Thursday, 21 November 2024

 

車にまつわる思い出は「冷や汗体験」が多い。▽渡米直後に買った中古車はドイツ製の ハッチバック クーペ だった。9年落ちで走行距離は20万マイル+。前の所有者はかなり使い込んでいた。この車に7年間乗った。米国には車検制度がない。ある日のこと、メンテナンスの不備が災いしたのか、生命の危機に晒 (さら) されるとんでもない事態に遭遇する。アクセルを踏んでいないのに、轟音を立てて、車が勝手に急加速していく! まるでホラー映画! ブレーキも効かない! フリーウェイが一般車道に交わる直前、私はサイドブレーキを力一杯に引きながら減速させ、誰もいない歩道に乗り上げてエンジンを切り、危機一髪で事故を回避した。「制御基板の故障とブレーキオイル漏れが重なって起きた、珍しいケース」と整備士が説明してくれたが、車に呪われたような不気味さもあり、その場で「廃車にしてほしい」と告げた。▽2台目は日本製の旧式ミニワゴン。購入して1週間も経たない冬の朝に盗まれ、事故車となって乗り捨てられていた。警察署から “You're suspected of a hit-and-run.” ということで出頭要請を受けたが、事故発生日の前に盗難届が受理されていた事実が証明され、事なきを得ることができた。被害届をすぐに済ませたのが良かった。さもなくば、面倒な状況に置かれていたに違いない。 (SS)
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▽昭和30年代初期の日本、女性ドライバーが珍しかった時代、母は勇敢にハンドルを握った。故郷の福島から千葉へと移り住んだ我が家は、八百屋を開業。母は小さな白いスバルのバンで市場へと野菜を仕入れに行き、団地を巡っては挽 (ひ) き売りをしていた。時代とともに、八百屋はスーパーへと変わり、さらにセブンイレブンへと姿を変えた。車も、いすゞの3トン車や日産のブルーバードへと進化していった。男性ドライバー顔負けの母の運転技術を見るにつけ、私はいつも感心していた。時代は流れ、母もまた齢 (よわい) を重ねた。「80代半ばだよ。もう免許を返納した方がいい」と家族から薦められて、母は運転を断念した。その電話での寂しげな声が、今も私の耳に残っている。▽先日、駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えた。まぁ、何事もなかったから良かったものの、一歩間違えれば大惨事。ニュースで目にする高齢者のペダル誤操作による踏み間違い事故。反応速度の低下が原因で、一度のエラーが致命的な結果を招く。加齢により「なんで?」から「そうか!」への認識の転換が遅くなるとのこと。あの日以来、私はブレーキとアクセルを踏む際、常に疑念を持ちながら踏むようになった。慎重なペダル操作を心がけ、アクセルは優しく踏み込む。自分の運転に関して疑って掛からないといけないと、つくづく思う今日この頃。(NS)
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アメリカ生活に欠かせない車。今はもちろん必須だが、日本でも地方都市に住んでいたので、常に車がある生活だった。車好き&新しいもの好き (?) な父は、常に数台持っていて、どんどん車種を変えていった。そして、母の車は5年ごとに買い換えていたように思う。一番古い記憶は、三菱のディーラーに家族で行き、母用の車を買った時のこと。母は赤いミラージュを選び、車と一緒に黄色いエリマキトカゲの縫いぐるみやグッズをたくさんもらえて、嬉しかったのを覚えている。その頃はエリマキトカゲが流行 (はや) っていた。その後に買った車は車種は忘れたが白い車、次はワインレッドの車になり (会社の人と色が被って母が残念がっていた)、紺色の車にもなった。子供の頃は母の車でよく遠出をしていたので、車の変遷を覚えている。私はサンディエゴで留学中に運転免許を取得し、
中古車を買った。最初の車は当時で11年落ちの VW Rabbit。何度も故障して修理を繰り返し、5年ほど乗った。その後は、Honda CRX → Mitsubishi Mirage → Toyota Yaris Hatchback →Toyota Yaris Sedan。今年の頭に買い換えた Yaris には6〜7年乗りたいと思っている。7年後には息子も車を運転しているのかな。買い換え+息子の車・・・う〜ん、頭がイタいかも。 (YA)
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suzuko-san
