Thursday, 21 November 2024

あの頃

 

▽遠い昔の小学校時代。子供たちに豊かな情緒を涵養 (かんよう) せしめる目的から、文部省 (当時) 推薦作品など2本立てを楽しむ「映画教室」があった。驚くなかれ、教育映画の上映後に青年向けの恋愛映画も児童に見せていた! 舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫が (古くてゴメン) 自分のヒット曲と同名の映画に出演し、ヒロインも20代の吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子と華やかな顔ぶれ。純愛がテーマなので、小学生にも無害と判断? 先生たちが見たかった? 私たちは口を半開きにして、大人の恋愛模様をボーッと眺めていた。舟木一夫『絶唱』の一節「♪ 愛おしい山鳩は~山越えてどこの空~名さえ儚 (はかな) い~淡雪の娘よ ♪」を耳にすると、今でもドキドキする。▽半世紀前の日本。男のエエカッコシーにロマンの香りが漂う新車のCMがあった。最終列車に乗り遅れた女を新車に乗せて、次の駅まで颯爽 (さっそう) と送り届ける男。女「お名前だけでも」。男「急がないと、また乗り遅れますよ」。会話はこれだけ。ナレーションが入る。「雪明かりに忘れられぬ、サファリブラウンのブルーバード。心に残る男のクルマ!」。見ていて冷や汗が流れたが、寡黙な男がモテるイメージ全開の新車は空前の大ヒット。ジュリーも歌ってたな。「♪ ボギー! あんたの時代は良かった! オトコがピカピカのキザでいられた ♪」。あの頃のダンディズムは消え失せた。今では、無口すぎる男は変質者に間違えられる。(SS)
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▽スマホやメールが普及する前、連絡は家の固定電話を使っていた。彼氏からの連絡を家族に知られぬように、電話の前でドキド待っていた記憶がある。渡米してからは、国際電話料金が高額で、用件だけを話してすぐ切っていた。ショルダーホンを購入した友人からは「電話するね」と前もって告知が来た。黒電話、プッシュホン、ショルダーホン、ポケベル、ガラケー、スマホと、連絡手段は進化してきた。今は好きな時に、いつでもどこからでも、すぐに連絡ができる。その昔、「真知子」と「春樹」のすれ違いの運命に、母とともに息をのんで見入っていたTVドラマ『君の名は』が懐かしい。▽高校時代、全商珠算検定で1ドル=360円と教えられた。しかし、社会人になる頃に変動相場制へ移行。80年代の留学時には1ドル=220円。1995年に姪の結婚式で里帰り。空港で1,000ドルを両替すると、なんと70,000円にもならない。銀行スタッフの「1ドル80円でも、実際のレートは・・」との言葉に驚愕 (がく)。日系2世の知人の奥さんは、以前、住み込みのお手伝いさん付きで横浜に暮らしていたそうだが、「今度は自分がお手伝いさんとして働かなくては」 と言っていた。そして今、1ドル=150円の円安。新たにアメリカへ移住した知人の驚きの表情が目に浮かぶ。為替の流れは予測不能。ビジネスをしている人は大変だ。歴史の中の円の動きに思いを馳せる。(NS)
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▽高校生の娘の話を聞いていると、自分の頃はどうだったか、思い返すことがある。娘と同様、友達関係、授業の課題やテスト勉強に追われて大変だったな〜。大体、何となく同じような感じだけれど、決定的に違うのはインターネット、スマホの存在。友達との会話、学校の連絡事項、成績のチェック、何でもスマホで済ませてしまう。分からないことがあれば、自分でササッとネットで調べてしまう。あの頃、スマホがあったら、どんなに便利だったことだろうか——。▽髪を切りに行ったら、若い日本の子がアシスタントとして働いていた。髪に色を塗ってもらっている間に、最近の若者言葉についていくつか教えてもらった。エモい、量産型、草、など。「それマジ草」 などは見かけていたけれど「マジソウ?」 で意味分からず。草はクサと読み、大笑いを意味するとは想像もしなかった。日本の言葉にとてもついていけない感覚は年々増している。そして、アメリカの若者がテキストのやり取りで使う省略語も理解できないものが結構ある。「I will do it rn」とか。rnって何? 娘に尋ねたらright nowと即答。最近は慣れてきたけれど、句読点の省略 (消却が正しいかも) もスゴい。最近の若い人の傾向らしい。私が若者だったあの頃、今の私のような年齢層は私たちを見て「訳わからん!」と、首を傾げていたのだろう。(RN)
