微妙

▽スポーツ競技の微妙な判定を100%の正確さに近づけるため、デジタル活用が急速に進んでいる。テニスのイン/アウト確認に精度99.9%のハイスピードカメラが大活躍 (元来は弾道ミサイル照準用とか)。体操の技術評価には、人間の目を遥かに凌ぐ3Dレーザーセンサーが使用されている。▽自分は野球ファン。メジャーリーグに「チャレンジ制度」(監督はボールインプレー以外でビデオ判定の要求可) が導入されたが、ビデオで再確認しても判断を下すのは人間の目。微妙さが残る。デジタル技術に頼るなら、ボールインプレーの判定も完璧なのでは? ▽2010年に塁審の誤審で起きたアーマンド・ガララーガ投手の「幻の完全試合」や、1969年夏の高校野球決勝の「球審の誤審疑惑」(松山商 vs.三沢高。延長15回裏、三沢の攻撃、一死満塁/3-1から低めの投球。誰もが押し出しサヨナラと信じた直後、球審がストライクを宣し、好機を逃す) は、デジタル技術の前では起こらない。▽考え方を変えれば、ヒューマンエラーのお陰で、栄誉を逸したガララーガは歴代23人の完全試合投手よりも人々の記憶に残り、三沢高の不運は人々の情感に強く訴え続ける。むしろ、微妙な誤差こそが、スポーツをより人間味のある競技に仕立てているのかも。 (SS)
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▽「名作を1文字変えて微妙な感じにする」 ツイッターの投稿が盛り上がっている。思わずクスっと笑える作品をいくつかご紹介。「グッチ売りの少女 」「パシれメロス」「金と共に去りぬ」「ああ苦情」「エリートのために」「ジャングル大変」「かなりのトトロ」「熟女の宅急便」「俺たちに休日はない」「吾輩の猫である」「抱枕」「北斗の件」「買取物語」「アルジャーノンに札束を」「リア充」「ミケとの遭遇」。確かに、微妙な感じになっている。▽ 昨年の大晦日は、友だちの真似をして、日本と同時放送の『紅白』とアメリカ時間の『紅白』を見ながら1日に2回の年越しをしてみた。第1弾は31日の午前2時15分スタート。早々に起きだして宴会準備。外はまだ真っ暗。あたかも日本で『紅白』を見ているよう。でも、日が昇り始める頃には、もう既にうとうと・・・。日本からアケオメ予告の LINE が次々と届き、午前7時、『ゆく年くる年』の除夜の鐘を聞きながら、日本の年越しを味わった。そして第2弾は午後6時からスタート。こちらも、途中からうとうと状態 ・・・。「お〜い、お〜い」と旦那に起こされ、白組優勝を再確認。オムツ装備で年明けを待つ (?) というタイムズスクエアのカウントダウンを見ながら、新年を迎えた。何とも微妙な年越しとなった。 (NS)
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sheau-ching-san.gif 世の中、いろいろな神様がいるようです。神様を信じる人も、信じない人も少なくはない。私の実家は仏教だけど、私自身は無宗教派。ただ、皆がそれぞれの宗教を持つことによって、平和でいられることができたら最高だなぁ〜と思う。でもどうだろう、、、微妙だよね、、、。どの宗教でも、基本的に愛、平和、平等、無差別、、、など素晴らしいことを基にしているはずだと思うけど、歴史を振り返ると、そうではないことがはっきりしている。宗教からの暴乱や戦争がなくなったことがない。「自分の神様」が唯一で「他の神様」を信じる人々を許せない、、、そんな考えを持つ人が多すぎるし、どんどん人を傷つけている。それぞれの宗教の真理を勘違いし、それを "エクスキュース" として行動している人間こそ、世界中の問題の大本だと私は思う。宗教本来の真理、自分の神様の本意を分かってもらいたいのは当たり前かもしれないが、その前に人間としての誇りを忘れてほしくない! 世の中の犯罪と憎悪が減り、もう少し平和な社会になることを期待しています!! (S.C.C.N.)
