Monday, 16 June 2025

東日本大震災の被災者を支援

東日本大震災の被災者を支援、米軍家族の有志グループ

サンディエゴ、横須賀基地から「Helping Hands」継続

2015年7月7日


helping hand東日本大震災の被災者を支援する米軍家族のボランティアグループ「Helping Hands」 が、震災から4年が過ぎた今も被災地に足を運び続けている。

「日本、そして、東北を忘れない」。

その思いが海を越えて、息の長い交流を生んでいる。

「コンニチハ」。

6月中旬、宮城県石巻市の乳幼児保育園「ミルク」。

サンディエゴ市と神奈川県横須賀市の米軍家族ら5組10人が日本語であいさつすると、園児たちは表情を緩め笑顔になった。

大きな籠(かご)はお菓子やおもちゃ、実用品の紙おむつなどが満載だった。

来られなかった約30家族の分も合わせて、全て園に寄付。

津波で被災した園は今春、内陸に移転したばかりで、相原かよみ園長(47)は「物資で浮いたお金で何とかやりくりでき、本当に助かっている」と感謝した。

グループは2011年4月、夫が横須賀基地に勤務していたサリバン雅子さん(36)が中心になって作った。

震災から1か月が経ち、米軍の被災地支援「トモダチ作戦」がほぼ終了した頃。

その家族たちが「日本にはお世話になっている。

東北の支援を続けたい」と日本人であるサリバンさんを頼ってきた。

サリバンさんは米軍家族と協力し、東京電力福島第1原発事故の被災者らが身を寄せた神奈川県の避難所の支援を開始。

避難所が閉鎖されると、福島県の仮設住宅などに通い続けた。

グループのメンバーは最初20人ほどだったが、約280人(6月現在)に。

「アメリカ人は支援ではなく、シェアしている感覚。

物資を渡す代わりに『友情や絆を手に入れている』 と言うんです」と笑う。

サリバンさんは2012年9月、サンディエゴに引越した。

その後も、仲間と一緒に宮城や福島の支援先に物資を郵送し、毎年、東北を訪れる。

阪神大震災当時、兵庫県尼崎市に住んでおり「高校生で何もできなかったが、復興には長い時間がかかる」ことを知っている。

福島県南相馬市の仮設住宅や石巻市の保育所3か所を回った今回の東北訪問。

サリバンさんたちは子どもやお年寄りと談笑し、去り際、屈託のない笑顔で手を振った。

「来年、また来るね」。


(2015年7月16日号掲載)