Thursday, 21 November 2024

無駄

 

▽日本のサラリーマン時代。過労気味だった20代の私は会社を休んで、ブラリと房総半島南端の景勝地「平砂浦 (へいさうら)」を訪れた。心は和 (なご) んだが、無為な1日を過ごした罪悪感を拭い切れずに帰途につく。追い打ちをかけるように「お急ぎの方は、急行列車に乗り換えてください」とのアナウンス。条件反射的に移動しようとした刹那 (せつな)、相模湾の彼方に浮世絵のように美しく映える富士山を目撃する。忙 (せわ) しく動き回る乗客をよそに、私だけ普通列車の座席に戻り、見事な景観に見惚 (と) れていた。ここで覚醒。「1時間早く家に着いて何をする? 夕食を取り、朝起きて、いつものように出勤する。その繰り返しの果てには、死あるのみ」。「それだけだろ」と妙に合点が行って、バカバカしいほど清々 (すがすが) しい気持になった。▽「80対20の法則」(パレートの法則) も無駄を肯定している。稼働時間の実質20%で仕事の80%が終わっているとか。言い換えれば、実務時間の8割は効率が上がらない。集中力が最大効果を発揮するのは短時間で、残りの長時間は必然的に要領が悪くなる。無駄の極意ここにあり!意味のない無駄もなし!▽江戸中期の臨済宗僧侶、慧端禅師 (えたんぜんじ) も言ってるね。「一大事と申すは今日、唯今の心なり」。肝心なのは今、この瞬間。無駄と思える営為こそが将来への豊かな糧 (かて) となる。そう説いている・・ような気がするけど。 (SS)
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▽私の故郷、福島県会津柳津 (あいづやないづ) は日本でも有数の豪雪地だ。そこにあった生家は、黒光りする梁や柱を持つ頑丈な茅葺 (かやぶ) き屋根の家屋で、米農家として、ごく当たり前に、自給自足の生活をしていた。土間の釜戸、囲炉裏での食事、縁側での日向ぼっこ、屋根裏での蚕 (かいこ) の飼育。味噌、納豆、ぬか漬け、たくあん、干し柿、干し芋、番茶、わさび漬け、和菓子など、何でも自家製だった。保存食を保管するための部屋もあり、今でも、その独特の香りが記憶に残っている。冬は、脱穀した藁 (わら) で草鞋 (わらじ) や蓑 (みの)、正月飾りを作り、残りは田んぼや家畜の飼料に。幼い頃はイヤだったそんな生活も、都会暮らしに身を投じてみると、自然と共生する、実にムダのないものだと感じるようになった。▽子どもの頃は「ボーッとするな」と叱られたものだが、最近の脳科学によると、実は「ボーッとする」ことが脳には良いとされている。この時間は、脳が活発に働いてエネルギーを回復し、情報を整理し、ストレスを減らし、何と、過去の記憶をつなぎ合わせて新しいアイデアまで生み出してくれるらしい。スマホ、パソコン、TVから離れて「ボーッとする」ことで、脳は疲れにくくなり、集中力やパフォーマンスを向上させてくれるという。タイパやコスパを良しとする、今の忙しい時代に「何も考えずにボーッとしたい」という思いは、実は、創造性を高めるための脳からのメッセージなのかも——。(NS)
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アメリカではペーパータオルを大量に使う。日本に住んでいた頃、手を洗った後は、自分が持っているハンカチかミニタオルで拭いていた。アメリカに来た当時はハンドドライヤーも少なかったが、パブリック・バスルームには必ずペーパータオルが用意されていた。最初の頃は「便利だな」と感心していたが、ゴミ箱に山盛りになった使用済みのペーパータオル (勿体ない!) を見るにつけ、複雑な気持ちになった。勿論、自宅でもペーパータオルは常備している。が、私には贅沢に思えてちびちび使う or 何かを拭いてもまだ汚れていなければ、キッチンカウンターの隅に置いてまだまだ使う。反対に夫はどんどん使ってすぐに捨てる! 1枚で足りるところを何枚も使ったり、手拭きのタオルがあるにもかかわらず、わざわざペーパータオルを使って平気でいる。“勿体ない” という言葉は彼の辞書にはなさそうだ。あっという間に1ロールがなくなる。「我が家にそんな余裕はないのに、どうして!?」と夫が理解できなかった。だが、夏休みにお義母さんの家に行って理解した。そこでは家族全員が際限なくペーパータオルを消費して、無くなるとガレージに大量にストックされている予備をどんどん出してくる。あぁ・・文化が違うんだなと思った。 (YA)
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suzuko-san
