材に好き嫌いがあってはいけない、というのが持論。そこに呑み助が加わると、酒のつまみになりそうなものに対しては、多少ゲテモノに属しそうなものでも、お酒の勢いを借りてトライする。というように、私は何でも食べ、それらのどれも美味しいと思って、日々の食生活に満足している。そんな中に好きな食べ物と聞かれると、答えるのにちと困る、困る。そこを敢えて言うなら … 魚介類ではアラスカンキングクラブ、ウニ(これら2つはとりわけ高級食材なので、滅多に口に入ることがないが…)、そしてイカ(刺身よし、煮ても焼いても炒めてもよし!)。野菜類は殊に好んでいろいろな種類を料理して食べるよう心掛けているが、それでもどれが好きかを答えなくてはいけないのなら、レンコン愛。スーパーで安売りがあると、たとえ手持ちがあったとしても買わずにはいられない。しかし、レンコンは意外に傷みやすいので、天ぷら(これが一番好み!)、酢レンコン、金平、はさみ揚げ、焼きレンコンなど、レンコンだらけの惣菜をせっせと作り、毎夜、お酒のお伴にして至福の時を過ごす。ああ、シアワセだなあ、と思う瞬間である。(Belle)
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わたしのお父さんは、昭和の戦後の人にある特徴?だと思うんだけど (違ったらゴメンよ!)、超ありがたい白米が大好き。というか (ご飯は) 白米しか食べないし、毎食、白米がないと、イヤみたい (笑)。玄米はもちろん、お米に異物が混ざっとると、いかん (名古屋弁)。確かに・・・思い返せば、家では定番のチャーハン食べたことないかも (笑)。子供だからチャーハン食べたいでしょ、タコのウインナー乗せてさ。オムライスもない。これまた子供の定番ではないか! 白米が黄色に染まってしまうカレーライスも、当たり前にダメ (えーーーー!)。カレーは食べたことあるけど 「ヤッター!今日はカレーだ!」と飛び跳ねて喜んだ覚えがないわ。お父さんが 「あーぁ (ため息 笑)」風にきっと食べていたので、子供の此方 (こちら) としても、淡々と食べてたんだろう (かわいそーな幼少期 笑)。お母さんがカレーライス好きじゃなくて (珍しい 笑)、自分が作っても美味しくないって言ってたから、本当にマズかったかも (カレーが美味しくないってありえる? 笑)。結果、反動で好き嫌いのない良い子に育ち、大人になったわたしが作るもの、全部好き!(笑)。(というか、全部うんめー!笑 ← ひっそり自慢 笑!)。 (りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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ラーメン、カツ丼、カレーなど、若いサラリーマンがガッツリ昼食に食べそうなものが好きだ。しかし歳のせいか、最近は好きでもあまり量が食べられなくなった。それに新陳代謝も衰えてきたこの歳で、これらを頻繁に食べ続ければ、メタボまっしぐらだろう。そのため、今好きなものはシンプルで簡単に食べられるもの。一番好きなのは、炊き立てご飯に卵かけご飯。残念ながら、アメリカで生卵を食べるのは怖いので、目玉焼きをちょっと半熟気味に焼いて、ご飯に混ぜて食べている。さらに、日本に帰れば必ず持ってくるこだわりの焼き海苔 (のり) を醤油に漬け、炊き立てご飯で食べるのが最高。要するに、美味しいご飯と何か一品あれば、それで結構満足してしまう。醤油は必須。最近、日本の家族と話をしていたら、「アメリカの米 (特に我が家の米) は不味 (マズ) いから、今度来る時は日本から米を持っていく」と言われた。美味しいと思って食べていた米が、日本の家族には不味かったとは! そういえば、実家ではわざわざ北海道から米を取り寄せているほど、米にはこだわりがあるのだ。安い米ばかり選んで買っている我が家のご飯に満足するはずがない。 (SU) |
(2021年2月16日号に掲載)