ペット

 

▽40年を超える米国滞在。思い返せば、自分の生活空間には必ずと言っていいほど猫がいた。近所の飼い猫が垣根を飛び越えて “食客” になるケースがほとんど。実在の飼い主を無視するほど居心地が良いのか、帰らずに居候を決め込んでしまう。猫に縁があるものの、譲渡されたことはなく、私たちも来客を迎えるようにエサや簡易寝床を提供するだけ。隣家は保護猫が集まっているのか、複数の猫が定期的に住み替わり、遊びに来る猫種も様々だった。こんな状況だから、自分たちがペットを飼わなくても動物の “癒し効果” を享受できた。なぜ、我が家に移動してくるのか? 隣りは訳アリの雑居家族で、不協和音が絶えず、朝な夕なに怒号が飛び交っている。猫たちはそんな生活環境から避難してきたのかもしれない。▽日本では10代前半にコーギーの子犬を飼っていたが、明確な主従関係の構築、規則正しい散歩の日課など、求められるルーティーンに負担を感じるようになっていた。やがてネコ派に鞍替え。飼い主としては、犬の「依存性」 より猫の「無頼性」 が気楽だ。生まれながらの独立独行ぶりが、何とも心地良い。「元気か?」「まぁね!」のアイコンタクトで済むからね。▽“家族” として迎えたメス♀のオレンジタビーとは7年2か月を共に暮らしたが、3年前に最期を看取った悲しさが癒えることはない。暫くはネコなしで生きる。(SS)
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▽パソコンの画面に向かうと、愛猫がやってきては、好奇心旺盛な瞳でモニターを覗き込んで、時にはキーボードを自らの寝床にしてしまう。そんな彼らの行動に、苛立つことなどできず、まぁ、何をされたって、許してしまうのが、猫を愛する下僕の日常だと思う。締切りが迫るほど、我が家の猫はその魔性をますます発揮する。▽子どもの頃、実家には常に猫がいた。「ミー」と「ブー」、愛くるしい親子猫は、昭和30年代のシンプルな「ねこまんま」で育ち、キャットフードやトイレ用の砂、獣医の手も必要とせず、健やかに暮らしていた。毎晩、私と一緒に眠り、小学校への道すがら、跳ねるようにして見送ってくれた。▽アメリカへの移住を経ても、猫との不思議な縁は切れることがない。ワシントン州の学生寮で出会った「マサヨシ」は、冬のある日、雪をかぶって窓辺に現れ、私の心を暖かくした。サンディエゴで迎えた野良猫「ピピ」は、すぐに我が家の一員となり、福猫となった。彼女とともに昼寝をする時間は、日々の忙しさを忘れさせてくれる至福のひとときだ。耳の後ろを優しく撫でれば、ピピは満足げに喉を鳴らし、その穏やかなゴロゴロ音が周囲の喧騒を遠ざけてくれる。猫との時間は、幸せが温かく、柔らかいものであることを教えてくれる。彼らは、言葉を超えて、生きとし生けるものにとって、大切なことを伝えてくれてきた気がする。 (NS)
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▽最初に我が家にやって来たのは、つがいのセキセイインコ。ブルーのメスとグリーンのオス。2羽はとても仲が良かった。一緒に東京の狭い団地から田舎街の一軒家に引っ越して、鳥小屋も大きくなり、のびのびと嬉しそうだった。開放的な場所に移住して、両親は自分たちの夢を少しずつ実現。うさぎ、鶏、羊が一家のメンバーとして次々と迎え入れた。一時期は、子豚2匹の里親も引き受けるなど、我が家の庭は小動物園状態になった。田舎とはいえ、住宅街の一角にあった実家。物珍しいのもあって、近所の子供たちがよく庭に遊びに来ていた。▽私が高校生の時、初めて犬を飼った。ブリーダーの家に最後に残っていたゴールデンレトリバーのオス。やんちゃな子犬時代は手を焼くこともあったけれど、優しい子で、受験勉強で疲弊していた私の癒しでもあった。大学進学で家を出て、その後、アメリカに渡ってしまい、愛犬の世話を両親に任せることになり、最期を迎える時も一緒にいられなかったことが今でも悔やまれる。▽現在、我が家には2匹の猫がいる。高齢のお婆ちゃんと年齢不詳男子。喧嘩もせず、くっつきもせずのニュートラルな関係。人間が大好き。そして2匹とも、とても優しい性格。多少手荒に遊ばれても怒らない。私の体のどこかに触れながら、気持ちよさそうに寝る姿を見ていると、ほんわかとあたたかな気持ちになれる。(RN)
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suzuko-san
