写真

 

▽1枚の古い写真。子供時代の家族旅行で羽田から九州へ飛ぶ前に、機内で撮影した初フライトの記念写真。機長さん、客室乗務員さんと一緒に私のファミリー4人が収まっている。よく承諾してくれたものだ。時代も大らかだったのか? 満面の笑みを湛える父母と幼い弟をよそに、私の表情だけが硬くこわばっている。実は、心の中で「無事に届けてください」と念じていた。半世紀が過ぎても、フライト恐怖症は続いている。航空事故の7割強は離陸時の3分間、着陸時の8分間に集中していると言われ、魔の11分間と呼ばれている。今は、着陸進入する旅客機に空港から誘導電波 (ILS) を送信しているので、安全性が極めて高い。それでも、離着陸時に襲われる緊張感は変わらない。妻が隠し撮りした私の顔は、昔の写真そのまま。▽ポートレートが苦手の私に写真家が秘策を授けてくれた。目立つモノ・・例えば、一房のブドウのような大きめの果物・・を携えてカメラの前に立つと、自分が被写体というプレッシャーから解放されるらしい。自意識が緩和されて、リラックスできるので、表情も柔和になるとか。良いことを聞いた。猫を抱いてみた。すると、撮影直前に暴れ出し、引っ掻かれるわ、噛み付かれるわで、普段は撮れないミラクルショットが手に入った。これは意外性もあって面白い。写真嫌いを克服できるかも。(SS)
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▽昔、カメラといえば、コダック一強だった。取材シーンでカメラマンを見かけると、彼らの手にはほとんどの場合、コダックが握られていた。フィルムも現像もコダックだった。でも、1990年代半ば、デジタルカメラの台頭とともに、その風景は一変した。家庭にパソコンが普及し、高性能のプリンターも登場。写真の印刷が少なくなり始めた。そして、2013年にコダックが破綻した。「カメラの歴史を牽引してきたあのコダックが・・」と、仲間うちで話題となった。さらに、2008年には高性能カメラを備えたiPhoneが世に出た。まさしく新時代の到来だった。▽先日、日本の友人からLINEが届いた。彼女が「自分の遺影撮影をしてきた」とのこと。写真館は「おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨にあり、メイクや髪のセットもしてくれるそうで、写真には彼女の魅力が溢れていた。そういえば、母の葬儀の際に「おふくろの良い写真あるか?」という兄の電話に焦った経験がある。手持ちの写真を探しても、集合写真で小さかったり、強風で髪がボサボサだったり。そもそも、どの写真も主役としては写っていなかった。でも「遺影撮影、しときましょうね」と、元気な時に提案するのは、どうも気が引ける。そう考えると、友人の行動は賢明だと感じる。私も日本に里帰りした際に、巣鴨に行ってみようと思う。(NS)
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この夏、数年ぶりに日本に帰省した際、叔母夫婦に会いに行った。「後期高齢者になっちゃったわよ」と愚痴 (グチ) る叔母だったが、まだまだ若々しく元気そう。夕食後、居間で寛いでいると「こんなにたくさんあるのよ、どうしよう」と、叔母が数冊のアルバムと大きな箱を抱えて現れた。私の母たちの子供時代から、若かりし頃の祖父母、曽祖父母、親戚、友人、近所の人たちなどの写真の数々。母と叔母の父(私の祖父)は写真撮影が趣味だったらしく、膨大な数の写真の大半は祖父が撮ったと思われる。母の母(私の祖母)は病気のため40代という若さで亡くなっている。私は会ったことがないのだが、10代頃の祖母の可愛い笑顔、看護師長として働いていた頃の凜 (りん) とした佇まいの祖母は素敵だった。アルバムの台紙に貼られた写真の配置や説明書きは祖父の作業らしいが、彼の几帳面な性格と子供への溢れんばかりの愛情がよく表れていて微笑ましかった。デジタル化してクラウドに保存しておけば、いつでもどこでも見られて便利ではあるけれど、こうやって、ペンで書かれた文字をなぞりながら手に取って見る写真は良いな・・と改めて思った。母たちが子供時代に使っていたというお茶碗とお皿と一緒に、数枚の写真をアメリカに持ち帰った。写真の中では、今は亡き私の母も、はにかんだ笑顔の少女として生きている。(RN)
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suzuko-san
