Sunday, 22 December 2024

音楽

 

▽クラシック音楽愛好家は育ちが良くて、上品で、高貴な心が宿っている? そうだろうか。逆かもしれない。そんな「カッコ付け屋」は別として、クラシック中毒症の性格分析をするなら、程度の差こそあれ、気性が激しく、大きく揺れ動く感情の持ち主が多い。クラシック音楽は人間が本能的に刺激を求めるニコチンのような「毒」に思える。凡人の私でも多少は “クラシックの効用” を心得ていて、疲労困憊 (こんぱい) ならモーツァルト (愁)、傷心回復にはチャイコフスキー (愴)、雑務を手早く終わらせるにはドビュッシー (淡)、深い悲嘆から逃れるにはブラームス (憂)、悩める時はラフマニノフ (悶)、弾みをつけるにはベートーベン (壮) と、精神の回復剤として常用してきた。私にとっては意気阻喪 (そそう) の時に嗜む “迎え酒” に近い。▽その昔、弊社にクラシックファンを自称する女性編集員がいた。ブラームス「交響曲第4番ホ短調」がお気に入りで、毎夜、その旋律の中に身を投じて「最高の癒しタイム」を過ごしているという。音楽の聴き方は千差万別だが、その言葉には耳を疑った。クラシック音楽に “深酒” すると心身ともに変調を来 (きた) してしまう。クラシック音楽は五線譜に吐露された作曲家の荒ぶる魂そのもの。三島由紀夫は旋律に宿る魔的な情景を透視して、世にも恐ろしい物語の構想が浮かんだという。劇薬すぎる音楽なのだ。(SS)
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▽小学2年生のときにピアノ教室に通い始めた。でも、後から習い出した友だちがメキメキ腕を磨いていく中、私は次第に練習をサボるようになっていた。「サッちゃんちにはピアノがあるけど、私の家にははオルガンしかないから・・」。自分が上達しない理由を必死に探しまくり、祖母に苦しい言い訳をしていた。▽そんなことがあってからか、音楽が遠い存在に感じられるようになった。特に、中学校の音楽鑑賞の授業は苦痛以外の何物でもなかった。音楽室の壁に貼ってあったベートーベンやモーツァルトの肖像画を見つめながら、いっそう眠気に襲われていた。▽NHKの「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」(https://x.gd/ZwRbi) はお気に入りの番組だ。世界の空港・駅・街角に置かれた “誰でも自由に弾けるピアノ”。耳コピで覚えたJポップを弾き語りする高校教師。病気で視力を失い、ピアノを覚えて音楽学校に進学した若者。様々な人々が思い思いに音楽を紡ぎ、行き交う人が耳を傾ける。一台のピアノから生まれる “一期一会”  の世界が心に響く。▽♪どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった♪。連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌、米津玄師の「さよーならまたいつか!」が好きだ。未来への希望と再会の約束を感じる。一旦は諦めたピアノだけれど、どこかの駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノで、この曲を奏でたい気持ちが湧いてきた。(NS)
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音楽はいつも2番目に好きな科目だった。1番は図工 (小学校)/美術 (中学校・高校)。4歳の頃からピアノを習っていたので、楽譜を読むのは苦でないし、縦笛やリコーダーなどの授業に必須の楽器演奏も簡単にできた。中学校では放課後の部活動とは別に、授業として全員が選択するクラブがあった。放課後の部活は美術部に所属していた。選択クラブではギタークラブを選んだ。週1回、授業の一環として45分間習うだけなので、ドレミファソラシドの位置を覚えて、単音でメロディを弾けるレベルにしかならなかった。アメリカに来てから、ある時期に1か月ほど、土曜日のアダルトスクールのギタークラスに通ってみた。家でも練習してみたが、マスターする前に挫折した。その後、結婚、出産、子育てで忙しくなり、家のギターは7〜8年間もホコリをかぶっていた。子供たちに手がかからなくなり、時間ができたので、数年前に再びギターを引っ張り出してきた。弦を張り直し、ソロギターの楽譜を入手し、TAB譜の読み方を覚え、また練習するようになった。そして簡単なソロ曲を何曲か弾けるようになった。最近はサボっているが、ぼちぼち続けていこうと思う。これからも長く趣味として愉 (たの) しみたい。 (YA)
