生前の父は滑稽 (こっけい) なほど頑固一徹で、いつもジレンマに陥っていた。人一倍プライドが高く、モノを尋ねたり、アドバイスを求めることを一切しない。見かねて進言しようものなら怒鳴られる。ヘビー級の時代遅れでもあり、家電音痴もいいところで、不便と知りながらも、旧式の生活から抜け出せない。▽VCR (懐かしい!) でTV録画をするにも、予約機能を無視し、猛ダッシュして Record ボタンを押しまくる。携帯電話がほぼ全家庭に普及しても、固定電話から離れられない。父に内緒で家の「固定」 を処分して「携帯」に替えたところ、子機をTVリモコンと間違えて怒りまくる始末——。ある日、落雷で携帯が故障してしまい、父の憤怒が頂点に達して一喝!「業者に電話して、すぐに来てもらえ!」▽ホテルのフロントでカードキーを手渡された父は、どうにかオートロックのドアを開けて入室できたものの、室内照明をONにする方法が分からない。部屋のカード受けに差し込む発想など出てこない。誰かに聞きたくもない。薄暗い中で憤然としていたら、別の要件でフロントから電話が来た。渡りに船とばかりに「ライトはつかないし、スイッチもない。どうなってるんだ?」と不愉快そうにクレーム。そんな父を相手に丁寧に説明してくれて、問題解決。困り果てて、近くのコンビニでロウソクを買いに行くつもりだったらしい。 (SS)
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▽「新しい技術や発明品が登場するたびに、批判がでるよね。自動車やパソコン、スマートフォンもそうだった。最近では、チャットGPTだね。イノベーションのジレンマをモロに感じる」と、AIに詳しい友人からLINEが届いた。そして彼曰く、「次に開発したい製品は、出来た文章を見直して、AIの回答を巧妙にボカすソフト。使ったことをカモフラージュできるソフト」とのことだ。▽「ヤマアラシのジレンマ」の寓話を、新入社員のときに、会社の先輩から教えてもらったことがある。相手に自分の温もりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど、体中のトゲでお互いを傷つけてしまう。でも最近、そんなジレンマが、必ずしも常に起こるとは限らないことを知った。実際のヤマアラシが仲間と密着して、温もりまくっている写真をSNSで見つけた。なんだか、とってもホッコリした。▽私と夫は、コロナワクチンを4回接種した。だけど、5回目の予約は、接種日の当日にキャンセルした。オミクロン株対応ワクチン接種後に、男性が原因不明で死亡したという記事を読み、ロシアンルーレットのような不安を感じたためだ。考えてみると、この3年間の新型コロナとの関わりは、ジレンマの連続だったような気がする。(NS)
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おおらかにのんびりと育ててもらった。大きなジレンマで悩んだことがないと思う。アメリカが好き、アメリカで生活がしたいというだけの理由で留学した。そして、アート系が好きだからという理由だけで進路を選び、グラフィックデザインが身に付いたから、その道の仕事についた、という感じだ。楽観的な性格なので、失敗やリスクは深く考えずに行動する傾向にある。悩まない。そういえば、日常のどうでもいいジレンマはたまにある。私の住居のコンドは円形になっている。駐車場も建物を囲むようにぐるっと円になっていて、出入口は一箇所のみ。私のパーキングスポットは出入口から近いのだが、たまに出かける際に、ゴミ収集車の来るタイミングと重なって通れなくなる。出入口付近でゴミ収集車が、コンドの真正面にある巨大なゴミ箱を持ち上げている間、結構待たされる。そんな時、駐車場内を反対側に大回りして、出口まで行くと通れるけれど、小回りして出口まで来ると、すでにゴミ収集車が移動済みだったりする。急いでいるときは、待つべきか、回るべきか、ジレンマに陥る。 (YA)