アメリカに来て驚いた。ほとんどの家にペットがいる。私は18歳まで福山市で暮らしたが、実家には多くのペットが飼われていた。犬猫はもちろん、ウサギ、金魚、鯉、熱帯魚・・。しかし、東京の下宿生活から始まってアパート暮らしでも、ペットを飼うことは論外だった。自分の生活空間で動物の世話をする、という時間と心の余裕が全くない。勤めた出版社は締切り前の2週間は深夜に近い帰宅が当たり前。もしくは会社の机の上で仮眠を取り、仕事を続けるという日常なので、自分の面倒を見るのがやっとこさ。ペットが居ようものなら、何匹殺しただろうか(!)というほど髪を振り乱しての生活だった。やがて、忙殺される生活に見切りをつけた。会社を辞めて糸の切れたタコ状態となった私は、世界をうろついた。ますますペットどころではない。結局、私の生活にペットが存在するというオプションは有り得ないまま今日を迎えている。友達が「ペットに現を抜かしている人の気が知れない。動物に費やす時間とエネルギーがあるなら、人間に注いだ方が価値がある」と豪語していた。私も常々、彼女の意見に賛同していたものだが、同様に子を持たぬ彼女が、最近猫2匹を飼い始めた。すると、話題が猫のことに集中する。私は親でもないし、里親?でもないので、そういう話題にはついていけない・・・。ゴメン! (Belle)
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jinnno-san
最近、犬と散歩してる人が多い。そして、ほとんどの犬は吠えることがない 笑 それはいいんだけど、とても迷惑なことがあって、、犬のうXこが、歩道に落ちまくってる! (キタナーい!)。お隣のメヒコでは「あるある」だけど、あちらは野良犬も多いから仕方ない。しかし、こちらは滅多に野良犬を見かけない (というか、いない 笑)。飼い犬ばかりなのに、なぜ、うXこが散乱してる? 楽しいお散歩タイムも、うXこ踏みそうになるので、緊張しまくり 笑。ひどい時は2Mごとに1つはある (!!)。なぜ? この街は親切にも、犬のうXこ用のビニール袋まで用意してあるのよ。ある日のこと、現行犯を目撃してしもた! 大柄なおじさんのチワワが他家の人工芝にうXこした (!)。彼はどうするのかと振り返ると、、うXこは放置。おじさんは袋も持ってなく、そのまま過ぎ去っていくではないか! (怒!)。これがほんとのくXじじぃ! (?) 笑。目の前で大型犬を押さえて、わたしが通り過ぎるのを待ってくれた女性が「今から袋を取りにいくけど、あそこにわたしの犬のうXこ落ちてるから気をつけて」と親切に教えてくれた。・・のはいいけど、そのワンちゃん以外のも10個くらい落ちてた 笑。飛び石ゲームみたいに歩道を歩くってどーいうこと? 笑 犬飼ってる人にお願い! 「うXこは拾ってね」。でないと、くXじじぃ・ばばぁって呼ぶからー! (マジ笑!)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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私が子供の頃(小学生くらい)は、道端で放し飼いの犬に遭遇することが多かった。当時は、私の家にもオスの柴犬がいたが、なぜかその柴犬は、私のことを自分よりも下だと思っていたのか、私にはよく「ウゥ〜」と怖い顔をして威張っていた。父には従順でおとなしかったのに・・。その名はポチ。誰が付けたのか知らないが、とても安直な名前・・。まぁいいか。とにかく、後から来た新参者の私が気に食わなかったのかも。そんなワケで、私は犬がとても苦手だった。放し飼いの犬に出くわすと、半べそかきながら、走って家まで逃げ帰ったものだ。昭和の頃は、外で犬を飼っている家が多かったのだと思う。最近は、人間の子供のように大切にしている家族が大半だけど、当時、我が家にいた犬は、ドッグフードではなく、味噌汁をかけたごはんを食べ、台風だろうが猛暑だろうが、ずっと外にいた。そんな環境にもかかわらず、17年も長生きしてくれた。いつからか、犬もほとんどが室内で飼われるようになったせいか、放し飼いを見かけることもなくなった。私も犬は怖くなくなったが、大型犬はまだちょっと苦手。怒らせたら、間違いなく大ケガさせられそうだから・・。チワワくらいなら勝てるかも。飼い主と散歩している犬を眺めながら、「勝てそう」「負けそう」を区別している自分がいる。犬が怖かった頃の記憶がそうさせているのだろうな。(SU)

(2023年11月16日号に掲載)