過去に何度か書いたと思うが、私は無駄というものが大嫌いな人。私が家庭教師として7〜8年通っている裕福な家庭は、生活のほとんどが私と真逆で、節約という精神は微塵 (みじん) もなく、家中が無駄だらけという生活。シーツを1週間に2回換え、タオル類は毎回。結果、家族4人の洗濯物は、掃除婦さんが週3回来て、朝から晩まで洗濯機を回しているという始末。電気・水道・洗剤料金の「大無駄大会」だ。それだけでなく、暑くない日もクーラーを朝からつけっぱなし、ほんの少しだけ口をつけた食べ物もすぐにゴミ箱へ。私から見たら「やめてくれ~」。そんな無駄だらけの生活。その彼女、日本語を全く解しないのに「もったいない」という言葉だけは知っている。笑える。この女性がアメリカの代表かどうか知らねども、私がこの国に来て「アメリカ経済は、アメリカ人の無駄で成り立っている」と感じている。例えば、そんな無駄大好き彼らの性格を利用して機能しているクレジットカード。余裕もないのに、どんどんカードでモノを買い、毎月返済する最低金額を払い、後は高利貸し同然の利子を払い続け、時には延滞料のおまけまで払っている。私から見たら、こんな無駄はない。「翌月払えるからカードを使い、その利便性に浴する」のと、「所持金がないからカードに頼り、高額利子を払う」。この差に気が付かないのかなぁ〜アメリカ人は。 (Belle)
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jinnno-san
お正月は愛知県春日井市の実家に帰った。2024年の “新年企画” で浮上したのは「お母さんの家系探訪/母方のルーツを辿る」というテーマ。先ずは母系出自 (しゅつじ) を調べて、一族のルーツを探ることに。お母さんの兄弟4名+ウチら兄弟4名の計8名で、岐阜県の大垣城に行ってきた。出発前夜に「なぜ大垣城?」とお母さんに尋ねてみた。よく分からない説明を簡単に言っちゃうと 笑、お母さんの曽祖父 (ひいおじいちゃん) が大垣城で生まれた・・と 笑。え? それって・・わたしは姫?! 笑。早速、帰省していた友人のH部長に話す。大垣城も資料館もお正月休み。「外から見る限りでは、家紋が同じ」とか「城主様の肖像画が自分にそっくり」 という 笑 オジちゃんの話とかで盛り上がる 笑。「憶測より、ネットで分かるわ」 と思って調べたけど、男子の名前からして直系ではない 笑。翌日、釈然としないまま、大垣城資料館の館長に電話。私「あの〜、母親の旧姓が戸田というのですが、歴代の城主様に “梅ノ条” のような名の人がいるそうで、家系図に載ってます?」。館長「おらんよ 笑。戸田采女正 氏共 (とだうねめのかみ うじたか) の “うねめのかみ” のことでは?」。私「それだわ」笑。館長「NHKの徳川家康ドラマで、問い合わせ増えたんだわ」笑。・・ウチは家臣だったかもね~。このリサーチは無駄じゃない。だって地元や家族にとって、わたしはすでに「お姫さま!」 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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「無駄」って何だろう。ポジティブな印象はあまりなかった。辞書にも「役に立たない (余計な) こと。効果・効用がないこと。無益」とある。時間、お金、行動・・。多くの人が効率良く何かをするために無駄を省き、時間や金銭を余計に消費しないようにしているはず。私も日常の中で「この時間って、結構、もったいないな〜。だったら他のことやりたい」などと思うことがよくある。だが、無益と思えた行動が “思うほど無駄ではない” ことも事実。最近、こんなことがあった。若い歌手グループのファンである娘が、そのユニットの YouTube を私と一緒に見たいという。ウィークエンドの夜に母親の私と見るのが楽しいらしい。私はそんな若者のグループなんて興味なかった。メンバー全員が同じ顔にしか見えないし、誰が誰だか分からないので、正直、気が進まなかった。しかし、娘から1週間のトレーニングを受けて、グループ全員の顔と名前を覚えた。全く関心のなかった若手歌手の面々なのに、今では娘と楽しんで見られるようになった。ほぼ強制的にさせられていたトレーニング中は「どうして、私、こんなことしているの?」と、本当に無駄だと思っていたが、今では娘に感謝している。だって、夜のひとときに、娘と一緒にソファーに並んでゆっくりTVを観られるのも、あと数年かもしれないしね。短い人生、そんなに無駄なことなんてないのかも。(SU)

(2024年2月1日号に掲載)