東日本大震災の被災者を支援、米軍家族の有志グループ
サンディエゴ、横須賀基地から「Helping Hands」継続
2015年7月7日東日本大震災の被災者を支援する米軍家族のボランティアグループ「Helping Hands」 が、震災から4年が過ぎた今も被災地に足を運び続けている。
「日本、そして、東北を忘れない」。
その思いが海を越えて、息の長い交流を生んでいる。
「コンニチハ」。
6月中旬、宮城県石巻市の乳幼児保育園「ミルク」。
サンディエゴ市と神奈川県横須賀市の米軍家族ら5組10人が日本語であいさつすると、園児たちは表情を緩め笑顔になった。
大きな籠(かご)はお菓子やおもちゃ、実用品の紙おむつなどが満載だった。
来られなかった約30家族の分も合わせて、全て園に寄付。
津波で被災した園は今春、内陸に移転したばかりで、相原かよみ園長(47)は「物資で浮いたお金で何とかやりくりでき、本当に助かっている」と感謝した。
グループは2011年4月、夫が横須賀基地に勤務していたサリバン雅子さん(36)が中心になって作った。
震災から1か月が経ち、米軍の被災地支援「トモダチ作戦」がほぼ終了した頃。
その家族たちが「日本にはお世話になっている。
東北の支援を続けたい」と日本人であるサリバンさんを頼ってきた。
サリバンさんは米軍家族と協力し、東京電力福島第1原発事故の被災者らが身を寄せた神奈川県の避難所の支援を開始。
避難所が閉鎖されると、福島県の仮設住宅などに通い続けた。
グループのメンバーは最初20人ほどだったが、約280人(6月現在)に。
「アメリカ人は支援ではなく、シェアしている感覚。
物資を渡す代わりに『友情や絆を手に入れている』 と言うんです」と笑う。
サリバンさんは2012年9月、サンディエゴに引越した。
その後も、仲間と一緒に宮城や福島の支援先に物資を郵送し、毎年、東北を訪れる。
阪神大震災当時、兵庫県尼崎市に住んでおり「高校生で何もできなかったが、復興には長い時間がかかる」ことを知っている。
福島県南相馬市の仮設住宅や石巻市の保育所3か所を回った今回の東北訪問。
サリバンさんたちは子どもやお年寄りと談笑し、去り際、屈託のない笑顔で手を振った。
「来年、また来るね」。
(2015年7月16日号掲載)