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大半の女性が知らず知らずに抱えている日々のジレンマ。「食べた~い、でもやせた~い」。もちろん、私もご多分に漏れない。このテーマをもらって検索すれば、ジレンマとは2つの選択肢がどちらを取っても、ネガティブな結果になる。しかし、そのどちらかを選ばなくてはいけない状況にある時に使う言葉。ネットに掲載されていた例は「城に残れば焼き殺される。城から出れば撃ち殺される」という究極の選択を強いられる。日本語では両刀論法というそうだ。しかし、そこまで究極の状態に陥る場面が、人生でどれほど起こるのだろうか。まあ、強いて言えば、私の最大のジレンマは、東京での出版社時代。音楽が好きで楽器の業界誌の世界に飛び込んでみたものの、日々残業、残業で帰宅は深夜に。20代の頃は若かったから「まあ、こんなものか」と。しかし、30代も半ば近くになると、将来の自分を考えるようになる。確かに、お給料は良いが、自由に使える時間がなさ過ぎる。しかし、辞めて一般的な仕事に就いたなら、家のローンは払えない。さあ、どうする!? これを考え始めると、会社への足取りがすこぶる重い。先ほどの例の、どちらを選んでも死が待っている…というほどの究極とは言えないが、結果、私はお金より時間を選んだ。これは、実に正しい選択だった。故に、私はサンディエゴ暮らしができている。こうなると、ジレンマも悪くない? (Belle)
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ダブルブッキングしたいけど、できない状況・・。わたしが「2人」に分裂できたら、同じ時間に違う場所にいられて、2つのイベントを同時にこなし、ダブルで楽しめる! なーんてことは、現実ムリ (笑)。だから先日、惜しくも実現できなかったことがある。その日は、大親友H部長の誕生日。年に一度しかない、その人にとって特別な日。祝ってあげたかったよ、本当は。「はっぴばーすでー、とぅーゆーっ♪」って歌って、ふぅーって、ロウソクを消すシーンも、作ってあげたかったよぉー。ところが、H部長より付き合いの長いロサンジェルスの友達から1年ぶりに連絡があった。「今度の木曜日、過越祭 (Passover) のディナーにおいでよ〜」と。過越祭って、去年もお呼ばれしたけど、毎年、微妙に日付が違う。ユダヤ教に詳しくないから調べもしなかったけど、ただハッキリしたことは、今年はH部長の誕生日のド真ん中! (←当日ね、笑)。頭の中ではこの垂れ幕が、“H部長誕生日会 vs 過越祭” (笑)。過越祭には、2年は会っていなかった、わたしの愛する大道芸人ミュージシャンの友達も来る、、、。そして、結構わたし、過越祭のシナリオのある儀式が好き (笑)。まるでミュージカルを観ているような歌と演出がすごいのだ。迷ったあげく、車はロサンジェルスに向かっていた (笑)。いや、必死に悩んだんだよ〜 (5分くらいね、笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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特に深刻なジレンマは抱えていないと思う。でも、怠け心からくる、しょうもないジレンマは結構ある。夜更かしはするべきではないが、家族が寝静まった後に、自分の好きなことをする時間が好き。高血圧に気をつけなければいけないが、味の濃い食べ物が好きでやめられない。時々、昭和の時代に戻りたいと思いながらも、便利なモノが無くなるのはイヤ・・。私の子ども時代は今とは違って、子ども同士でもっと外で遊んでいた。駄菓子屋さんで何かを買ったり、海が見える土手に座ってお菓子を食べたり、公園に行ったりして、もっと自由に動き回っていた。最近、テレビやファミコン、ゲームボーイを楽しんでいた時代が懐かしく感じられ「あの頃は良かったな」と思うことがある。当時は、何の不便も感じていなかった。ただ、スマホはもう手放せない。友達との待ち合わせも、昔だったら、家を出た瞬間から約束の場所へ時間通りに行く使命感があった。今では、少し遅れてもスマホで連絡が取れるし、道が分からなくても Google map が教えてくれる。地図を広げて私は今どこに??なんて、パニックになることもない。現代の利器の便利さを十分に知ってしまった今、昔に戻りたいとは思わないけれど、それでも「昭和の時代が懐かしい」と感じることがある。(SU) |
(2023年5月1日号に掲載)