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suzuko-san
このテーマをもらって頭に浮かんだのは、かつて “ゴッド姉ちゃん” と呼ばれた和田アキ子が歌う「♪あの頃は~♪~ハッ♪」のフレーズだ。これ以外に歌詞もメロディーも何も覚えていない。歌い出しと、1フレーズ後に発せられる「ハッ!」があまりにも強烈な印象で、それが記憶に残っているだけの曲。曲名は何だったのか? 「あの頃は」とだけ書いてYouTubeでサーチすると、ホントにあんたはエラい! 即座に「古い日記」というタイトルが出てきた。へぇ~、そんな曲あったのか。全く覚えていない。発売は1974年とある。約半世紀も前の曲だ。あぁ、そうか。古い日記を読み返してみると「あの頃は」・・となるのだね。私といえば、日記を書く習慣は全く持ち合わせていないが、学生時代からカレンダー手帳にその日の出来事だけをきちんと書き記していた。良い機会だからと、その手帳を探したら、遥か昔、19歳の時の手帳が出てきた。開いてみたら、何と何と、初代ジャニーズのメンバー、飯野おさみのサインが目に飛び込んできて、一気にあの頃の感覚が甦った。私は中学・高校とジャニーズの追っかけをしていたのだ。ジャニーズ解散後、彼が木の実ナナと岡山に来た際、新幹線のホームに見送りに行った時にもらったサインだ。あぁ! あの頃は、こんな人生になるなんて・・・誰が想像しただろうか。 (Belle)
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jinnno-san
どのくらい昔のことを「あの頃」というのか分かんないけど、、先月、ふるさとの愛知県に帰ったとき、半年ぶりにお姉ちゃんの末娘・彩雲に会った。彼女は幼い頃から絵を描いたり、お菓子作りが好きなワタシ系の高校生。冬に再会した時は、お正月というお祭り騒ぎで人も多かったし、彼女と話す機会がなかった。今回はお土産として、ココナッツ・フラワー (ココナッツの粉) で何か作るかなぁ?と思ったので、試しにあげてみた 笑。そしたら次の日、そのココナッツ・フラワーでケーキとパンを作ってた! 結構ビックリ。聞くところによると、ググってココナッツ・フラワーを使ったレシピを探しても、日本語は見つからなかった。パッケージの裏に使い方が英語で表記されてるけど、読めないっ! 笑。適当に作ったらしい (ホント、わたしに似てる 笑)。そういえば、わたしも彼女くらいの歳に、裁縫したり、お菓子作りしてたよなぁ。お母さんの新車にシートカバーを縫って作ったり。・・・わたしってスゴくない? 笑。でも、ちょっと違うところは、写真を見ると、彩雲の周りには女子の友達しかいない。わたしが高校生の時は男子を家に呼んで遊んでいたわ。あの頃のわたしは、女子がすることも立派にしてたし、男子と対等に遊べる逞しいオンナでもあったってことねー。ちょっと待てよ。あの頃だけじゃない。現在も続いているわ 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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子供時代を過ごした昭和が懐かしく、恋しく思う瞬間がある。今の時代が断然、何かと便利だが、昔と比べると、子供たちの自由が制限されている気がする。学校から帰宅すると、習い事だったり、塾だったり、とにかく忙しい。友達同士で遊ぶ場所も相手の家か自宅。子供は車で移動できないので、近くのコンビニやカフェで待ち合わせて、おしゃべり程度で切り上げる。私が子供の頃は、小学校低学年から近所の友達と駄菓子屋さんに寄ったり、公園や海岸へ行ったりと (実家の目の前が海)、放課後は割と自由気ままに遊んでいたものだ。そういえば、台風が近づいている海岸へ友達と2人で出かけ、荒波が土手に当たって波飛沫が舞い上がる様子を見たい一心で、大波が来るのを待っていた——なんてこともある。防波堤で波が砕ける音がすると、飛沫が土手を越えてくるのが分かるので、走りながら後方へ逃げる——というスリルを楽しんでいた。何とも危険な遊戯に興じていたものだ。今、子供たちがそれをやろうものなら、私は絶対に制止する。私の母は自分を野放しにしすぎたのだろうか? いずれにしても、便利な現代も良いけれど、規制が緩やかで、ほのぼのとして、何かと自由に恵まれていた昭和時代に郷愁を覚える。(SU)

(2023年10月16日号に掲載)