1999年に京セラが世界に先駆けてカメラ付きの携帯を発売した・・とある。当時はまだ、人々のニーズが熟していなかったようだ。2007年にアップル、2008年にアンドロイドが、所謂 (いわゆる) スマホを発売し、日常的に写真をすぐ誰かに送ることが手軽にできるようになり、徐々に普及の兆しを見せ始めたが、それでも2010年の普及率は40%、それが2022年には94%となり、さらに今年は98%を超えているそうだ。こうなると、スマホを持っていないのは乳幼児とスーパー高齢者だけ?と思ってしまうほど、老いも若きも「カメラ機能付き電話」を常に携帯しているのである。まさに一億総カメラマン時代。スマホはかつてのような紙焼きの手間も要らず、パネルをタッチした瞬間に写真が見られるという、夢のような技術を超!身近なものにした。世界中どこにいても、その地の情報が写真付きで瞬時に各地に届けられる。プライベートの楽しみだけでなく、時にはメディアで採用されたり、はたまた偶然、事件の近くにいた人が撮影した映像が犯人逮捕の情報に繋がったりと、社会でも大活躍。撮り続けた写真はスマホにドンドン貯まる。しかし、紙焼き写真もそうだったが、スマホ写真も撮影直後は見るけれど、時が経つと、それらを眺める機会はほとんどない。ま、う~んと年を重ねて、自分の若かりし頃を振り返る楽しみのために、せっせと撮り貯めておこうか! (Belle)
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jinnno-san
セルフポートレート→ 自撮り→ セルフィーって呼び方は変わったけど、それにしても、皆さん、セルフィーお好きよねぇー。そんなことしたらさ、遠近法で自分が一番不利 (誰よりも顔がデカく写る 笑) なのにねー 笑。自分の手や影は撮るけどね。それに自分より他の人を撮るほうが楽しいよ。今までの旅行の写真を見ると、他の人のばかりで、自分が写ってない 笑。よく考えてみたら、誰かに撮ってもらうしかない自分の写真をアルバム代わりに持っていた。なーんでしょう? それは、、これまでに交付されたパスポート、免許証、学生証&あらゆるID~。初めて原付免許を取得した16歳の写真に始まり、18歳から今までX回 (笑) 更新した全ての旅券。ただ、カリフォルニア州運転免許の写真は、ある時から昔の一枚を使ってくれるので、よく言えば、いい感じで時が止まっている 笑。でも、高校のときの写真が免許証だけなんて、寂しすぎるわー (ヤンキーすぎる? 笑)、と思っていたら、昨年末に実家に帰ったとき、お母さんの愛用しているコップに、、どうも見覚えがあるモノが・・。それは高校のクラス写真をコップに印刷したものだった 笑。しかも目立ちたがり屋だったので、クラス全員が並んでいる最前列のド真ん中に、エラそーに座っているのが、わたし・・ 笑。よかったー! 高校時代のわたしの写真、2枚はあるわー (1枚と1個? 笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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写真を撮るのは好きだ。家族で旅行に出かけても、大体カメラマンは私で、自分が写っている写真などほとんどない。それでも、新型コロナのパンデミック中、誰もがマスクをしているときは、顔がほとんど見えないので、写真にあまり抵抗なく入っていた。しかし昨年、姉と森山直太朗のコンサートに行ったとき、会場で写真を撮っていたら、直太朗ファンは優しい人が多いのか「お写真、撮りましょうか?」と声をかけてくれた。私たちはお礼を言って、マスク姿で撮ってもらったのだが、さらにその方は「マスクを外した一枚を撮りましょうか?」と提案してくれた。心遣いに感謝しつつ、私は内心「あ、マスクのままでいいんです・・」と思ったけれど、断ることもできず、再びお礼を述べてマスクなしの写真も撮影してもらった。その写真を確認したら、思っていたよりも不細工な自分にショックを受けた。マスクって、いい感じに顔のイヤな部分を隠してくれるんだよね〜。お化粧のとき以外、自分の顔を鏡で見ていないのも災いしたか。あれから1年が経ち、さすがに2023年ともなると、新型コロナ感染の規制は大幅に緩和され、マスクを外している人が絶対多数となった。今年の夏も日本へ帰省し、家族とあちらこちらに出かけたが、私はいつものようにカメラマンに徹した。これでまた、何年も写真に写ることはないだろう・・。(SU)

(2023年9月16日号に掲載)