Thursday, 21 November 2024

方言

 

▽方言とお国訛 (なま) りに悩んだのは、福島から東京の私立高校に入学した頃。新入生の内訳は、附属中学からのエスカレーター組4割、首都圏組4割、地方組2割。悲惨なのは地方出身者で、私は福島弁 (がおる → 疲れる、くさし → 怠け者) を標準語と勘違いして笑われた。何よりも、言葉の節々に出るアクセントの違いが一番の悩み。現代国語の教師が秋田出身で、福島出身の私と山形出身のF夫を朗読役に指名して「懐しい響きだなぁ」と喜ぶ姿にゾッとした。F夫は苦笑いしていたが、内心は傷ついていた。私は秘かに『NHKアナウンス読本』を買い求めて発音・抑揚の矯正に勤 (いそ) しんだ。そんな15歳の努力を誰が知るだろう。私の訛りは大学時代に消えた。▽東北でも各県の訛りには特徴がある。岩手は抑揚にメリハリがあり日常会話も「日本昔話」になる。仙台は都会で訛り度は低い (それでも少し残る)。福島はモノトーン。青森は早口だと理解不能。津軽弁の響きはフランス語よりコクがある (笑)。▽サンディエゴでプロを目指していた日本人 (19歳男子) からテニスの指導を受け、私の腕前もアップ。彼は “若者言葉” を連発していたが、アクセントに微妙な違いがあった。「東北出身?仙台あたり?」と尋ねたら、激しく狼狽 (ろうばい) しながら「何で分かるんですか!!」(泣)。東北人には分かるんだよ。ゴメン。 (SS)
blue_line932
▽学生時代、山岳部には日本各地から集まったメンバーがいたので、方言にまつわるユニークなエピソードで思わず吹き出したことが何度もあった。例を挙げると、茨城出身の先輩が喫茶店で「マッチ」を所望したところ、運ばれてきたのは抹茶! その時、名古屋生まれの後輩が「先輩、 えっらそうやなぁ」とコメント。名古屋弁の「えらそう」は「疲れてる」という意味と分かった途端、固まっていた皆が爆笑。山行中に転んだ私に、沖縄出身の先輩が 「ヤマシタカ~?」 と声をかけてくれて 「いいえ、佐藤です」と返答。実は「怪我はないか?」という意味だった。そして、青森生まれの同期は津軽弁で自慢げに「桃太郎」を披露してみんなを笑わせた。「鬼ヶ島さ行くはんで きびだんごば こへでけねべが」。▽その昔、沖縄には「方言札」が存在していたことを先輩から聞いた。沖縄が琉球王国から日本の一部になった時、学校で方言を話した者は、次に話す人が現れるまで、罰として木板で作った「方言札」を首からぶら下げたとか。言葉に関する悲しい過去を伝える話だ。▽「さすけねぇ、さすけねぇ」 が祖母や母の口ぐせだった。福島県の会津弁で 「さしつかえない」「大丈夫、大丈夫」というニュアンスで使われている。相手を温かく、大きく包みこむような響きが好きだ。考えてみれば、人生の大半を 「さすけねぇ」 で生きているような気もする。 (NS)
blue_line932
▷小学校に上がるとき、東京から茨城に引っ越した。「そうだっぺ」「いがっぺ」「かっぽれ」「ごじゃっぺ」・・。早口の尻上がり調に加えて、独特の強い響きを持つ茨城弁。生粋の茨城っ子の同級生や先生たちのやり取りは、最初の頃はケンカをしているようにも聞こえたのを覚えている。私はその後、ずっと茨城で暮らしていたのに、島根出身の父と東京育ちの母だったせいか、茨城弁に郷愁は感じても、駆使するまでには至らなかった。▷父の実家の島根県出雲に帰省すると、祖父母や親戚の言っていることが理解できす、父に通訳してもらったっけ。「そうだにゃー」「あのにゃー」と、にゃーにゃー可愛かったのもよく覚えている。父の親戚がそうだったのか、出雲の人の特徴なのか分からないが、皆、おっとりと喋るという印象も残っている。▷アメリカに住み始めて数十年。英語の方言の違いも何となく区別できるようになってきた。アメリカのいわゆる南部訛りの英語も、最初の頃はただの英語としてしか耳に入っていなかったと思う。オーストラリア英語、南アフリカ英語もごちゃ混ぜになることもあるけれど、どことなく違うのが分かってきた。それにしても、典型的なイギリス英語の人も南部訛り英語の人も、歌う時は皆が同じように聞こえるのはなぜだろう?(RN)
blue_line932
suzuko-san