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yoko アメリカに来るまでメキシコ料理を食べたことがなかった。13才の頃、家族旅行でのハワイで初めてメキシコ料理を食べたときは、豆とチーズがドロドロした見た目と、味のないコーンチップスに、妹と「なにこれ〜。微妙にまず〜い」と言ってほとんど食べられなかった。16才の頃、フレズノ市でホームステイした時に、ホストマザーにメキシコ料理店に連れて行ってもらった時も、美味しいとは思えなかった。20才でサンディエゴに留学して、メキシコ料理を食べる機会が増えた。どうして以前はあんなにまずく感じたんだろうと思うほど、今では普通に好きな料理だ。それでも初めは、タマレス (Tamale) のコーンミールのパサパサした感じが微妙だった。夫と出会って、夫の叔父と母がクリスマスに大量に手作りするタマレスを食べてからは、とても好きになった。サンディエゴの Logan Avenue にある小さなメキシカン料理店『Las Cuatro Milpas』のタマレスも美味しい。年齢を重ねると、昔は微妙だったものも好きになるようだ。 (YA)
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reiko-san 誰かに似ていると言われることって、誰もが経験していると思う。私も何度かあるのだが、似ていると言われるその「誰か」が「誰なのか」によって、微妙な気持ちになるんだよな〜。<微妙例その1> 小学生時代、理科の教科書に載っていた写真「ビーカーの薬剤の匂いの正しい嗅ぎ方のポーズをとる少女」が私に似ていると騒がれた。教科書を片手に私のところに来ては「本当だ〜似てる!」と皆に言われ、恥ずかしがり屋で目立つことが嫌いだった私はかなり迷惑だった。写真のその少女は、制服を着た色白の真面目そうな子。当時は自分では似てないと思っていたけれど、今見たらどうなんだろう? 似てたのかな。気になる。<微妙例その2> サンディエゴで暮らし始めたばかりの十数年前のこと。当時はまだあまりなかったコーヒーショップでコーヒーを注文した時、店員の若い男の子が、私をまじまじと見つめ、「君ってアニメのあのキャクターにそっくりなんだよね。何だったっけな、あの名前は」と話しかけてきた (英語で)。コーヒーを待っている間も、その店員さんは私に似ているキャラクターの名前を思い出そうとしていたが、結局、分からずじまい。それが人間なのかどうかも分からず、ものすごーく微妙な気持ちで店を後にした。(RN)
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suzuko-san 四半世紀以上も前のこと、私はインドに料理修業に行った。なぜインド料理かというと、遡ること約10年、東京の MOTI というインド料理店のオーナーと知り合い、食べに行ったら余りにもの美味しさに仰天! 時には1週間に4〜5回も足を運ぶほど、インド料理好きになったのだ。そして10年近く通い続けたある日。出版社を退職して時間が山ほどある私に、そのオーナーが「そんなにインド料理が好きなら、インドに行って料理を習ったら」という誘いの一言に、さっさと乗ってしまった、という経緯でインド行きが実現したのだ。さてそのインドで、アジア随一という料理学校、プサ・インスティテュートでもトップクラスの先生に、特別に個人教授という形で料理を約2か月にわたり教わった。印刷したレシピなどない。先生が段階を踏んで作っていく様を見逃さずに、それをノートに素早く記していくのだ。数々のスパイスをどのくらい入れたのかも、見逃してはならない。中でも一番! 味の決め手となるのは塩加減。料理の最後の最後で加える(料理の途中で絶対に塩を入れない)のだが、料理を生かすも殺すも、この微妙な塩加減で決まる。故に、少しずつ少しずつ。今でも各料理に塩を加える際の、微妙さに緊張さえ覚えることがある。 (Belle)
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jinnno-san よく前を見て歩かないのと、背が低いのとで、人並みの視線で物が見えないことから、歩いているとつまずいたり、電信柱にぶつかったりする 笑。中でもお決まりで、必ずやらかすのは、ホテルやデパート、公共の場で、男子トイレと女子トイレが別れているトイレで、女の人の絵との男の人の絵がそれぞれのドアに付いてるやつ。見たことあるでしょ? あれをかならーず、かなら ーーー ずと言っていいほど、ドアの絵を見ないので、男子トイレに入ってしまう 笑(わたしはオンナの子~ 笑)。この間は、ホテルのトイレのドアを開けたら、中にいたおじさんに、指で “あっちだよ” とクールに教えてもらった 笑。先月はマジックキャッスルで、何回も行っているハズのトイレのドアを開けると、なーんか壁の色とかデザインとかが違う(見慣れないものが壁に括り付けられていた 笑) ので、ハッとして外に戻ってドアのサインを見ると、やっぱり男子の絵 笑。で、そこでスーツを着たジェントルマンと鉢合わせ。そのまま男子トイレドアを、彼のために開けておいてあげるのも、ヘン、でしょ? 笑。ドアをバシャンって閉めるのも、へん? 向こうさんも、なんてわたしに声をかけたらいいのやら、、見知らぬ二人が感じる、びみょ~~~な瞬間 笑。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪)
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毎年、年末になると、思いきり『紅白』を見ようとか、賑やかにカウントダウンをしてみたいとか、思い描いてはいるのだけれど、ここ数年、まともに年を越したことがない。2、3年前は、なぜかもうすぐ年が明けるという時間に、顔にパックを乗せていて、洗面所へ剥がしに行っている間に年が明けてしまった。去年は、NYのタイムズスクエアのカウントダウンをライブで見ていたのだが、肝心の西海岸のカウントダウンはすっかり忘れて、気がついたら2017年になっていた。そして、今年こそはと気合いを入れていたのに、やはりNYのカウントダウンを終えた後、子供を寝かしつけていたら自分も寝てしまい、目が覚めたら2018年1月1日午前12時4分・・・。微妙〜に過ぎていた。正直なところ、東海岸と西海岸の3時間の時差がカウントダウンの気を緩ませるのだ。一度NYのカウントダウンを見てしまうと、こっちがまだ年が明けていなくても、明けた気になってしまう。さらに、西部時間の大晦日に日本から届く、数々の「あけましておめでとう」のメッセージのおかげで、もう気分は前日から元日。毎年、微妙に時差ボケ (?) になる年越しなのである。 (SU)


(2018年1月16日号に掲載)