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suzuko-san
私は音楽が無くては生きていられない、と豪語するほどの音楽好き。ジャンルは問わず (まぁ、ヘビメタ、ラップは敬遠したいが)、とにかく生活空間のほとんど全ての場所に音楽が存在している。私の父は、当時とても珍しかったクラリネットを趣味で吹いていた。家には78回転のレコードが山ほどあった。その影響は幼い頃から受けていたと思うのだが、「私は音楽なしでは生きられない」と意識するようになったのは中学入学の頃から。初めて買ったレコードはパット・ブーン。「砂に書いたラブレター」を擦り切れんほど聴いた。以降、学校が引けると、自宅と反対方向にあるレコード店に寄り道をして帰宅というのが定番となっていた。大学卒業後、故郷に帰ることなく東京に居座ることを決めた私は、どこでもいいから「音楽がある会社」で仕事をしたかった。運良く、知り合いから紹介された楽器の業界誌に就職できた。父が私に習わせたいと買ってくれたピアノも練習せず、後悔ばかりの私だったが、音楽家に限りない尊敬と憧れを抱いていたので、編集という全くの未知の仕事、無知の世界なのに、音楽が自分の側 (そば) にあるというだけで、その道に飛び込んだ。仕事に音楽がある。実に理想的な職場だった。今やデバイスに声を掛けるだけで、音楽が自動的に聴ける時代。音楽で目覚め、音楽で眠りにつく。この生活、まさにブラボー! (Belle)
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jinnno-san
この機会に言っちゃうけど、わたしには超自慢できる音楽隊の友達たちがいる! 出会ったのは道端 (みちばた) !(笑)。真夜中に路頭でアコーディオンを弾いていた。次に会った時にはデュオになっていて (兄弟だった)、次第にミュージシャンが増えて楽団に成長し、大道芸が盛んな欧州ツアー (ほとんど道端 笑) に何度も同行した。彼らはいわゆる “音楽バカ” で、電車、車、徒歩の移動中でも、常に楽器を鳴らしている 笑。当時は20代だったメンバーも結婚や出産などで状況が変化し、全員で大道芸を続けるのが難しくなってきた。演奏を見る機会が減って寂しいなーっと思っていたら、、エミー賞受賞の “Over the Garden Wall” っていうアニメの音楽が評価されて、わたしの楽団で (わたしの? 笑) 今月に10周年記念パーティーを開催するという。ひっさびさに彼らの演奏が聴ける!(必ず招待されるつもりでいる 笑) このアニメ、人気があるようで、7月に開催された Comic=Con に Over the Garden Wall セクションが設置されて音楽も流れ、コスプレに興じていた青少年たちが列を作っていた!得意げに肩をツンツンして「わたしの友達がこの音楽を創作したんだよぉぉぉぉ」と自慢するっきゃないでしょー!あ、ちなみにわたしは、皆のサイン付きLPを神棚に飾ってます 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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幼稚園から中学までエレクトーンを習っていたけれど、小学校の頃から、なぜ自分が音楽教室に通っているのか分からなくなった。中2か中3の頃、学校が忙しいという理由でヤメた。気がついたときには、家にエレクトーンがあり、もともとは兄が習っていたと聞いている。その後、長女が習い、中2の姉は習っていなかったようだが、小学校の音楽発表会で私のすぐ上の姉 (3女) が合唱の伴奏を弾いて、母が驚いたという話を聞いたことがある。スゴイなそれ。次女の姉は中学でギターを、高校ではサックスを奏でていた。長男の兄は音楽の才能があったようで、高校でホルンを演奏し、何かの代表でヨーロッパに行ったという記憶がある。兄は歌も上手で、遠い昔に「宇宙戦艦ヤマト」を良い声で歌っていたのを覚えている。兄とは13歳も離れているので、一緒に暮らした時代はほとんどなく、記憶も曖昧 (あいまい) だ。それでも、数年前に実家に来てギターを弾いていたので、今も続けていることは確か。現在、兄は音楽仲間とフォルクローレを演奏し、ライブコンサートを開いたり、教室で教えたりしているらしい。練習量がハンパなく、どんな楽器もマスターしてしまう兄。私とは全く違う。兄弟みんな、子供の頃に何かしら楽器を習っていたので、音楽が好きな家族なのだろう。(SU)

(2024年10月1日号に掲載)