Saturday, 07 September 2024

寿命

 

還暦を過ぎても初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の知人もいて、間違いなく寿命のマジックナンバーのカウントダウンが進んでいる。▽経験則では語れない死。仏教書を読んでもイメージが先行して「あの世」がどんどん遠くなる。私のように霊界を想定した説法に倦んで、神の摂理にも導かれず、真如縁起にも疎い人間は無神論者/無宗派の一語で括られる。▽『歎異抄』 にも挑戦したが「無碍の一道」=死をも煩わない無想の境地=は深遠すぎて本流の対岸が見えず、危うく溺れそうになって断念した。観念的に理解できても、実践論としての釈義を求められるとお手上げだ。▽曹洞宗の名僧、永平寺78代貫首・宮崎奕保禅師の言葉を聞いて雲間から光が射し込んだ。「平気で生きていることが悟りなんや」。仏道修行は死ぬ覚悟や勇気を求めることにあらず。凛として生きる態度が彼岸へと導く。講演で聴いた碩学2人の至言も頭から離れない。「死ぬまでは生きている」 (独文学者・高橋義孝氏)。「寿命を迎えたらさっさと死ね」(禅僧・関牧翁)。箴言ここに極まれり。▽不幸・不運に遭遇しても、意味を見つけてユーモアに解し、自ら態度で示して人生に答えたいと思っているが、この「態度に示す」 が実に難しい。私たち夫婦は今際の際に、これまでの愉快な話をして笑って見送ることにしている。(SS)
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▽先日、テレビで不老不死とされるベニクラゲの特集番組を見た。特殊な生態を持つベニクラゲは、体が傷つくと幼体に変身して、何回でも若返ることができるらしい。「ベニクラゲ、いいな」とつぶやいたら、「死があるから、生は美しい」と旦那。そこまで、すんなりと受け入れられない自分がいる。▽母が逝き、父が亡くなって、妙な感覚に襲われた。自分の前に遮るものが無くなって、親の姿に阻まれて見えなかった「死」という水平線がくっきり見えてきた。「次は自分の番だ」という感覚。同時に、子どもを守ってくれていた大きな親の盾を感じた。そして、人生の水平線に思いを馳せながら歩いていると、兄弟や友達や同僚やペットなどがとても大切な存在に思えてきた。▽寿命を考えるとき、スティーブ・ジョブズの最後の言葉を思い出す。「人生を十分に過ごせるだけの富を積み上げた後は、富とは関係ない、他のことを追い求めた方がよい。もっと大切な何か他のこと。それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね」。成功しても、お金があっても、病気を肩代わりしてくれる人は買えない。ジョブズは家族や友人との時間、愛、健康、夢を追いかけることが本当に大切だと語っている。確かに、あの世に持っていけるモノは、愛情にあふれたポジティブな思い出だけのような気がする。(NS)
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「散る桜 残る桜も 散る桜」。良寛和尚の辞世の句とも言われているこの禅語。桜は散る。命は散る。必ず散りゆく命とは何? 病に冒されたから死ぬのではない。生きているから死ぬのである。数か月後の死は不幸で、10年後の死は幸福かといえば、そんなことはないのだろう。▷長期の闘病生活の後、40代後半で亡くなった私の祖母。子供たちが自立し、これから自分の好きなことをゆっくり楽しもうとしていた矢先に病に倒れ、60代後半で亡くなった私の母。平均寿命に及ばずに亡くなった母たちのことを考えると、天寿を全うできずに可哀想だったと心が痛むのだが、良寛和尚の命についての考え方を知り、長生きできずに不憫だったと悲しむ必要はないんだなと、少しだけ心が穏やかになる。▷生きているから死ぬ。とはいえ、命の終わり方は穏やかなものであってほしい。不慮の事故や事件、戦争などで理不尽に命を奪われてしまうのは、どうにもやるせない。宗教上の争い、土地や資源の奪い合い、権力者の利害関係、文化や民族性、政治的信条の違いなど様々な理由で、今も世界各地で争いが続いている。争いの犠牲になって命を落とした人たちの無念さを考えると心が痛む。問題を武力解決しようと決めたトップの方々、どこかの無人島に自分たちだけで集まって、一騎討ちなり何なりで、勝負して頂けたら幸いです。(RN)
