幼少期を過ごした旧家は家父長制的な封建色が強く、戦前の竃 (かまど) が残された厨房では祖母が “総料理長” の風格で指揮を執っていた。祖父は旬の食材を好み、 一人だけ豪勢なメニューで1日5度の食事を楽しむ日々 (信じられない!)。祖母はまさに「生きた歳時記」で四季折々の旬味に通じ、台所に並ぶ食材の最高の味わい方と日本の習慣の本義を説明してくれた。旧家では月見を2度していた。準備するのは祖母。“芋 (いも) 名月” と呼ばれる9月中旬の「十五夜」(中秋の名月) はススキと月見だんごは勿論、12個のサトイモを供えて芋料理も食卓に並んだ。2度目は “豆名月” と称される10月中旬の「十三夜」。この日は豆料理のオンパレード。印象深いのは枝豆の色。祖母は水に浸した枝豆を茶色になるまで煮込んで青臭さを完全に抜いた。緑色で歯触 (ざわ) りの良い枝豆ではなく、しんなりと柔らかく変色した大豆という風情。自然食材の本質を堪能するため、旬の野菜を供えて、五穀豊穰 (ごこくほうじょう) を神様に感謝する儀式が月見だと教えてくれた。祖母が亡くなると月見行事は途絶えてしまい、季節を問わず野菜や果物が手に入る促成栽培の時代になった。旬が原点の料理文化を蘇らせるには露地栽培への回帰が必要だ。帰国する度にそう思う。今年の「十三夜」は10月14日。満月直前の美しい月 (月齢12) を眺めていると、あの頃を思い出す。(SS) |
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▽実家が商売をしていたので、忙しく働く母親に代わって、子どもの頃から祖母と一緒に家族の食事を作っていた。昭和30年代、我が家の食卓には毎日、昔ながらの茶色いおかずがいくつも並んでいた。▽小学2年生の夏休み、父方のモダンな叔母さんからサンドイッチの作り方を習った。家で振る舞ったら「これは美味い!」と家族みんなが喜んでくれた。グラタン、ハンバーグ、洒落た洋風料理が私の十八番となった。▽料理は人に作ってもらうほうが美味しい。ワシントン州に留学した3年間は食事付きの寮生活を送った。「こんなのマズくて食えない」と文句タラタラの日本人留学生を尻目に、お代わりの列に並んでラクチン料理をパクパク食べた。▽60代に入り、生活習慣病の兆しを感じたころ「体は食べ物でできているんだ」と改めて思った。でも、忙しいと料理に時間をかけるのが難しい。そんな時、知人がYouTubeの『買ったらすぐやる、野菜の下ごしらえ 30分だけ頑張ってみる』という動画を教えてくれた。火を使う時間や盛り付けよりも、野菜を洗ったり、皮を剥いたり、切ったりする下ごしらえが大変だったと気づいた。その「時短下ごしらえテクニック」のおかげで、毎日の料理がとても楽になった。野菜たっぷりのヘルシー料理で、疲れたココロとカラダを癒して「百二十歳バンザイ!」を目指したいと思っている。(NS)
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料理には、人々を惹きつける独特の魅力がある。最近、私は中国のガーリックチリオイルヌードルを作って食べることに夢中になっている。麺を茹で、その上に酢、醤油、ラー油、オイスターソース、フィッシュソースといった調味料を混ぜ合わせ、ニンニクや生姜、ネギを加える。その後、熱々に温めたオイルを注いで、香りが立ち上る瞬間こそ、まさに料理の醍醐味だ。このシンプルで風味豊かな一皿は、調味料の配分やトッピングを変えることで、毎回、新たな発見をもたらしてくれる。麺料理は、特に最近、私の心を捉え続けている。ガーリックチリオイルヌードルだけでなく、様々な国の文化に根付いた多様な麺料理が存在し、その一つ一つが独自の味わいと魅力を持っている。ラーメンやパスタ、フォーなど、世界中の麺文化に触れることで、味覚だけでなく異文化への興味も深まる。麺料理には自由度が高いという魅力があり、自分好みにアレンジすることが容易だ。少しの調味料の変化で、全く異なる風味を楽しむことができるのは、料理が持つ創造的な側面でもある。このように、料理を通じて、日常にちょっとした冒険心を持ち込むことができるのが、私が麺料理にハマっている理由の一つかもしれない。(RN)