私の人生初のボーイフレンドは津軽の人だった。彼の口グセが「津軽の女と恋愛はできない」。彼の田舎の言葉は津軽弁、通称「ずうずう弁」である。そんなずうずう弁で「わさ、おめぇさのこと、好きだべさ」とコクられても、ちっともロマンチックなムードにはなれない、というのだ。分かる。また、津軽弁とフランス語は発音がよく似ていると言っていた。寒さゆえ、口を大きく開けると、冷気が口に流れ込んでくる。それを防ぐため、言葉数はできるだけ少なく、しかも口を小さく開けてしゅわしゅわっと声に出しただけで相手に通じなくてはいけない。究極ともいえる二人の会話がこれ→「どさ」「ゆさ」。あ?って感じだが、標準語通訳をすると「どこへ行くんですか」「お風呂へ」。双方の会話がたった4文字で用が足りる。確かに便利だ。話は変わって、私は映画が好きでよく観る方だ。映画は日本各地が舞台になっているので、役者さんはその地方の方言を制覇しなくてはいけない。そんな中で、私の記憶に永く留まっている方言でのフレーズがある。「なめたらいかんぜよっ!」。任侠映画『鬼龍院花子の生涯』(1982) で若くして他界した夏目雅子が切ったタンカだ。土佐弁。「甘く見てたらダメだよ」と標準語で言われるより、スゴ味のある方言で吐き捨てられると遥かに威圧を感じる。まさに方言パワー。方言を「軽う見とったらいけんよ」(広島弁)。 (Belle)
blue_line932
jinnno-san
わたしは名古屋で育ち、米国に来て標準語を覚えた (笑)。昔、米国では意識的に標準語を話すようにしてた私だけど、ここずっと、友人H部長に名古屋弁で話し続けていたら、いつの間にか彼に伝染した (笑)。人間って学習能力あるよねーと感心 (笑)。お母さんは神奈川県横須賀の生まれ育ち。大人になって名古屋弁を覚えたから近所のコッテコテのおっちゃんたちとは違う。お母さんと一緒に地元を歩いていたら、畑仕事をしてた幼なじみのお父さんが「いつアメリカに帰るか?」とネイティブの名古屋弁で尋ねてきた。あろうことか、名古屋弁自慢のわたしなのにリスニングができなかった!! お母さんが “通訳” してくれた (笑) けど、わたしの名古屋弁がヘタになったとも指摘され大ショック (笑)。これはいかん (ダメ) (笑) と気力を持ち直して、お母さんの生まれ育った土地と家を探しに初めて横須賀市を訪れた。ここでは標準語モードに切り替え。住所は知らなくても、母方のお爺ちゃんが建てた家が見つかった (笑)。見つけただけでなく、現在住んでらっしゃる方に会って立ち話をして (笑)、家にも上げてもらい  (笑)、連絡先を交換し、お土産も戴いて帰ってきた (笑)。すっかり意気投合してしまい、不完全な?わたしの名古屋弁が止まらなかった。あのお方、わたしの喋ってる意味、せめてわたしが元家主の孫ってこと、分かってくれたかな (笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
blue_line932
長い間、標準語だと信じていた自分の言葉が、静岡県特有の方言だと知ったのは20代になってから。他県の友達ができるようになり、会話中に方言を指摘されたことがきっかけだった。「〜だっけか?(〜でしたか?)」「〜だもんで(〜だから)」「〜じゃん(〜だよ)」など。日本列島のほぼ中央に位置する静岡なので、自分はてっきり標準語を使っていると思っていたのに、実は、とてもクセのある方言を連発していたとは・・。「靴」や「服」のアクセントも標準語とは違う。標準語は「くつ」「ふく」と後ろにアクセントがあるが、静岡は前に付く。何十年にもわたり、これも標準だと思っていた。一方で、静岡方言だとよく言われる「〜だら」や「〜ずら」は、父方の祖母が口にしていた記憶はあるものの、私の両親の世代では父だけが使っていたような気がする。今はさすがに日本の方に対しては気をつけて標準語を使っているつもりだが、ほぼ毎日、母と LINE で話をしていると、方言がついつい出てしまう。「しょんないね(しょうがないね)」、「〜だけん(だけど)」、「〜するだよ(〜するんだよ)」など。つい最近、娘が「去年行ったのは、ディズニーランドだっけ? あれ? シーだっけか?」と言っていた。アメリカ育ちのはずの娘なのにベタベタの静岡弁・・。間違いなく私が原因だな。(SU)

(2024年2月16日号に掲載)