私は23歳で日本の運転免許証を取得したが、公共交通機関が便利な東京都心住まいでは、車の必要性はほとんど無かったため、運転は故郷に帰った時くらい。ほぼペーパードライバー状態だった。その流れで、サンディエゴ暮らしになったのだが、当地では、車は日々の生活でのスーパー必需品。早速、運転免許証の試験を受けるべくDMVへ。運転練習は元・旦那が所有していたスポーツカー。ちょっとアクセルを踏むだけでもかなりのスピードが出る。「おお!こわ!」そんなだから、ついついノロノロ運転になって、元・旦那に「そんな運転でどうする!」と、何度謗 (そし) られたことか。一方で、運転免許試験に合格するまでは、私の足はいわゆるママチャリ。当時、私が住んでいた Spring Valley は坂道が多い場所だった。数ある坂道を自転車で買い物に行くのはかなりの運動量。早く免許が欲しい・・。そんな思いの中、やっと免許が取れて、我が家に人生初の私の専用車がやってきた。早速、その車を恐る恐る運転した時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。「自由だあ~。やっとこの国で、思いのままに動ける自由がある!」。カリフォルニアの澄んだ空の下、松任谷由美の「中央フリーウェイ」よろしく、アメリカンフリーウェイをスイスイ運転している自分を誰が想像しただろう。車様、あぁ、車様。私に自由をくれたあなたに、ひたすら感謝していますよぉ~。 (Belle)
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jinnno-san
中古車しか持ったことがない (笑)。この車が、良いんだか悪いんだか、異常音やエンジンルームの匂い、オイル点検はもちろん、新車だったら全く心配ない、気を付ける必要がない部分にまで、ごく普通に、慣れというか、当たり前のように気を配っている (今どき? 笑)。少し前に乗っていた車が、人生で一番新しい新古車 (笑) で2008年モノ (15年落ち 笑)。手放して分かったんだけど、他の人が乗ってるのを見るたびに、これはマニュアルで突っ走る「走り屋さん」が乗るような、カッコいい車だったのね・・と納得。壊れてしまったので、タイミングよく次に手に入れたのが、時代はさらに遡 (さかのぼ) って1997年モノ (笑)。マニュアルではないので好みじゃない、けど、無傷で凹 (ヘコ) みもなし、内外装も新車のようにピカピカ。そして真っ赤。当時の車は窓に何も付いてないので直射日光が暑い。車窓用のシェードを3個用意したんだけど、全てミッキーマウスの絵 (しかなかった 笑)。ディズニーファンでもない自分が誤解されないかと、こっぱずかしい。けど、キレイな赤のボディにミッキー模様がメチャメチャ映える 笑。ハンドルはブレない、オイルも漏れない、サンフランシスコまで往復異常なーし。もう1台持ってるんだけど1996年モノ (笑)。人間で言えば26歳と27歳で聞こえがいいから、良しとしよっと (笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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車は毎日運転している。子どもの学校送迎、習い事の送り迎え、買い物、その他もろもろ。とはいえ、私は車に関する全ての行為が嫌いだ。面倒くさいのだ。ガソリンスタンドに寄るのも億劫 (おっくう) に感じてしまう。△最も憂鬱なのがオイルチェンジ。サービスステーションに行くと、整備士の人たちがあちこち調べては、「そろそろコレを換えた方がいい」だの、「アレをやった方がいい」だの、いろいろ言ってくる。私はオイルチェンジに来たのであって、その他のことは一切分からないし、聞いてほしくない。問われたところで、それが今、本当に必要なことなのか、やっておかないと危険なのかも判断できない。さらに、私が女だから、馬鹿にされているのかな (?) と、あらぬ警戒心が芽生えて身構えてしまう。精神的にも本当に疲れる。△長距離運転も苦手だ。おそらく、私が元気に運転できるのは約40分。自宅から一番近い日本食スーパーに行く距離がやっとのこと。それ以上運転すると強烈な睡魔が襲ってくる。だから、いつもより長い時間を運転する時はコーヒーや軽いスナックなどを用意していく。子どもを乗せている時はとりわけ神経を使う。幸いこれまで事故はないが、眠気というのは頑張っても勝手に目蓋 (まぶた) が落ちてくるので、途中で休憩を取らないとどうにもならない。正直言って、車の運転は向いていないと思う。(SU)

(2023年12月1日号に掲載)