Sunday, 22 December 2024

キッシンジャー元国務長官死去、100歳 現実主義、米中を重視、伏線に沖縄、対日冷ややか

2023年12月1日

11月29日に亡くなったヘンリーキッシンジャー元国務長官は、共和党のリチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード両政権で外交安全保障を取り仕切った。

最大の見せ場は中国共産党との歴史的な関係構築に尽きる。

伏線として直前にまとまった沖縄返還交渉があった。

現在の中国の台頭を見越し現実主義的なパワーバランスに基づく米中関係を重視した一方、
日本への視線はどこか冷めていた


1971年に二度にわたって極秘訪中。

1972年のニクソン電撃訪中の地均 (なら) しに当たった。

機密解除された会談記録によると、周恩来 (しゅう・おんらい) 首相に「中国には普遍的な視点があるが日本の視点は偏狭」「日本に幻想は抱いていない」と明かした。


反共のニクソン政権でありながら、中国共産党と手を結んだ背景には、台湾に逃れた蔣介石 (しょう・かいせき) の国民党ではなく、北京の毛沢東 (もう・たくとう) が実質的な支配権を既に固めていたという現実が勿論ある。

対ソ連の戦略的意味合いも大きい。


ただ、その前段として、日本が繊維問題譲歩する一方、米国が核抜きの沖縄返還を認めた1969年の日米首脳会談は無視できない。

繊維の対米輸出規制を日本側が速やかに履行せずに米国の怒りを買い、日本頭越しの「ニクソンショック」につながったと言われてきた。


首脳会談の際に佐藤栄作首相とニクソン大統領の間で交わされたのが、核再持ち込みに関する密約だ。

首相の密使を務めた国際政治学者の若泉敬 (わかいずみ・けい) 氏は内密にするため、細かい段取りを詰めた。


米側にとってはも大切だが、繊維も重要だった。

若泉氏の回顧録で、キッシンジャー氏は「俺がこんな細目にまで介入することはないんだ。

米日関係が大事だし、ニクソン大統領が佐藤首相に個人的な敬意を表しているから、やっているだけなんだ」と、苛 (いら) 立ちを見せている。


キッシンジャー氏は1923年にワイマール共和国下のドイツに生まれた。

1938年、ナチスの迫害から逃れるためユダヤ人の両親と渡米。

冷戦下の1969年、ハーバード大教授からニクソン氏の国家安全保障問題担当補佐官に就いた。


1973年、ベトナム和平に努めたとしてノーベル平和賞を手にしたが、側近を重用し官僚に情報を渡さない秘密主義のほか、中ソの人権侵害や独裁の黙認権力への露骨な擦り寄りで非難も浴びた。


外交の大家として晩年まで米政権に頼りにされた。

今年7月には米中関係の改善を目指したジョー・バイデン政権の意を汲 (く) む形で、100歳を超えていたにもかかわらず中国を訪問し習近平 (しゅう・きんぺい)
国家主席と会談、米中関係安定の重要性を唱えた。


*Picture:© Truba 7113 / shutterstock.com




「一つの時代終わった」 鋭い知性、別れ惜しむ
 
「一つの時代が終わった」

「中国と米国の関係強化を促進した」

1971年の極秘訪中で国交正常化に道を開いたキッシンジャー元米国務長官。

中国では死去を惜しむ声が上がり、米メディアは切れ味鋭い知性で知られながら、型破りの行動に批判も浴びた「賢人」の業績を振り返った。


中国外務省は11月30日、習近平国家主席がバイデン大統領に弔電を送り「深い哀悼の意」を表したと発表。

外務省の汪文斌 (おう・ぶんひん) 副報道局長はキッシンジャー氏が「中国の古き良き友人」と述べ、米中国交正常化への「歴史的貢献」を称賛した。


米国では、ベトナム戦争収束でノーベル平和賞を受けた半面、ニクソン大統領の中国訪問に至る秘密外交は批判の的に。

「彼ほど熱烈に称賛され、また罵倒 (ばとう) された外交官はいない」 (ニューヨーク・タイムズ紙)

「共同大統領」 (AP通信) とも言われ、比類のない統率力を発揮したキッシンジャー氏について、CNNテレビは、良くも悪くも「1970年代の米外交の代名詞」と評した。


昨年10月にキッシンジャー氏と会談した岸田文雄首相は「若い頃からたびたび直接お会いし、知見を賜った」と振り返った。

松野博一官房長官もキッシンジャー氏が2007年に連名で核廃絶を提唱した経緯に触れ「核兵器のない世界の実現に向け、大きな影響力を及ぼした人物だった」と称えた。



(2023年12月16日号掲載)