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私は呑み助である。23歳になるまでお酒を避けて人生を歩んでいたのに「社会が悪い、男が悪い」。会社と当時のボーイフレンドに強要?されてお酒を嗜むようになった。「飲んだら、飲めた」もんだから、「飲み遅れた」分を取り戻すべく「飲み急いだ」ら正真正銘の?呑み助になった。今や、お酒無くして私の人生は語れない。お酒は私の最大の友達だ。その友達との関係を楽しむには、いわゆる「つまみ」 が不可欠。そう、私は食いしん坊でもある。お酒を飲むようになって、一人飲みでもちゃんと料理をして、何種類かの「おかず」とともにお酒を味わう。これぞ至福の時。作り置き野菜も加えて、食卓には小皿料理が10種近く並ぶことも。どんなに多忙でも、料理をする時間を惜しまない。というより優先順位の上位に料理がある。好きな音楽を聴きながら料理に勤しむのは最高のひととき。この国で暮らそうとしたとき、ビザ取得のために「食」関係の仕事ができたらと思った。結果、日本人のための民宿を始めたり、インド料理教室を開いたり、幼児のいる家族の夕食を週3回届けるという、ケータリングサービスを頼まれたりと、料理に関わる仕事もさせてもらった。「好きこそ物の上手なれ」とは言わないが、呑み助のおかげで自分のために料理を作るようになり、幸いにも、少しは世の中からお金がいただけた。まさに料理万歳!だ。(Belle)
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不慣れな料理は複数のレシピをビデオで観ながら作るのだけど、なぜか&いつも自分流に創作してしまう 笑 (レシピを参考にする理由って?笑)。自称エセ・メヒコ人のわたしは、得意?のエスパニョ-ルを活かしまくり、メヒコ料理はメヒコ人が紹介するレシピをググる。そして、メヒコのスーパーで「豚肉のタマレを作るんだけど、どのお肉がいいかな〜?」なーんて、肉屋のおばちゃんと軽く西語で雑談しながら食材をゲット。チレ (唐辛子) コーナーでは種類がありすぎて、どんな風味なのか全く分からんから、その場に居合わせた買物客におススメを聞き出したりする。タマレを作るのはご存知の通り (いや、知らんでしょ 笑) めちゃめちゃ手間がかかる。2日は必要 笑。そのタマレを自慢げに友達の誕生日に届けようと計画。でも、疲れ過ぎちゃって断念 笑。タマレの中身だけにして、豚の皮のおせんべいで食べるスタイルに変更。そんなレシピなんて誰も考えつかない 笑。自分でスゲーな!と自惚れたのは、私が米人さん向けにお料理デモを開いたとき。計量スプーンなど使わず「お醤油はこんくらい」と、瓶から適量を入れたら「これぞ料理する人の特技!」と生徒さんから褒められた!?(・・てない?笑)。まぁいいってことよ。だって、わたしの料理の9割以上はウマいから (ホント?)。(10割を目指さないのもわたしの料理! 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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夫のために料理するのがイヤ。というのも、彼は料理人として仕事をしているから。夫は日本食を口にはするが、もともと韓国料理が好きな人なので、帰宅すると食べたいものは自分で作っている。私が夕飯を用意しておいても、キムチチゲが食べたければ自分で拵えてしまう。私も簡単な韓国料理なら作れるが、夫の腕前には勝てないと思うと気後れしてしまい、楽しく料理ができないのだ。料理というのは、食べてくれる人のことを考えながら作るもの。日本にいる私の家族はほぼ自分の好みと同じなので、何でも喜んで美味しいと食べてくれる。しかし、夫は美味しいとは言ってくれるが、使った調味料などを聞いてくる。そして「美味しいけど、こうするともっと良くなる」などと必ずダメ出しをする。それを素直に聞き入れて「じゃぁ今度そうしてみるね」と明るく返せるほど私は人間ができていない。「ケッ! もう作んねーよ!」と悪態をつきそうになる。最近はとりあえず夕飯などは子供のためにだけ作り、夫が食べたいなら「その残り物をどうぞ」と思いながら準備をしている。子供たちに出したものを別の皿に夫用として取り分けておいて、「ほら、あるよ〜」と形だけ整えている。あとは夫が作ったお気に入りのキムチや漬物のサイドディッシュを適当に並べておくだけ。これが私の料理の流儀。(SU) |
(2024年10月1日号に掲載)