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suzuko-san
私の父は77歳、母にあっては52歳と若くして亡くなり、両親とも平均寿命まで辿り着くことができなかった。しかし、父方の祖父は90歳、祖母は80数歳と、その時代の人としては長寿を全うしたと言える。彼らには3男2女の息子と娘がいたが、お酒を飲み過ぎて肝臓を悪くした父を除いては、皆が100歳近くまで生きた。母方の家系も母を除いて比較的長生きだった。故に、我が家の家系は平均寿命は超えられるらしいと勝手に推測している。先日、子供のいない数人の友達が集まり、その時の話題がお金と寿命。あと何年生きられるかが分かっていれば、お金を後世に残す必要のない我々としては、手持ちのお金を余生の年数で配分して使い切ることができるのだが・・と。しかし、人生はそうはいかない。とにかく生きるにはお金が必要。人生85年と踏んでお金を使ってしまい、想定した平均寿命を超えて命が続きそうなら、その後の人生は使えるお金も残り僅かで、惨めさを強いられる恐れもある。人生の終盤になって惨めな思いなどできるだけ避けたい。友達の一人が言っていた。自分で余命を勝手に決めて、その日が近づいたら、有り金をはたいて豪華クルーズ船に乗り込んで、お金が続く限り世界中を回る。そして、所持金が尽きた時点で海に飛び込む。これなら日々豪華な思いに浸ったままで死ねる・・と。さぁ、あなたならどうずる?  (Belle)
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jinnno-san
わたしはふるーいラップトップを使っている。たぶん15年前くらいの機種 笑。しかも、人からもらったお古 笑。年季が入っているからインターネット速度が遅く、Zoomなどのテレビ会議に使用すると、ビデオ画像が鮮明に映らなくて、いつも顔がブレている 笑。でも、不具合はそれくらいで、他には別に支障がないし、今でも文章は書けているし、使えるから買い換えていない。たまーに充電コードの機嫌がワルかったりすると、パソコンが使えなくなる恐れがある。コードの一部分が切れそうになっているけど、そこは触らずに、パソコンにつなぐ部分の挿し込む角度を変えてみたり、ねじれを直したりすると充電は復活する。同じことが珈琲グラインダーにも起こっている。これはホームレスの人から$2で買った (笑)。箱に入った新品で、これも15年は使っている (長持ち 笑)。それが突然動かなくなった。やはり、コンセントに接続する部分のコードをある角度にすると動くので、まだ現役活躍中。車もそうだけど、古いと扱い方のコツが分かってくる 笑。電化製品の寿命って10年?と言われていたっけ? モノも人もだろうけど、付き合いが長くなれば、不具合発生の可能性が出てくる。それでもコツさえつかんだら、10年以上付き合えるよー 笑。(なんの話だっけ?笑)(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私の父は2016年に83歳で亡くなっているが、母はこの3月で88歳になり、日本人女性の平均寿命 87.09歳を超えた。母は今年もアメリカに来た。さすがに長いフライトの疲れが身にしみる年齢となり、到着してから昼間も寝ていることが多かった。高齢なのに会いに来てくれた母には感謝しかない。まだまだ元気でいてもらわねば。母のことばかり言ってはいられない。平均寿命が伸びているとはいえ、自分の食生活を考えると楽観的になれない。オバさんになった今でも甘いお菓子が大好きで、気がつくと食事を抜いて、お昼にチョコパイを食べてお腹一杯になっていることも少なくない。一日中コーヒーばかり飲んでいることもよくある。今の生活のままではとても平均寿命まで生きていることなど想像できない。去年、日本に帰省した時の血液検査では、何の問題もなかった肝臓の数値が良くなかった。でも、原因が思い当たらない。お酒は飲んでいないし、週に1、2回テニスをしているので運動量もそれなりにある。強いて言えば睡眠不足だろうか? そんなことはない。日本滞在中はあえて早起きすることもないので十分に寝ていたと思う。あれから1年。取り立てて生活改善もせずに放置したまま。今年の夏も日本で血液検査をする予定。寿命も心配のタネだが、現在の健康状態がとても不安。(SU)

(2024年4月16日号に掲載)